第二十話「そんなになるまで頑張っちまって。ばかだな、お前は」

※※※


 無数の刃の風車は、雀蜂の大群のように八兵衛を追尾する。


 〈華斬車〉を実戦に耐えるレベルで操作するには、並の武器の数十倍の練度が必要となる。〈七〉の身体に染みついた反射と、その死せる脳髄に刻まれた呪術によるシンプルなプログラムのみでこれだけの複雑な挙動をこなすのは、屍操術を開発する過程で誰も想定すらしていなかった。飄々と不真面目な振る舞いをしてきた〈七〉が、生前にいかほどの鍛錬を積んでいたのか、それを伺い知った時、さしもの無龍でさえも絶句したという。柔軟な状況判断こそ不可能だが、対少人数の戦闘においては、生前とほぼ遜色のない冴えを見せているた。

 しかし。〈最速〉を超えた〈神速〉の領域に踏み入った八兵衛には、〈七〉の機械操術すらも攻略は容易い。〈華斬車〉よりも遥かに速く駆けることができる以上、いかに複雑なフォーメーションを組まれたとて、大外から回って回避することも、一本一本操作用の鋼鉄線を切断することも容易な以上、その一切が通用しない。人の限界を極めんとした忍びの技からは、人外の領域はあまりに遠かった。だが。


「……!?」


 人の意思ならぬ呪術による指令によって駆動する屍もまた、人外の領域に迫る存在であった。通常、人は自らの身体を破壊しないよう、制限しながら力を使う。だが、意思のない屍である〈七〉は、自らの身体が破綻することを厭わず、〈目の前の敵を、技を尽くして排除せよ〉との指令に従い続ける。八兵衛の速度に追い縋るために走るたびに、その運動強度は人体の構造的限界を超える。骨が折れ、皮膚が裂け、筋肉の繊維は千切れていく。意思のない身体が、八兵衛を抹殺しようと、めちゃくちゃに〈華斬車〉を放っていく。


「やめろ……」


 一挙一動ごとに〈七〉の身体が崩壊していく。その様は、狂った操り人形のようでもあり、滑稽にすら見えてしまうことが悍ましかった。


「もうやめろ!!!」


 八兵衛は減速し、〈七〉の崩れていく身体を抱き止めた。生きている人体とは決定的に違う、温度のない硬直した感触。〈七〉の身体は排除すべき敵の姿を眼前に認め、手を振り回すが、すでに四肢を駆動させるための組織は壊れ切っていた。


「もういいんだ、ナナ姉! もう、休もう!」


 屍兵を沈黙させるには、脳髄に刻まれた呪法を無力化させるしかない。つまり、脳を物理的に破壊するしかない。

 頭を潰す。

 そんなことが、自分にできるのか。

 一度見捨てて逃げておきながら、なんと身勝手な、と自分でも思う。

 あの日から逃げ続け、走り続け、気づけばナナは生ける屍となり、八兵衛は鬼との混ざり物になっていた。


「どうして、こんなに遠くまで来ちゃったんだろうな、俺たち」


 あの日、二人で死んでいたなら、苦しまずに済んだのか?

 甘い絶望が這い寄る。しかし、と、振り払う。

 でも、今は生きる理由がある。自分を生かしてくれた者たちに報いるために、どんな姿に成り果てようとも、生きて、走る。そして、


「俺が報いたい人には、ナナ姉だって入ってる。だから俺は、生きる」


 八兵衛の目から涙が流れるが、身体中に纏った高熱によってすぐに蒸発していく。

 人差し指を立て、渾身の力を込める。


「生きて、俺は俺だって胸張って言えるようになることが、ナナ姉に報いることだって思うんだ。だから……!!」


 〈神速〉の最高速で、この指を前頭葉に打ち込めば、術式を破壊して、〈七〉を止められる。

 俺がやる。俺が止める。

 俺が、殺す。

 その恐怖を塗りつぶすように、悲しみを振り払うように吠えると、〈七〉の眉間に向かって、指を突き込んだ。

 寸前。


「!!??」


 一基の〈華斬車〉が高速で飛来していた。すでに八兵衛の耳あたりにまで迫っている。八兵衛が組みついた時のことを予期して、事前に待機させていたのか。人智を超えた高速と、それに対応した反射神経を手にしていても、意識外からの攻撃には反応することはできない。八兵衛は目標を切り替え、〈華斬車〉を迎撃しようと振り返ーー

 る、ことはできなかった。


〈ハチは貧弱だからさ、あたしがやってやんないとな〉


 声が聞こえた気がした。

 〈七〉が、微笑んでいた。出会った日に見せたような、どこか寂しげな微笑み。

 そんなことが、あるはずが、ないのに。


「ナナ姉!!!!」


 八兵衛が叫んだ瞬間、飛来した〈華斬車〉は軌道を切り替え。

 〈七〉の側頭部にその刃を深く突き刺した。

 血の一滴もこぼれない。だが脳髄に刻まれた呪法はその効力を失い、〈七〉の身体を動かす力は消滅した。全身から力が抜け、だらりと崩れ落ちる。八兵衛はその体重を感じていた。


「今……今、ナナ姉。声が」


 ゆっくりと地面に横たわらせる。すでに死している肉体は、当たり前のように動かない。

 屍兵を動かす呪法は、書き込まれた行動要件のプログラムと、そして、とっくに朽ちているはずの肉体を維持するためのものであった。その呪法の効力が失われた今、


「あ……ああ……身体が……ナナ姉……!」


 〈七〉の身体は、枯れ葉のようなものに分解されていく。

 砂時計の砂が落ちるように、儚く、散っていく。

 八兵衛はそのかけらを集めようと反射的に手を動かすが、触れた端から粒子となって消えていく。

 もう、〈七〉の身体は胸から上しか残っていない。

 ずっと張り付いたような無表情だったはずのその貌は、なぜか穏やかなものに見えた。

 また守られた。

 俺が、ナナ姉を殺してしまうという罪から。


「ごめん……ごめん。ナナ姉。ごめん。何もできなかった。俺、あんなにナナ姉から色んなものをもらったのに、何も返せなくて。逃げた。最低だ、俺は。今だって、こんな力を貰っても、俺はナナ姉に何もできなかった。助けたかったのに。やっぱり俺は」


 微笑みを浮かべたように見える口元だけが、八兵衛の腕にある。


(そんなになるまで頑張っちまって。ばかだな、お前は)


「頑張りたかったんだよ。俺は、ずっと。あんたが待っててくれたから。俺、ナナ姉と一緒に行きたかったんだ。ナナ姉となら、どこにだって。でも」


(お前はもうどこにだって行けるよ。その速さで)


 それは、ただの幻聴だったのかもしれない。自分の望む言葉を、聞こえたと思い込みたかっただけかもしれない。


 やがて、〈七〉の身体は完全に消滅した。

 手のひらに、〈華斬車〉の一つだけを残して。

 八兵衛の嗚咽は、慟哭となった。


「会いたいよ。ナナ姉。もう一度。せめて、もう一度だけでも」


 その声に応えるものは、何もなかった。

 だが、八兵衛を後ろから包む腕があった。

 大きな腕が抱きしめる。きつく、きつく。


「はちべえ……はちべえ……!!」


 光圀もまた泣きながら、何度も八兵衛の名を呼んでいた。

 慰めの言葉も、励ましの言葉も、何もない。ただ、そこには号泣する二人だけがいた。


「みんな、俺に何かを渡していなくなるんだ。童子も、ナナ姉も」


 つぶやいた八兵衛の背中を強く抱く。


「わたしは、いなくならないよ。もう、いなくなりたいなんて思わない。絶対に」


 両手に力が入るのを八兵衛は感じた。


「生きなきゃダメなんだ。生きてる限り。生きるよ。生きて、わたしの世直しをするんだ。はちべえと一緒に」


 一緒に。

 その言葉を聞いた時、また涙が流れた。

 だがそれは、先ほどまで流していたものと、どこか違う温度だった。


 その時。


「驚いたのう、これがあの〈八〉か」


 声に弾かれたように身構える。

 そこには、ガゴゼ爺と無龍が立っていた。


「思わぬ収穫じゃ。鬼の身体との適合がうまくいくと、こういうことにもなるのか」

「一応、かつての天帝計画の副産物として、偶然成立したって記録はありますね。脊髄以外の部位の移植による身体強化。適合したっていう例は、過去に数例あるかないかくらいですが」


 背後にはネムも控えている。


「どれ、〈八〉よ。今一度問う。儂らと共に来ぬか。今のお前の力なら、忍軍の歴史に残る功績も残せよう」


 傍の無龍が、絶えず殺気を放っている。無龍ははなから、八兵衛が恭順するとは微塵も思っていないように見えた。

 その通り、答えは決まっている。

 お断りだ、そう八兵衛が口を開きかけた時。


 連続する爆発音が、忍び里中に響き渡った。

 あちこちから爆発音と共に炎が上がる。爆炎の赤い光を背負い、二つの影が立っていた。


「やば、ちょっと爆薬多すぎたかな」

「ちょっと、ではないでしょう。全員吹っ飛ばす気ですか、あなたは」


 その懐かしい声に、光圀と八兵衛は口を閉じることができなかった。

 何故ここに。そんなことを問いかけるより先に、その二つの影はこちらに近づいてくる。


「おー! やっぱり居た、みっちゃん!」

「探しましたよ、お嬢」


 優しい声がした。

 

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