第17話 メイド、差し入れをもらう

「アリスさん、玄関の掃除をお願いできますか?」


 朝食を終えると、ヴァレンティンさんにそう言われた。断る理由もなく、すぐに頷く。


 掃除は嫌いだけど、思ってた以上にモデルって疲れるんだもん。


 ランスロット様の絵のモデルになってから、既に三日が経過した。

 黙って座っているというだけでも少しきついのに、じろじろと観察されるのだ。照れるし、正直、かなり居心地も悪い。


「掃除が終わったら、すぐ部屋へこい」


 立ち上がりながら、ランスロット様がそう言った。彼の横で、ヴァレンティンさんがくすくすと笑う。


「仲がいいようで、私としては嬉しい限りですよ」


 ランスロット様はヴァレンティンさんの言葉を否定しない。

 私に目線を向けて軽く微笑むと、そのまま居間を出て行った。


「分かりやすい方でしょう、坊ちゃんは」

「……まあ、思っていたよりは」

「人見知りですが、一度心を許した人間に対しては、可愛らしいんですよ」


 ヴァレンティンさんは目を細めて笑った。


 私、心を許してもらえてるってことでいいのよね。

 正直、何がきっかけなのかは、いまいち分かってないんだけど。


 未だにランスロット様の態度に戸惑ってしまうことはある。

 けれど、なかなか人になつかない猫になつかれたような優越感があるのも事実だ。


「私、掃除してきますね」

「ええ。お願いします。私は昼食の用意をしていますので」


 今なら雑に掃除をしても、ランスロット様から注意されないのかも。


 ちらっとそんなことを考えたけれど、すぐに頭を振ってその考えを打ち消す。

 いい加減な仕事を見逃してもらったとしても、ヴァレンティンさんに迷惑をかけることになってしまう。

 優しくしてくれる上司を困らせるようなことは、さすがにしたくない。


 久しぶりの掃除だし、気合を入れて頑張ろう。





「うん。だいぶ綺麗になったかな」


 掃除道具を片付けよう、と思ったタイミングで、ちょうど扉が何度かノックされた。

 とりあえず近くに道具をおいて、扉を開く。


「なにかご用で……あっ、サイモンさん!」


 扉の前に立っていたのは、先日村で会った青年だった。


「もしかして、私に会いにきてくださったんですか?」

「それもありますが、実は今日は、父に頼まれてきたんです」

「お父さんに?」

「ええ。僕の父はここの村長なんです。3カ月に一度みんなから税を集めて、伯爵様に渡しているんです」


 そう言うと、サイモンさんは鞄から重そうな革袋を取り出した。

 おそらく、その中にお金が入っているのだろう。


 そういえば村長の息子って言ってた気がするな。

 それにしても現金手渡しって、だいぶ古典的なのね。


「では、ご主人様を呼んできますね」


 他の物ならともかく、さすがに金を代わりに受け取ることはできない。

 私が動こうとすると、待ってください、とサイモンさんに呼び止められた。


「これ、アリスさんに渡そうと思って作ってきたんです」


 サイモンさんは鞄から、小さな袋を取り出した。

 袋を開けるよりも先に、甘い匂いを鼻が感じとる。


「もしかして、お菓子ですか!?」


 慌てて中を確認すると、中に入っていたのはクッキーだった。やはりこれもバターを大量に使っているのだろう、いい匂いがする。

 それに、ドライフルーツがのせられたものや、ココア味のものなど、いろいろな種類のクッキーが中に入っていた。


「美味しそう……」


 サイモンさんがくれたカップケーキは本当に美味しかった。

 きっと、このクッキーも絶対に美味しいはず。


「差し入れです。よかったら食べてください」

「絶対食べます。でも、もったいなくてなかなか食べられないかも」

「早く食べてください。また、いつでも作りますから」


 そう言ってサイモンさんは爽やかに笑った。


 なんか、本当に正統派って感じね。

 どこか気怠そうな雰囲気と色気を纏ったランスロット様とは、全く違うタイプだ。


「本当にありがとうございます。じゃあ、ご主人様を呼んできますね」

「……あ」


 私が振り向くよりも先に、サイモンさんが慌てて頭を下げた。


「アリス、客か?」


 階段を下りる足音が聞こえてくる。振り返ると、少しだけ不機嫌そうな顔をしたランスロット様が立っていた。


「ご主人様!」


 素早く階段を下りてきて、ランスロット様が私の横に並ぶ。

 それでもしばらくの間サイモンさんは頭を下げたままで、ランスロット様が許可をすると、ようやく顔を上げた。


「伯爵様。マティスの息子、サイモンと申します」

「知っている。うちのメイドに、なにか用事でも?」


 出会った当初くらい、ランスロット様の声は冷ややかだ。


 もしかしてまた、嫉妬してるの?

 それとも、人見知り?


 なんにせよランスロット様って、見た目に反して、結構子供っぽいところもあるよね。


「いえ。今日は、伯爵様に税を納めにきたのです。父が、足を怪我してしまって」

「怪我?」

「はい。軽く転んで足を痛めただけですが」

「……安静にするように、と伝えておけ」


 ぶっきらぼうにそう言うと、ランスロット様はサイモンさんからお金の入った革袋を受け取った。


「それと、これが報告書です」


 サイモンさんが文字のぎっしり書かれた羊皮紙を鞄から取り出し、ランスロット様へ渡す。


「ご苦労だったな。帰っていいぞ」

「はい。では、失礼します。……アリスさんも、また」


 サイモンさんは去り際に私に目線を送り、軽く微笑んだ。

 その瞬間、ランスロット様が溜息を吐いたのは、きっと気のせいじゃない。


「……ご主人様、分かりやすすぎですよ。焼きもちですか?」


 からかうように言っても、ランスロット様は無言になるだけだ。

 そしてしばらく黙った後で、ぼそっと呟く。


「ずいぶん、あいつに会えて嬉しそうだったな」

「え?」


 責めるような眼差しと、ほんの少しだけ不安そうに見える表情。


 ヴァレンティンさん。ご主人様が可愛いの、私も分かります。


 心の中で上司に話しかける。

 もちろん、返事はない。


「まあ、差し入れもいただきましたしね」


 袋に入ったクッキーを見せると、ランスロット様は興味なさそうに頷いた。


「ご主人様は、あまりみんなとは話さないんですか?」


 返事の分かりきった質問をすると、ランスロット様はわずかに顔を歪めた。


「領民にとって、俺はお飾りの主に過ぎないからな」

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