第61話 メイド、ご主人様の母親に連れ出される

「ちょっといいかしら」


 いきなり声をかけられて、慌てて振り返る。

 するとそこには、スカーレット様が立っていた。


 シャーロットお嬢様たちが慌てて頭を下げたのを見て、私も同じように頭を下げる。


「貴女……なんと呼べばいいのかしら?」


 スカーレット様の視線は、間違いなく私に注がれている。

 ゆっくりと顔を上げて、私はスカーレット様に笑いかけた。


「アリスと申します、スカーレット様」


 とにかく笑顔よ。笑ってて悪い印象を持たれることなんてないんだもん。

 私の笑顔って、めちゃくちゃ可愛いし。


「アリス、少しだけ、貴女の時間をもらえない?」


 スカーレット様は私を見つめて、控えめに微笑んだ。

 その笑顔が、どこか怯えているようにも見えるのは気のせいだろうか。


 私みたいな平民が、スカーレット様の誘いを断れるはずないのに。


「もちろんです、スカーレット様」


 私が笑顔のまま頷くと、スカーレット様は安心したように息を吐いた。


「じゃあ、ついてきて」


 手に持っていたグラスを近くの給仕係に渡し、スカーレット様が歩き出す。

 私が慌てていると、シャーロットお嬢様がグラスを回収してくれた。


 ありがとうございます、と小声で礼を言うと、粗相のないようにね、と背中を押される。


 そのまま、スカーレット様は振り返らずに歩き続ける。

 小広間を出て、すぐ近くにある小部屋に入った。


「座って」


 窓もない小さな部屋だ。中には使用人もおらず、完璧に二人きりである。


「失礼します」


 スカーレット様が座ったのを確認して、椅子に腰を下ろす。


「ここは密会用の部屋なの」

「密会用の?」

「ええ。外から見られる心配はないし、声も漏れないわ」


 それはつまり、内緒の話をしたい、ってことよね。


「貴女は、サリヴァン伯爵の婚約者なのよね。元メイド、と聞いているけれど」

「……はい。元々はメイドとして、サリヴァン伯爵にお仕えしておりました」


 今もメイドとしての仕事もやっているのだが、あえて伝える必要はないだろう。


 スカーレット様は、ランスロット様にお見合いをさせようとしていた。

 だから、私のことはよく思っていないのだろうか。


「あの子のことを、どう思っているの?」

「心の底から、お慕いしています」


 真っ直ぐにスカーレット様の目を見つめて答える。

 私の目を見れば、この言葉に嘘がないことは分かってくれるはずだ。


「……わたくしのことは、なにか聞いているかしら」


 探るような眼差しには、期待と不安が混ざっているような気がした。


 公式的には、スカーレット様はランスロット様の叔母だ。

 事実を知っているかどうかを確かめたいのだろう。


 ここで、嘘をついたって意味ないわよね。


「ランスロット様の、実の母君だとお伺いしております」

「そう。事実を伝えるほど、あの子は貴女を信頼しているのね」


 スカーレット様の微笑みは柔らかくて、穏やかだった。

 どう見ても、息子を慈しむ笑顔にしか思えない。


「あの子は今、幸せかしら?」

「幸せだと思います。領民との関係も良好ですし、屋敷ではいつも楽しそうに過ごしていらっしゃいますから」


 スカーレット様はただ、私にランスロット様の話を聞きたかっただけなのかもしれない。


 そう考えると、胸が痛んだ。

 事情があるとはいえ、この人は、実の息子に軽々しく話しかけることすらできないのだから。


「安心したわ。わたくしはただ、あの子に幸せになってほしいだけなの」

「……スカーレット様」

「先日は、見合い話なんて持ちかけてごめんなさいね。あの子に、大切な人がいるなんて知らなかったのよ」


 スカーレット様は、きっと本音で話してくれている。

 根拠はないけれど、確信できる。


「愛する人と一緒になれるのなら、それほど幸せなことはないわ」


 スカーレット様の笑顔は美しくて、儚くて、そして辛そうだった。


 愛する人と一緒になれない辛さを、きっとスカーレット様は誰よりも知っている。

 だからこそ愛する息子に、同じ苦しみを味わってほしくないんだわ。


「あの子は、わたくしを憎んでいるでしょうね」


 はい、とも、いいえ、とも答えられない。

 どうしていいか分からずにいると、スカーレット様は切なげな溜息を吐いた。


「仕方ないわ。わたくしは、なによりもあの子を大切にしてあげることができなかったんだもの」

「それは……」


 どうしよう。私、どこまで踏み込んでいいの?


 何も言わずに、このまま話を終わらせる。それが正解なのかもしれない。

 でもスカーレット様は、誰かに話を聞いてほしかったんじゃないの?


「ランスロット様の、御父上と関係があるのでしょうか」


 スカーレット様が息を呑んだ。


「そうよ」


 スカーレット様が頷く。先程までの弱々しい雰囲気が一瞬で消えた。


「わたくしは、あの子の父親を誰よりも愛していた……いいえ、愛しているの。

 自分自身よりも、そして、あの子よりも」

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