第八話「さあ、ぼくの世直しを始めるよ」

※※※

 牛火村は今や炎に包まれていた。家屋という家屋に火がついており、腕章をつけていながらも〈疑神衆〉に合流するのが間に合わなかった村人や、腕章をつけていない村人たちが逃げ惑っている。家屋が燃え落ちる音、人々の咳き込む声、悲鳴、怒号。そのどれもが、光圀を苛んでいた。


「みっちゃん、立てるか。もういい、早く逃げよう。あたしたちだけで」


 光圀はしかし顔を覆ったまま首を横に振る。

 自分の存在そのものの認識が揺らぎ、長年共に旅をしてきた助さんへの不信が胸を掻きむしっても、どうしようもなく逃げることを許さなかった。

 精神そのものに響く、世直しせよ、という声が。

 世直し。人を救う。

 ひょっとしたら、その声すらも〈烈火〉の言うところの〈造られたもの〉かもしれないが。


「だめだよ……みんなが困ってる……助けなきゃ……」

「でも、どうすんだよ……!」


 顔から両手を離し、ふらつきながらも立ち上がる。顔を熱風が撫でる。燃え盛る村の光景が視界を蹂躙する。


「わかんないよ……でも……!」


 逃げ惑う村人たちを、烏帽子の女と斧の童女が追いかけ斬殺していく。


「こんなの、放って置けるわけないよ!!」


 光圀は斧の童女の方へ向かって走り出した。格さんも追いかけようとしたが、現実問題、斧の童女を二人で相手したとして、敵は見たところ三人。村人を守るなら、手数が足りない。助さんの方を見ると、膝を折ったまま、まだ動かない。この状況に対応しないことと、光圀に何か秘密を黙ったままだったことに、不信感と怒りが瞬間的に爆発した。

 ずかずかと歩いていくと、襟首を掴んで無理矢理引き起こし、ぶん殴った。


「いい加減にしろ!!!」


 ずさあ、と吹っ飛ぶが、反応はない。


「言ってやりたいことは山ほどあるけどよ、今はそうやって打ちひしがれてる場合じゃねえだろ! みっちゃんを大事に思ってんなら、今は立ってこの場を切り抜けて、あとでちゃんと説明して、そんできちっと詫びやがれ!!」


 助さんはよろよろと立ち上がると、顔についた土を払った。


「……面目ありません。貴方のおっしゃる通りです。今は、とにかく……!」

「あたしはみっちゃんの援護に回る。あんたはあの、烏帽子女を止めてくれ」

「承知」


 二人は走り出した。



※※※


 悲鳴をあげる村の少年を斧の童女が追い詰める。背格好はそれこそ八兵衛と大差ないほどの矮躯であったが、その身の丈の、ざっと三倍は全長があろうかと言うほどの戦斧を軽々と片手で持ち上げ、村人を両断、と言うよりも、もはや圧殺せんと振りおろす。

 寸前。


「だめだよ!!!」


 光圀が全重をかけてのショルダータックル。童女は吹き飛び、大斧も宙を舞い、ずしんと恐ろしい音を立てて地面に突き刺さった。怯える少年に視線で合図を飛ばすと、少年は何度も頷き、逃げ去っていった。少年は見覚えのある顔をしていた。村に着いた時に出会った、火和と口論になっていた、泉太とかいう少年だった。泉太が視界から消えるまで遠くにいったのを確認すると、童女に向き直る。


「なんで! なんでこんな酷いことするの!」


 光圀の悲痛な叫びには何の反応もせずにむくりと起き上がると、何の痛みも感じていないかのような動作で斧を掴み取り、光圀を標的にして向かってきた。歯を剥き、獣のような唸り声をあげての突進。


「答えてよ……! 何をしようとしてるの……!」

「うがあああッ……!!」

「させねえよ!」


 直前、格さんが割り込む。

 斧を振り下ろすスピードが最大速に乗り切る前に、長い柄を手で掴み止める。

 長身の格さんと背丈は半分ほども違うが、得物を操る腕力は凄まじく、全力をこめなければ押し負ける。


「つええ……! たぶんだけどよお、みっちゃん。こいつ、たぶん喋れねえぞ」

「え……!?」

「命令に従って、敵だと認識した奴をぶちのめすだけ。訓練された犬みてえなもんだ!」


 ふっと力を抜いて、斧を空振りさせる。

 体勢が崩れた瞬間を見逃さず、童女の顔面目掛けて蹴りを放つ。

 しかし。

 蹴り足を顔面正面で受け止めると、小さな口を目一杯開いて、童女は格さんの脛あたりに噛み付いた。


「いってえ!! このやろ……!!」

「格さん!!」


 童女を引き剥がそうと光圀は駆け出そうとしたが、首筋に冷たい殺気を感じて身動きがとれなくなった。

 いや、殺気と言うよりも、実際にその首には手がかかっていた。

 黒い革手袋で覆われた、細長い指が光圀の頑健な首に絡みつく。


「行っちゃダメだろ。お前は、ぼくの相手をするんだから」


 瞬間、光圀の視界の上下が反転した。

 わけもわからないうちに、背中に強い衝撃が走る。

 どうやら、黒い少女に投げ飛ばされたようだった。


「お前、確かに〈光圀〉の気配がする。でも、ぼくはお前を知らない」


 呼吸が整わず、喘ぎながら見上げる光圀を、異様なまでに細長い胴体を折り曲げて黒い少女が覗き込む。黒い覆面と前髪の合間から、満月のような瞳が刺していた。


「お前、誰だ?」


 鋭い月光のごとき視線に、瞬間、恐怖する。

 わたしは誰だ。

 その問いに答える言葉に今は自信がない。しかし、


「わたしは……み、光圀。世直しのために、百ヶ所の要石を鎮める旅をしているの」


 自分自身に確かめるかのように、おずおずと名乗る。

 聞いた途端、黒い少女の目は真円に見開かれた。が、すぐにそれは三日月型に歪む。


「は、あははは、そうか」


 やがて少女は、上体を仰け反らせながら笑い出した。


「そうかそうかそうかそうかそうかそうかそうかそうかそうか。そうかそうかそうかそうかそうかそうかそうかそうか。きみが。きみがか」

「なに……?」


 ぐりん、と、顔を光圀に近づける。


「きみがあれか。天帝計画の〈失敗作〉か」


 光圀は総毛だった。


「あなた、わたしのこと、知ってるの……?」

「知らないよ。正確には、〈きみみたいなやつがいる〉ということは知っているけど、きみ個人のことは知らない。でもまさか、生きてこんなところをうろうろしているとはね」

「どういうこと……」

「鈍いなあ。きみはなり損ないなんだってば。〈光圀〉の」

「え……?」

「だーかーらー。うっざいなあ。きみ、自分のこと〈光圀〉だって名乗ったよね。〈光圀〉には必ず〈銘〉がある。個人を識別するのは〈銘〉だ。さっき爆死した馬鹿……〈烈火〉みたいにね。だから、〈光圀〉意外に名乗る名前を持ってないってことは、きみは出来損ない。〈無銘〉なんだよ。わかった?」


 嘲るように突きつけた人差し指を黒い少女は即座に引っ込めた。その空間を、銀色の刃が切り裂く。助さんが怒りの形相で刀を構えていた。先ほどまで交戦していたはずの烏帽子の女は、遠くで腕から血を流して蹲っている。


「……大事な話をしてんだよ。割り込むんじゃない」

「お嬢から離れろ! 次はその首を落とす!」

「みっちゃんを……いじめてんじゃねえぞ、黒いの!」


 斧の童女をなんとか引き剥がした格さんも合流し、光圀の前に立った。 

 黒い少女は不快そうに眉を顰める。


「ああ、お前らがこの〈名無し〉の〈助さん〉と〈格さん〉か。ポンコツの分際で、運用単位は揃えてるのか、なるほど」

 

 助さんが吠える。目にも止まらぬ速さで二度、三度と刃を振り抜くが、黒い少女に触れる寸前に、何かにあたったかのように軌道が逸れる。

 と見るや、即座に納刀、居合の構えに移行。連撃の合間に差し込まれたイレギュラーな動作に、少女の挙動のリズムが一瞬だけ崩れた。その間隙を。

 神速の抜刀術が斬り裂く。一度の抜刀から一瞬で五度の斬撃が襲いかかる、不可思議な域にまで高められた居合斬り。

 さらに、戦闘によって倒された大木を抱え上げ、格さんが力任せに薙ぎ払う。

 速さと力の波状攻撃。常人には対応できないほどの攻撃は、


「なかなかやるね。ぼくの〈助さん〉よりも腕は立つみたいだ」

「……!!」


 しかし、少女には届かなかった。少女の手には、黒く細長い柄を持つ、死神のごとき鎌が握られていた。その柄の部分で、斬撃も打撃をも全て防いだということらしい。

 だが、つい一瞬前まで丸腰に見えた少女がその鎌をどこから持ち出したのか。

 その答えはすぐに判明した。


「なら、ぼくも少しは本気を出そうかな……〈印籠斬〉」


 鎌の柄の中央。少女が握っている部分は、漆塗りの小箱のように見える。

 光圀が持つ〈印籠〉と、そっくり同じような。

 それは脈動すると、次の瞬間には、身の丈ほどの大きさの大鎌に変じていた。

 柄も刃も、その全てが漆黒。

 威容を認めるよりも速く、その刃があたりの空間を斬り裂いた。不意に起こる竜巻のような斬撃は、咄嗟に身を躱した助さん格さんの体の表面にいくつもの傷を作る。わずかにうめきながら隙を作らぬように上体を起こし、次の攻撃に備える。

 その時、突然強い風が吹いた。

 炎に照らされて赤い反射光を放っていた雲が吹き散らされ、空に穿たれた大穴のような満月が怪しく輝く。いつの間にか烏帽子の女と斧の童女が黒い少女の傍に立っていた。


「自己紹介が遅れたね。ぼくは〈月世光圀〉。〈天帝計画〉で造られた〈光圀〉の成功個体のひとりだ。さあ、ぼくの世直しを始めるよ」


 〈月世光圀〉は大鎌を肩に担ぎ、微笑んだ。


「助さん、格さん。懲らしめてやりなさい」

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