第十八話「光圀は優しかったんだ」
※※※
「ふざけんな!! そんなこと、できるわけないだろ!!!」
八兵衛は激昂したが、光圀はかぶりを振る。
「もう嫌なんだよ……わたしなんて、消えた方がいい」
「そんなわけない! 俺は……童子だって、お前を……!」
「全部、わたしだったんだもん。はちべえは違うかもって言ってくれたけど、全部、思い出したんだもん。あの日、はちべえの仲間の人たちをたくさん殺したのも、わたしだって」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ!記憶を呼び覚まされて、全部わかっちゃったんだよ。人の身体を壊した時の、手の感触だって、全部残ってる」
「嘘だ」
「わたしを怖がるはちべえの顔も、はちべえを逃した女の人の顔も、全部思い出したんだよ!」
「嘘だ!!」
「わたしだったんだよ!! はちべえの大事な人も、みんなみんな殺しちゃったのは!!! わたしは!! 化け物なの!!!」
がくん、と光圀の体が押し倒される。八兵衛の両手は光圀の襟首を千切れるほどに握りしめていた。
泣いていた。
「嘘……じゃ、なくても……」
〈歪みの日〉の記憶を話したくはなかった。どうしたって、はちべえを傷つけるから。でも、話した。それさえ話してしまえば、はちべえはきっとわたしを絶対に許さないから。そうやって、殺してもらうつもりだった。
しかし。
「はち……べえ……?」
八兵衛は涙を流し、歯を食いしばっていた。自らの中にある憎悪と闘っているものの顔であった。
「お前が!! ナナ姉を、本当に殺したとしても……それでも……」
嫌だ、聞きたくない。光圀は反射的に、八兵衛の身体を払い除けようとする。だが、予想外に八兵衛の力が強い。
「それでも俺は……俺は……!」
光圀は逃げ出したかった。自分の罪の償いとして、化け物として殺された方がマシだと思った。許されて、大きすぎる罪を背負ったまま、人として生きるよりも。だってそんなの、辛すぎるじゃないか。
八兵衛は項垂れる。涙が光圀の頬に落ちた。
「お前がいなくなるなんて、嫌だ」
それは、八兵衛のエゴでしかないのかも知れなかった。仲間を殺されたという被害者性から、自分の都合で光圀への生殺与奪をコントロールしようという感情が、根底になかったとは言えない。
「なんで……?」
涙声で光圀が問う。
「わたしなんて、生きてない方がいいのに。いるだけでいろんな人を傷つけて、壊しちゃうから」
光圀はくぐもった泣き声をあげる。彼女の言葉には、八兵衛は覚えがあった。
かつての自分だ。あの人と会った頃の。
役立たずの足手纏いだと己を断じ、自分を微塵も肯定できない、一人ぼっちで崖の底にいるかのような感覚。でも、八兵衛は一瞬だけでも、一人ではなかった。ほんの僅かでも、自分を肯定してくれる人がいた。
光圀は、同じだ。あの日の俺と。
自分が生まれた場所を探しに行きたいと笑った。
〈光圀〉になる前の自分のことを知りたいと言った。
それなのに、自分のことも分からずに、
「諦めちまうなんて、駄目だ」
「無理だよ……もう……!」
「生まれた場所を探しにいくんだろ! 自分が誰かも分からないで、終わって良いのかよ!」
それは、あの日の〈七〉の言葉だった。
八兵衛の両手に力が入る。光圀は、その手を掴もうとした。
払いのけるためではない。もう一度、手を取ってみようと思った。
手の甲に、熱い雫が垂れる。
涙。
そう思った。
しかしそれは、鮮血だった。
「え……?」
八兵衛の胸から大量の出血。あまりに速い斬撃であったため、八兵衛は痛みすら感じることなく、一瞬で胸を抉られていた。
そこに突き立った刃は、鋼色の華のような形をしていた。
それが〈華斬車〉だと言うことを認識するよりも早く、
「光圀! 避けろ!」
童子の叫び声を切り裂き、風を割く音が二度、三度と続く。わけもわからず、光圀は身を起こし、八兵衛の身体を庇う。肩のあたりに鋭い痛みが走る。見ると、そこには水晶のごとき透明の刃が突き刺さっていた。
「い、凍早……ちゃん……!」
アイスブルーの瞳が絶対零度の殺意を放つ。
両手に透き通った担当を持ち、凍早が立っていた。
傍には、〈七〉の屍が不自然な姿勢で構えている。
「ナナ姉……!」
「〈天帝計画〉のため、〈光圀〉とそこの赤鬼は回収する。お前だけはここで死んでいけ。せめてもの情けだ。お前の想い人の骸に屠られるがいい」
〈七〉の屍が跳ねた。いつの間にか上空で待機させていた大量の〈華斬車〉を、指から伸びる鋼鉄線で操り、一斉に降下させた。
〈忍法・華斬車 万天吹雪〉。〈七〉のもつ機械操術の中でも、最大の破壊力をもつ技。文字通り、天を覆い尽くさんほどの〈華斬車〉が八兵衛を襲った。
八兵衛は光圀の腕を振り払い、瞬間、最高速で走り始める。いかな〈華斬車〉とはいえ、八兵衛の〈最速〉には速度で劣る。張り巡らされた鉄線を、舞い踊る鋼の刃を潜り抜け〈七〉の屍を無力化することは、最速を持ってすれば難しい話ではない。
はずだった。
〈万天吹雪〉は夥しい量の〈華斬車〉を同時に操る技。その要は、互いが衝突しないように距離を測りつつ、その全てが敵に対して有効打を与えられるようなポジショニングにあった。しかしてそれは、ただの攻撃技としてだけではなく。
「!!!」
鉄線を潜り抜けた八兵衛の眼前に、刀を構えた〈七〉が現れた。
そう、鉄線と無数の〈華斬車〉で敵の導線を完全にコントロールし、捉えづらい相手を確実に葬るための結界を張る。それこそが、〈万天吹雪〉のもつもう一つの特性であった。
一瞬で五度、六度と斬撃をまともに体幹に食らう。屍と化しても、身体に染みついたその圧倒的な技量は、八兵衛とは比較にならない。
逆手に持った刀が八兵衛の頸動脈を正確に捉えていた。
瞬間、再び加速して回避。しかし、もう手遅れであった。僅かに直撃の軌道から外れることができたが、
「はちべえ!!!」
両の眼が、真横一文字に切り裂かれた。視界いっぱいに鮮血が広がるのを感じた次の瞬間、八兵衛は何も見えなくなった。
「貴様!!!」
童子が鍵を地面に突き刺すと、〈土〉気が集まり、木々の根を撚り合わせたような棍棒が現れた。それを振り回して〈七〉に突撃するが、
「大人しくしていろ。雑魚が」
背後からの凍早の斬撃で、童子は胴体から真二つになった。悲鳴を上げ、童子は地面に転がった。動かない童子に声をかけようとしたが、その眼前に凍早が立ち塞がった。
「大人しく来ていただく。できる限り傷を付けるなと命を受けているのでな」
血に濡れた氷のような刃の切先が光圀を見据えている。光圀の顔には恐怖が色濃い。
短くため息をつくと、凍早は歩を進めた。
見たところネムが投与した霊薬の効果はもう切れているようだから、場合によっては正面からの戦闘になる。尋常ならざる膂力をもつ光圀とはいえ、舐めてかからなければ遅れをとることはあるまい。
そう思った時、何かに足が引っかかった。
見ると、八兵衛が凍早の足に組みついている。双眸を裂かれ、音と気配を頼りに縋り付いていた。ただ振り払うか、絶命させて光圀の元へ向かえばいい。だが、最弱以下の存在でありながら、恥知らずにも邪魔をしてくる八兵衛に、どうしようもなく苛立った。
「……離せ。穢らわしい」
「……光圀に、手を出すな……!」
その途端、凍早の中で何かが切れた。
八兵衛の側頭部を蹴り付け、踏みつける。
「何なんだお前は! 落ちこぼれの分際で、忍軍に戻りたそうな顔をしたかと思えば、次の瞬間には〈天帝計画〉の妨害をする! 最弱以下の〈八〉は知能も塵以下か、愚図が!!」
「光圀から……離れろ……!」
「意味がわからん。お前が懸想していた〈七〉だって、こいつに殺されたんだぞ? それだけじゃない。こいつのおかげで、我々忍軍は壊滅した! なぜ救おうとする。お前にとって、仇以外の何者でもないだろうが!」
何度も蹴り付けられ、八兵衛の頭部は血で染まっていく。夥しい量の出血。
目の前で八兵衛が死にかけていくのを、光圀は涙を流しながら見ているしかできない。
しかし八兵衛は、なおも凍早の足から手を離さなかった。
「そんなこと、知るか……!! そうだったとしても……それは、光圀の心が決めてやったことじゃ……ない! 悪いのは……〈天帝計画〉……そのものだ……」
「理由になっていない。こいつを守ることに、お前に何の意味がある!」
悍ましさに顔を歪め、凍早は吐き捨てた。
小さくなっていく八兵衛の声に、光圀は僅かに身じろぎした。
「……わかんねえよ、そんなの……でも、こいつは……光圀は優しかったんだ。どんな目にあったって……だから……」
その後の言葉は、音になることは無かった。
戻ってきた〈七〉の屍に操られた無数の〈華斬車〉が八兵衛の身体を吹き飛ばした。
童子の傍に落下した八兵衛は、動かなかった。
光圀の絶叫が、夜の森に響いた。
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