第十六話「そんなの、ちっとも世直しじゃない」

※※※


 光圀は、真っ白な部屋で目を覚ました。天井も床も真っ白く、ただただ広い。

 ここはどこだろう、と辺りを見回すと、自分の背後に巨大な石が鎮座していた。鎮座している、と言うよりは、真っ白な床を突き破って屹立している。あるいは、この岩の周辺に、この白い部屋が作られたようにも見える。

 光圀の背丈の倍以上はあろうかというほどの、見上げる大きさの巨岩。それは水晶の原石のようにところどころが透けていて、青紫色の光が内部で脈動しているのがわかる。

 紫に光る巨大な石、と言えば。


「これが、最後の要石……?」

「その通り。さすが〈光圀〉、察しが良いのう」


 誰にともなく呟いた言葉だったが、その声に応えるものがあった。声のした方に視線を向けると、外で出会った忍者、〈無龍〉と〈凍早〉、それと赤毛の女を伴い、小柄な老人がこちらに歩いて来ていた。仕立ての良い着物と羽織を纏い、身なりこそ品の良い老人に見えたが、上方向に向かって不自然に変形して伸びた禿頭と、憎悪の表情を深く刻み込んだかのような皺の走った顔面は、見るものに不快感と恐怖を与える、異様な風体であった。


「儂は〈待宵草忍軍〉の頭領。気安い者には〈ガゴゼ爺〉などと呼ばれておるがの。まあ、名前などはどうでも良い。光圀殿、手荒な真似をして申し訳なかった。光圀殿には手伝ってほしいことがあって、こんな場所にお呼び立てしたのじゃ」


 妙に人懐っこい、抑揚のついた喋り方ではあったが、光圀はその真意を本能で感じ取っていた。


「手伝ってほしいこと……〈天帝計画〉ってやつ、でしょ」


 警戒しながらの光圀の言葉を聞くや、ガゴゼ爺は破顔した。人外の存在が人の笑顔を表面だけ真似たかのような、悍ましい表情が現れる。


「はっはっは、どうやら話が早そうじゃの。その通り。光圀殿には、失われた〈天帝計画〉の礎として力を貸していただきたい。〈世直し〉のために」

「力を貸すって、よくわからないけど、わたしを龍脈に繋いで、この国の人たちを言いなりにするってことでしょ。そんなの、ちっとも世直しじゃない……!」


 ガゴゼ爺は心底不思議そうな表情を浮かべた。傍の赤毛の女に耳打ちする。


「ネム、どうなっとる? 〈光圀〉は天帝計画のために造られた人形じゃろ? なぜ計画に関わることを拒否する?」

「あ〜、確か計画末期、〈光圀〉のうちの一体が暴走、要石からの霊力を逆流させた結果、〈光圀〉たちの精神制御に不具合が出たと聞いたことがありますねえ。資料は焼失しているので、不確定な情報ですけど」

「その暴走した〈光圀〉が、この娘じゃと?」

「それは分かんないです。そもそも……」


 赤毛の女は丸眼鏡を直し、光圀を凝視する。喋り方も立ち方も気だるげな女だったが、光圀をその視線は、警戒を通り越して、どこか怯えているように見えた。


「現在確認できる資料のどこにもいないんですよ。この〈光圀〉は。〈天帝計画〉の報告書に記載のある光圀は7体。その全てが穢土城併設の施設で生育されていました。でも、彼女のような身体的特徴を持つ〈光圀〉は、一人もいない」

「……どういう意味じゃ」

「分かりません。ただ、生育途中で何人もの〈光圀〉候補が死亡したとか。もしかしたら、失敗作として処分されたものの中に、生き残りがいたのかも知んないですね」


 ガゴゼ爺が不快そうに眉を吊り上げた。


「ならば、この娘では〈天帝計画〉は成し得ないのではないか?」

「……それを、今から確かめようってんです」


 ネムと呼ばれた赤毛の女は、のろのろと光圀の寝台に歩いていく。光圀は警戒の姿勢をとった。構え、状況によっては力でねじ伏せてでもここを突破する。そう意識し拳を握ったが、力は端から抜けていく。


「……!?」


 急に体が重くなり、寝台に倒れ込む。寝ている間に、何かされた。何をしたの、とネムを睨むが、当のネムは眉ひとつ動かさない。


「霊的なものの動きを封じる、極小の呪符を薬液に混ぜてあなたの血管に注射した。〈鬼の脊髄〉で駆動するあなたは、しばらくまともに動けないよ」


 光圀は抗議の声を上げようとしたが、横隔膜自体に力が入らず、浅い呼吸しかできなかった。ネムは傍から鉢金のような形をした装置を取り出した。何本もの線が伸びており、見るとそれは光圀の背後の要石に繋がっているように見えた。

 ネムは細い腕で光圀の体を押さえつけ、装置を目隠し帯のように光圀の顔に取り付けた。


「これは〈禍学〉の基本なんだけどね、霊力っていうのは、この星に生きる全ての生命の精神の揺らぎが源になっているんだよ。子どもを産んで嬉しかった、獲物を横取りされて悔しかった。怒り、悲しみ、楽しさ。人間だけじゃない、全ての生命体がこの星で生きている限り、心は動く。心が動いた時に起こるさざなみが、霊力の源。そしてそれは心の中だけで収まっているわけじゃなくて、その心が動いた空間に伝わっていく。さざなみはよりあって集まりあって、大きな流れになる。それが、龍脈。龍脈を流れているのは、言ってみれば、この世界に生きていた生き物たちの記憶なの。私たちは、その記憶の持つ力を霊力として扱っているってことだね」

「何の話……!」

「この装置は、簡単に言うと、貴方の記憶を戻すためのもの。この〈大隠石〉から龍脈に繋がって、龍脈を流れている、あなた自身と深い繋がりのある記憶を呼び込んであなた自身に流し込む」

「……!」

「どうやらあなた、天帝計画のこととか、何も覚えてないみたいじゃない。あなたが〈光圀〉として使えるかどうか、その記憶を呼び覚まして判断させてもらうよ」


 記憶が戻る。それはずっと光圀が求めていたはずのもの。しかし。


「嫌だ……! 」


 天帝計画のために、人を支配する道具になるための記憶なんか、いらない。


「そう言うのは聞いてないんだよ。これはもう、決定事項」

「嫌だ! 離してえっ!!」


 ネムが光圀の頭部に装置を取り付け終わると、視界は完全に塞がる。暗闇の中、ぼう、と紫色の淡い光の点が中央に灯って見えた。それはゆっくり近づいてきたかと思うと、瞬時に視界いっぱいに広がった。光はぎらぎらとした色に変わり、目を逸らしたいのに、目を瞑っても消えることはない。それは眼球ではなく、脳で直接知覚しているように感じられた。

 広がる光から目が逸らせない。よく見ると、それは夥しい量のごく細い光の系がひしめき、流れを作っているようだった。

 その糸が、脳に直接絡みつく。


「う……ッ!」


 体の内部に直接触れられるかのような感覚に、生理的な嫌悪感が走る。糸は脳の皺を一本ずつなぞるかのように弄り、ある一点に辿り着くと、一気に殺到した。何十本、何千本もの触手に、脳を侵されるかのような感触。


「あああああ……ッッ!!!」


 脳に入り込んだ糸から、次々に情報が流し込まれる。光圀は首を振り抵抗するが、脳裏に次々と映像が浮かんでくるのを止められない。

 無龍と凍早に倒され、地下に運ばれたこと。

 煙都でたくさんの団子を食べたこと。

 森で童子と出会ったこと。

 雨の中、はちべえと出会ったこと。

 牛火村でのこと。

 傷心の中、はちべえと再会したこと。

 時系列も何もかもめちゃくちゃに、映像の断片が脳の中を暴れ回る。


 やがて、映像は今の光圀が知らないものに変わっていった。


 夏、どこかの道場。子供たち。冷たい果物。

 燃える屋敷。わたしを抱き抱えて泣く女の人。

 暗い部屋。身体中を戒める鎖。痛い。

 乾いた風。沢山の小さな人たち。

 またきょうだいがいなくなった。

 暗い部屋。扉を開けると。

 痛い。争う声。怯えた顔。

 光に溶ける。

 暗い部屋を出たら。

 沢山の小さな人たちが、わたしをみて怯えている。

 痛い。助けて。

 差し出した手は。


「あ、ああああ……!!!」


 触れた途端に、人々は砕け散っていく。

 爆散する人体。血と臓物の匂い。

 あたり、一面の。

 女の人が、誰かを必死で逃している。

 壊れた風車。

 怯え切った顔。

 はちべえの。


「あああああああああッッッッ!!!!」


「ネム、これは大丈夫なのか?」

「龍脈からの情報流はこんなもんじゃない。これに耐えられないなら、どのみち使えないってことです」


 光圀が泡を吹き痙攣を始める。ガゴゼ爺は流石に面くらったが、ネムは事もなげに眺めていた。


「でも頭領、多分これ、当たりですよ。ぶっちゃけ、失敗作だったりしたら、もうこの段階でとっくに死んでます。脳みそと背骨が耐えきれなくて。しんどそうですけど、多分、最低限使えないことはない」

「ふむ」

「なまじ人格があるから、感情的な拒否反応が出てるだけですよ。入れ物が壊れなきゃ〈天帝計画〉には差し支えないです」

「なるほど、ならば問題ない。これが何を考えるかは、儂等が決めれば良いだけの話じゃ」


 そんな会話を、無龍と凍早は腕を組みながら聞いていた。


「……おおよそ知ってはいましたが、なかなか壮絶なものですね」

「〈光圀〉としての職責を全うするためにああしているに過ぎない。我々が死ぬまで忍びであるのと同じように。……役割があるだけ、幸せとも言えるのかもしれないな」

「……?」

「いや、戯言だ。忘れろ」

「は」



 凍早は無龍に向けていた視線を光圀に戻す。その途端、遠くで爆発のような音が聞こえた。瞬間、凍早は扉に向かって駆け始める。が、無龍が制止した。


「無龍様……!」

「構わん、ここに居ろ」

「しかし」

「無意味だ。もう、ここに来る」


 無龍の異常発達した聴覚は、凍早よりも早く、正確に状況を把握していた。爆発を起こしたものが何者で、どのように移動しているのか。

 把握したからこそ、


「無龍様……?」


 無龍の顔は自然と笑みをこぼしていた。長年付き従ってきた凍早すら数えるほどにさえ見たことのない、好戦的な笑み。


「許せよ、凍早」

「……?」

「俺としたことが、相手を過小評価していたのかもしれん。お前も認識を改めろ」

「何の……」

「来るぞ。構えろ」


 と、無龍が呟くのと全くの同時に、轟音。

 天井に大穴が空いた。たちまち、夥しい量の水が流れ込んでくる。

 大瀑布〈龍の口〉の滝壺近くにある〈大隠石〉を囲うために作られたこの部屋、元々排水口が大量に設置されているが、流石にこの水量は想定されていない。見るまに足首あたりまで水位が上がってきた。

 何かが落下してきた。水柱が上がる。


「!?」


 水煙が晴れると、そこには二人の影があった。

 八兵衛と、赤鬼・倶炎童子。

 その姿を認めた時、無龍は思わず言葉をこぼした。


「待っていたぞ、〈八〉」


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