第16話 メイド、仕事の邪魔をされる

「アリス、紅茶でも飲まないか」

「はい、ぜひ! あ、でも私今、廊下の掃除中で……」


 一階の廊下を掃除していると、自室から出てきたランスロット様に声をかけられた。

 今日も部屋にこもって絵を描いていたようだが、キリがいいのだろうか。


「掃除は後でいい。いや、今日はしなくてもいいだろう。別に、たいして汚れてもいないしな。ヴァレンティンにも、そう伝えておく」


 そう言うとランスロット様は頷き、階段を下りてきた。

 私が驚いている間に、ランスロット様は厨房へ向かう。


「ヴァレンティン。アリスを借りるぞ」

「ええ、どうぞ。紅茶も必要ですか?」

「ああ」


 ランスロット様が自ら紅茶をのせられたトレイを持とうとしたところで、私は慌てて厨房へ入った。


「私がお運びします!」


 ランスロット様はすぐに部屋へ向かって歩き出した。私が立ち止まっていると、振り向いて早くしろ、と促してくる。

 そしてヴァレンティンさんは嬉しそうに笑いながら、仕事は気にせずに、なんて言ってくるのだ。


 さすがに最近の私、仕事してなさすぎじゃない?


 初めて一緒に果物を食べた日から、私は二人の食卓に加えてもらえるようになった。

 それだけじゃなく、こうして仕事中にランスロット様から呼び出されることも多い。


 何気ない話をしながら紅茶を飲む時間は、私にとって癒しだ。

 好きじゃないどころか、嫌いな掃除をやらされるよりずっといい。


 でもやっぱり、まだ慣れないのよね。

 私のことを気に入ってくれたのは、めちゃくちゃ嬉しいんだけど。


 私がトレイを持っているから、ランスロット様が部屋の扉を開けてくれた。

 中を覗き込むと、部屋の中央には真っ白なキャンバスがおかれている。


「以前描いていた物は、書き終わったんですか?」

「ああ。それも、お前に見せようと思ってな」


 部屋の奥から、ランスロット様が一枚のキャンバスを持ってくる。

 先日、描いているところを見た、この部屋の窓から見える空を描いたものだ。


「わあ……」


 前見た時、既にもう綺麗だったけど、あれからこんなに変わったのね。


 私は絵に詳しくないから、細かいことは分からない。でも、たくさんの色を重ねたのだということは分かる。

 黒だとか青だとか、一色を示すような言葉では表現できないほど繊細な色。

 現実の風景を切りとっているのに、どこか幻想的な雰囲気もある。


「すごい。本当にすごいですね、ご主人様」


 トレイをテーブルの上に置き、絵に近寄ってじっと眺める。

 細部を見れば見るほど、丁寧に描かれているのが伝わってくる作品だ。


 私が最後に絵を描いたのは、たぶん高校一年生の美術の授業だ。

 絵を描くのが苦手で面倒くさがりな私は、色を重ねるなんて発想がなかった。


「見たものを描いただけだ」


 そう言ったランスロット様の表情は柔らかくて、絵を描くことが本当に好きなんだということが伝わってくる。


「じゃあ、ご主人様の目には、こんなに綺麗に空が映ってるんですね」


 たぶん私とランスロット様では、物の見方が全く違うはずだ。

 その感覚を共有することはできないけれど、こうして彼が見たものを絵で見ることができるのは嬉しい。


「次は、何を描くんですか?」


 真っ白なキャンバス。そこに、ランスロット様はどんなものを描くつもりなのだろう。


「お前だ」

「え?」

「今度は、お前を描こうと思っている」


 ランスロット様は真っ直ぐな眼差しで私を見つめている。冗談を言っているわけではないようだ。

 そもそもランスロット様は、冗談を言うようなタイプではないだろう。


「……私を?」

「ああ。あまり人物画は描かないから、上手くできるかは分からないが」


 まずは下書きからした方がいいだろうな、なんて言いながら、ランスロット様が棚から紙と鉛筆を持ってくる。


「どうして、私を描くことにしたんですか?」


 ランスロット様は私を見つめて、得意げな顔で笑った。


「俺は、美しいと感じたものを描きたくなるんだ」


 ランスロット様って、こんなに直接的な褒め言葉をくれる人だったの?

 私、こんなに褒められると、調子が狂っちゃうんだけど……。


「お前は、ただ椅子に座っているだけでいい」

「え? 私、座ってないといけないんですか?」

「当たり前だろう。馬鹿なのか? どこに動くモデルがいるんだ」


 呆れたようにランスロット様が言った。馬鹿なのか? なんて言われたのはちょっとむかつくけれど、口調があまりにも柔らかかったから文句は言えない。


「……私、その間の仕事はどうすればいいんです?」

「主人の命以上に、優先すべき仕事なんてあるのか?」


 そう言われてしまったら、何も言えなくなってしまう。

 さっさと座れ、と言われて、私は椅子に腰を下ろした。

 するとランスロット様が無言で紙に下書きを始める。


 私、ずっと黙ってここにいて、ランスロット様に見つめられなきゃいけないの?


 絵を描き始めると、ランスロット様の顔つきは真剣なものになった。私を見つめる眼差しも変わる。

 まるで、私の奥まで覗き込もうとするような、鋭い視線。


 どくん、どくんと心臓がうるさい。


 今の私、どんな顔してるの?

 ランスロット様は、どんな私を描くつもりなの?


 ああもう、なんだか、本当に調子が狂っちゃう。

 でもまあ、順調に溺愛ルートに進んでる、ってことでいいのよね?

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