第51話 メイド、作り笑顔で乗り切る

 コンコン、と扉がノックされる。

 慌てて顔を上げると、鏡に映る自分と目が合った。


 酷い顔……。

 メイクはぐちゃぐちゃだし、瞼が腫れてる。これじゃ、泣いたって丸分かりだわ。


「アリス、客は帰ったぞ」


 ランスロット様だ。


 どうしよう。

 顔を見られたら、確実に泣いていたのがバレてしまう。それに、使者との話を盗み聞きしたこともバレてしまうかもしれない。


「アリス?」


 だめ。なにか言わないと……!


「ら、ランスロット様! 申し訳ありません、私、今着替え中で……!」

「着替え?」

「部屋で紅茶を飲んでいたら、服にこぼしてしまったんです! 着替えて服を洗ったら、すぐに仕事に戻りますから!」


 いつも以上に明るい声で叫ぶ。

 すると、ランスロット様の笑い声が聞こえてきた。


「お前はドジだな。急ぐ必要はないぞ」


 次いで、足音が聞こえる。きっと、ランスロット様が立ち去っていく音だ。


 よかった。


「でも、どうにかしないと……!」


 メイクはやりなおせばなんとかなる。

 腫れた瞼は……なんとか、メイクで誤魔化すしかないわね。


 泣いていたことも、盗み聞きをしていたことも、ランスロット様には知られたくない。


 だって今、ランスロット様からお見合いの話なんて聞きたくないもん……!


 ランスロット様のことを考えれば、見合いなんてしないでほしい、と泣きつくことはできない。

 でも、笑っておめでとうなんて言えるほど、私は大人になれない。


 だけど、自分の気持ちだけを優先できないくらいには、私はもうランスロット様を愛してしまっているのだ。


「……もしかしたら、スカーレット様も、同じだったのかしら?」


 望まぬ結婚を受け入れることは、かつての恋人のためだったのかもしれない。


 相手のために身を引き、好きでもない相手と結婚する。

 しかしそんな生活の中でも大好きな相手を忘れられず、愛しい人の血を引く唯一の息子を大切に思っている……。


 ただの妄想だ。でも、もしそうなのだとしたら、あまりにも悲しすぎる。


「私、どうすればいいの?」





「おやすみ、アリス」

「おやすみなさいませ、ランスロット様」


 笑顔でそう言って、頭を下げる。

 部屋へ向かうランスロット様の背中を見ながら、私はそっと息を吐いた。


 なんとか、怪しまれずに乗り切ったわ……!


 夕食の間も、その後も、ランスロット様が使者の話をすることは一度もなかった。

 そのためお見合いの話はもちろん、スカーレット様の誕生日パーティーへ招かれたことも、私は知らないことになっている。


 部屋に入り、ベッドに勢いよく飛び込む。


「……気づいてほしい、なんて、面倒くさい女よね」


 いつも通りの自分を演じ、何事もなかったかのように振る舞ったのは私だ。

 それなのに、いつもと違うはずの自分に気づいてほしいと、心の隅で願ってしまう。


「っていうか、ランスロット様がどう返事したのか、気になってしょうがないし……!」


 聞くのが嫌で逃げてしまったけれど、そのせいで、ランスロット様が使者にどんな返事をしたのかが分からないのだ。


「はあ……」


 溜息を吐いた時、扉がコンコン、と控えめにノックされた。

 慌ててベッドから下り、扉を開ける。


「ランスロット様……」

「寝ていたか?」


 ランスロット様の視線が私の髪に向けられていることに気づき、慌てて髪を整える。

 ベッドでごろごろしていたせいで、変な癖がついてしまっていたらしい。


「いえ。……なにかご用でしょうか?」

「お前の様子が、いつもと少し違った気がしてな」


 ランスロット様、気づいてくれたの?

 そして、わざわざ部屋にきてくれたの?


 それだけで嬉しくて、胸がいっぱいになってしまう。


「なにかあったか?」


 どうしよう。もう、素直に言ってしまっていいの?


「……今日きた使者のこと、気にしてるのか?」


 どう反応していいか分からずにいると、ランスロット様は優しく笑って私の頭を撫でてくれた。


「あんな奴のことは気にしなくていい。身分で人を露骨に差別するような奴も多いが、そんな奴のことでいちいち気を病む必要はない」

「ランスロット様……」


 違うの。私、あの人の態度が悪かったことなんか、どうでもよくて忘れてたくらいだもん。


「もし今後、お前に失礼な態度をとるような奴がいたら、すぐに教えてくれ」

「ランスロット様……ありがとうございます」

「ああ。じゃあ、おやすみ」


 そう言って立ち去ろうとしたランスロット様の手を、とっさに掴んでしまう。

 驚いた顔で振り向いたランスロット様に、私は勇気を振り絞って聞いてみた。


「結局、あの人はどんな用事でここへきたんですか?」

「パーティーの招待状をもらっただけだ」

「……それを、わざわざ?」

「そうだ。どうしても参加させたいらしい」


 ランスロット様、お見合いのことは教えてくれないの?

 私には、教えたくないの?

 言えば、私が傷ついてしまうから?


 気を遣ってくれるのは嬉しい。でも、どうせいつか分かることなら、早く伝えてほしい。


「どうかしたか? まだ、なにか気になることでもあるのか?」

「いえ……その、パーティーには参加するのかな、と」

「考え中だ。決まったら、アリスにもちゃんと伝える」


 ありがとうございます、と私はとびきりの作り笑顔で言った。

 おやすみ、と言って去っていくランスロット様を、今度はちゃんと見送る。


 部屋の扉を閉めて、ベッドに横になる。

 瞼を閉じても、なかなか眠くならない。


「ランスロット様……」


 ぎゅ、と布団を思いっきり抱き締める。無性に寂しくて、泣きたくなった。

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