第46話 メイド、社交界の噂を聞く

「どうぞ、お座りください」


 立っているランスロット様に遠慮して座ろうとしないエヴァンズ男爵に、ランスロット様はそう言った。


「しかし……」


 男爵は困ったような顔をした。おそらく、伯爵であるランスロット様を立たせて自分が座るのは気が進まないのだろう。


「では、私もご一緒に座りましょう」


 ランスロット様がそう言うと、エヴァンズ男爵はほっとして椅子に座ってくれた。


 今、ランスロット様、私って言ったわよね!?

 いつもは俺って言うのに。

 余所行きの一人称、可愛い!


「席も余っているのだから、君も座るといい」


 ランスロット様がアルバートさんに声をかける。アルバートさんは恐縮したように頭を下げ、窺うような眼差しを自らの主人に向けた。


「せっかく伯爵がこうおっしゃっているのだ。座るといい」

「はい。ありがとうございます」


 開いている椅子にアルバートさんが腰を下ろす。

 今日は貸切だから、席はかなり空いているのだ。


「そちらのお嬢さんも」


 エヴァンズ男爵に言われ、私も近くに座った。


「それにしてもまさか、サリヴァン伯爵がこれほど見事な絵をお描きになるとは」


 エヴァンズ男爵はそう呟いて、店内に飾られた様々な絵をゆっくりと見ていく。


「伯爵でなければ、パトロンにならせてくれ、とすぐに頭を下げていましたよ」


 エヴァンズ男爵が楽しそうに笑う。ランスロット様も穏やかに微笑み返した。


 パトロンって確か、芸術家を支援するお金持ちのことよね?

 確かにランスロット様はもうお金持ちだし、貴族だし、パトロンを持つ必要はないわ。


 しかし、エヴァンズ男爵のように社交界でも存在感のある人に応援されることは、ランスロット様にとってとても意義があることだろう。


「周りの者に、サリヴァン伯爵が画家として優れていることを伝えてもよいでしょうか?」


 ぜひお願いします! と大声で叫びたくなるのを我慢し、ランスロット様を見つめる。

 ランスロット様は笑ったけれど、でも、どこか寂しげな笑顔だった。


「しかし、私などと親しくしていることが知られれば、エヴァンズ男爵にとってよくないのでは?」


 そんな……と私が悲しい気持ちになった瞬間、伯爵が不思議そうに首を傾げた。


「なぜです?」


 ランスロット様に気を遣っているようにも見えない。

 ただただ純粋に、エヴァンズ男爵は驚いているように見えた。


「貴方とお近づきになりたい方はいても、貴方と親しくなりたくない方など、社交界にはいないと思いますが……」

「……は?」


 ランスロット様は一瞬ぽかんとした顔をし、慌てて表情を元に戻した。


「どういうことです?」

「おや。サリヴァン伯爵は、自分が社交界でどのように言われているか、ご存知ないのですか?」

「……ええ」


 嘘。どういうこと?

 国王の庶子、という立場のランスロット様に誰も関わろうとしないんじゃなかったの?


「聞かせてくれませんか、エヴァンズ男爵」


 ランスロット様は立ち上がると、深々と頭を下げた。


「頭をあげてください」


 ランスロット様がゆっくりと顔を上げる。

 見たこともないくらい、真剣な表情だった。


「私はたいしたことは知りません。ただの噂好きの老人の話だと思ってください」


 エヴァンズ男爵に言われ、ランスロット様は再び椅子に腰を下ろした。


 どくん、どくんと心臓がうるさい。

 なにを言われるのかと、私まで緊張してしまう。


「社交界に姿を現さない伯爵のことを詳しく知っている人はいません。

 ただ……本人に言うのはどうかと思いますが、噂の種にはなっております」

「聞かせてください」


 はい、とエヴァンズ男爵が頷く。


「伯爵は国王陛下と娼婦の間に生まれた子だと発表されています。

 しかし、本当に娼婦の子なのか? と怪しまれているのです」

「……なぜです?」

「王都から離れた土地とはいえ、爵位を与え、貴族として遇しているからです。

 本当はただの娼婦ではなく、国王陛下が愛する方の子では、という噂があるのです」


 娼婦の子にしては好待遇すぎる、ということかしら。


 実際ランスロット様は、娼婦の子ではなく、王妹の子だ。

 父親が誰かは、分からないけれど。


 当時王女だった彼女の恋人ってことは、それなりに身分が高い人が相手だったのかしら?

 それともアニメや漫画みたいに、お付きの騎士……とか?


「私の出生について、いろいろと噂されているのは分かりました。

 ですが、どうして、そんな私と関わりたいと思う人がいるんでしょう」

「それは、ある日の仮面舞踏会がきっかけです」


 エヴァンズ男爵は胸元からハンカチを取り出し、額の汗を拭った。


「仮面舞踏会は無礼講ですから、皆の気が緩んでおりました。

 そして、羽目を外しすぎた招待客がいたのです」


 ランスロット様は微動だにせず、じっとエヴァンズ男爵を見つめている。


「サリヴァン伯爵のことを、娼婦の子だ、と笑い飛ばした男がいたのです」


 最低だわ。

 本人がいないところで悪口を言うなんて。

 しかも、親のことを持ち出すなんて、どうしようもない人がいたのね。


「周りにいた人は笑いながらも諫めました。仮面舞踏会だからといって、調子に乗り過ぎるなと」

「仮面舞踏会は、お互いに身分を明かさない、という建前のおかげで、かなり盛り上がりますもんね」


 仮面舞踏会って、仮面をつけているだけよね?

 だったらきっと、言わないだけで相手が誰かは分かるはずだわ。声までは変えられないもの。


「しかしそこで、激高した人がいたのです。貴方を侮辱した人は、そのまま社交界を追われました」

「……私を馬鹿にしただけで?」

「ええ」


 怒るだけじゃなくて、社交界から追放?

 そんなに影響力がある人が、ランスロット様のために怒ってくれたの?

 それって、まさか……。


「激高したのは、スカーレット様です。王家に対する侮辱だと」


 王家に対する侮辱……ってことはやっぱり、ランスロット様の本当のお母さんよね?


「……それで、私がスカーレット様のお気に入りだと思われた、ということですか」

「ええ。そのため、サリヴァン伯爵と親しくしたいと望む者が増えたのです」


 気まずい沈黙が室内を満たす。

 ランスロット様は深呼吸して立ち上がった。


「話してくれてありがとうございます。

 ……料理をお持ちします。食後にまた、お話ししましょう」


 私も慌てて立ち上がり、場を明るくするために満面の笑みを浮かべた。


「では、美味しい食事をお持ちいたしますね!」

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