第15話 メイド、ご主人様のデレに落ちる

「それで、とにかく砂糖が多ければ美味しくなるんじゃないか? なんて考えたんですけど、大失敗しましたね」


 あの時は最悪な気分でしたよ、とサイモンさんが笑った。


 サイモンさんによる料理の失敗エピソードは、結構面白い。

 調子に乗って材料を増やし過ぎたり、新しい物を作ろうとして相性の悪い食材を組み合わせてしまったり。

 楽しく話してくれているけれど、彼が試行錯誤を繰り返していることも伝わってくる。


「サイモンさんって、本当に料理が好きなんですね」

「はい。最初は必要に迫られて始めたんですが、やり始めると、楽しくなってきてしまって」

「すごい。私なんかどうすれば料理せずに済むかを考えてましたよ」


 一人暮らしを始めてすぐの時は、自炊のために食器や調理器具を買った。

 しかしどうやら私には料理の才能も、料理を楽しむ才能もなかったらしく、私はすぐに自炊を放棄するようになったのだ。


「お菓子だけじゃなく、料理も得意なんでしょう?」

「はい。そうだ。よければ今度、ぜひうちに……」


 サイモンさんが瞳を輝かせた時、おい、と低い声が後ろから聞こえてきた。


「ご主人様!?」


 振り向くと、不機嫌そうな顔をしたランスロット様と目が合った。

 ランスロット様はちら、とサイモンさんへ視線を向けて、不快そうに溜息を吐く。


「誰だ、こいつは?」


 冷ややかな声に、サイモンさんは慌てて立ち上がった。深々と頭を下げ、大声で叫ぶ。


「マティスの息子、サイモンと申します!」


 聞いておいて、ランスロット様は何も答えない。


 さすがに態度、悪くない?

 ……でも、もしかして私のこと、探してくれたの?


 気のせいかもしれないけれど、ランスロット様はかなり汗をかいているように見える。

 息も少し乱れているような気もするし、走って私を探してくれたのかもしれない。


 でも、ランスロット様がわざわざ?

 ヴァレンティンさんに頼むんじゃなくて?


「アリス」


 怒ったような声で名前を呼ばれ、びくっと全身が震えてしまう。


「仕事中だぞ」

「……申し訳ありません」


 私は仕事中に逃げ出した。それは曲げようのない事実だ。ランスロット様が怒るのも無理はない。


「サイモンさん、失礼します」

「あ……はい」

「今日はありがとうございました。また、休みの日にでもお話しましょうね」


 笑顔で言って、軽く頭を下げる。ランスロット様の視線が鋭くなった気がしたけれど、仕方ない。


 だってさすがに、何も言わずに帰るわけにはいかないでしょ。


「戻るぞ」


 ランスロット様はそう言うと、私の返事も待たずに歩き出してしまった。





 少し歩いたところで、ランスロット様は急に立ち止まった。

 後ろを歩いていた私も、なんとなく距離を空けて立ち止まる。


「アリス」


 振り向いて、ランスロット様は私を見つめた。


「……さっきは、悪かった」

「え?」


 予想外の言葉に、頭が混乱する。


 今、悪かったって言ったよね? ランスロット様が、私に謝ったの?


「お前を傷つけるような、酷いことを言ってしまった。申し訳ない」


 ランスロット様は私に歩み寄ってきて、深々と頭を下げた。


『大丈夫ですよ、気にしてませんから!』

『もう、あんな言い方されたら、私だって傷ついちゃうんですからね?』


 頭の中に、いつもの私らしい対応が何通りも浮かぶ。

 けれど私の口はいつもみたいに動いてはくれなくて、代わりに、瞳から涙があふれた。


 嘘。私、泣いてるの? なんで?


「あんな言い方をしたのは、俺がむかついたからだ」

「……むかついた?」

「行商相手に笑顔で話しているお前を想像したら、腹が立った」


 気まずそうに目を逸らしながら、でも、はっきりとランスロット様はそう言った。


 なにそれ。

 そんな言い方されたら、嫉妬したとしか思えないんだけど。

 私が笑顔で他の人に話したから、嫉妬したってこと?


 メイドカフェで働いていた時、そういう面倒なお客さんもいた。

 自分だけが特別な存在だと思い込み、他の客と楽しそうに話すところを見ては不機嫌になっていたのだ。


 ランスロット様もそれと同じで、嫉妬して、あんな言い方しちゃったってこと?

 つまり嫉妬するくらい、私のことが好きなの?


 私が驚いて何も言えずにいると、ランスロット様が言葉を続けた。


「明るくて愛想がいいのはお前の美点だ。あんな言い方をしてしまって、本当にすまない」

「ご主人様……」

「さっきも、謝るつもりだったのに、お前が若い男といてむかついた」


 ねえ、やっぱりご主人様、嫉妬してたってこと?

 そうだよね? だって、そうとしか聞こえないもん。


 どうしよう。めちゃくちゃ嬉しい。


 嫌なことを言われた苛立ちや、悔しさや辛さがあっという間にどこかへ行ってしまう。

 私の機嫌を窺うように向けられた眼差しが気持ちよくて、自然と笑顔があふれた。


「まったく、仕方ないですね! ご主人様は素直じゃないんですから! 私じゃなかったら、もう仕事辞めてるところですよ」


 自分でも、声が弾んでいるのが分かる。

 だけど、嬉しいんだから仕方ない。


「ああ。お前でよかった」


 目を細め、ランスロット様が穏やかに笑う。

 どくん、と私の心臓が派手に飛び跳ねた。


「戻ったら、一緒に果物でも食べないか」

「一緒に?」


 今まで、ランスロット様と一緒に何かを食べたことはない。

 それはヴァレンティンさんだけの特権で、私はいつも厨房か自分の部屋で食べていたから。


「ああ。そうだ、その……」


 私を見て、ランスロット様が照れたように笑う。


「美味しくなる魔法とやらを、果物にもかけてくれ」


 自分で言って恥ずかしくなったのか、ランスロット様の頬は少し赤くなっている。

 その表情が、どうしようもなく可愛く見えた。


 あー、だめだ。私もう、完全にこの人に落ちちゃった。

 不器用で、素直じゃなくて、嫉妬深い。

 めちゃくちゃ面倒くさいはずなのに、胸が高鳴ってしょうがない。


「分かりました。アリスがとびきりの魔法、かけてあげますから!」

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