第48話 メイド、お客様を見送る
エヴァンズ男爵が食事を終えると、ランスロット様が再び部屋にやってきた。
少し緊張したように見えた男爵も、ランスロット様の穏やかな微笑みを見てほっとしたようだ。
よかったわ。ランスロット様、いつも通りに戻ったみたい。
これって、確実に私のおかげよね。
ランスロット様のためになにかできたのだと考えるだけで誇らしい。
「食事はどうでしたか?」
声をかけながら、ランスロット様が先程と同じ椅子に腰を下ろす。
様子を見つつ、私もさっきと同じ椅子に座った。
「とても美味しかったです。それに優しい味つけで、私にはとてもありがたかったですよ。
素材の味をいかした料理を提供していらっしゃるんですね」
男爵がそう言うと、正面に座っている夫人も深く頷いてくれた。
「ええ、領地でとれた野菜を使っているので。
それに、男爵にはあまり味が濃すぎないものがいいかと思いまして」
「それはそれは……私のためにメニューを変えてくださったのですか」
「はい。せっかくの貸切ですから」
ランスロット様は得意げな顔で言った。
ヴァレンティンさんがサイモンさんとたくさん話し合って、エヴァンズ男爵が気に入ってくれそうなメニューにしたのよね。
もちろん、元々考えていたメニューと全く違うわけじゃないけど。
「特に、かぼちゃのスープが美味しかったです。
温かくて甘くて、ほっとする味でした」
分かるわ!
私も飲ませてもらったことがあるけど、すごく美味しかったもの。
「気に入ってくださったようでなによりです。料理人たちも喜びますよ」
はい、と笑顔で頷くと、エヴァンズ男爵はわざとらしく部屋中を見回した。
そして、咳払いをする。
「ところで、その……こちらにある絵も、自由に買ってよいと聞いているのですが」
「ええ」
「この絵をいただけませんか?」
エヴァンズ男爵が指差したのは、一番目立つ位置に置かれている大きな絵だった。
夜明けの空を描いた、繊細な作品である。
これ、私もお気に入りなのよね。だから、こんなに目立つ場所に飾ったんだもの!
「もちろんです」
「ありがとうございます。いくらでしょうか?」
男爵の質問に、ランスロット様は少々気まずそうな笑みをもらした。
「実は、値段は決まっていないのです」
「値段が決まっていない?」
「はい。絵を売るのは初めてですから。……それに、実際売れるかどうかも、自信がありませんでした」
ランスロット様の言葉に目を丸くした後、エヴァンズ男爵は頼もしい表情を浮かべた。
「では、私に値段を決めさせてください。
そして、この絵の価格を、今後他の絵を売る時の参考にしてはいかがでしょう?」
それって、すごくありがたいことなんじゃないかしら。
芸術にお金をつけるのはすごく難しいもの。
芸術に詳しいエヴァンズ男爵がつけた値段であれば、適正な価格のはずだ。
エヴァンズ男爵はきっと、私たちを騙して安値で絵を買おうとするような人じゃないし。
「いいんですか?」
「はい。それともう一つ、質問があるのですが……」
エヴァンズ男爵は軽く深呼吸をし、じっとランスロット様を見つめた。
「貴方のことを、素晴らしい画家として皆に紹介してもいいでしょうか?」
皆、というのは間違いなく他の貴族のことだろう。
そうなれば、ランスロット様の穏やかな暮らしは失われてしまうかもしれない。
ランスロット様と親しくしたい貴族たちが、こぞってこのレストランへ押しかけるかもしれないのだ。
話題にはなるし、ランスロット様の絵だってたくさん売れるだろうけど……。
ランスロット様は、他の貴族たちと、どんな風に関わっていきたいのだろう。
「ええ、ぜひ」
ランスロット様は笑って頷いた。
その返事に、私は少しびっくりしてしまう。
「男爵に紹介していただけるなんて、とても光栄ですから」
「ありがとうございます。それから、来月もこの店を予約できますか?」
「もちろんです」
来月の予約について日程確認を始めた二人を見ながら、私はちょっとだけ不安な気持ちになってしまった。
私がここへきた時、ランスロット様はヴァレンティンさん以外とはろくにコミュニケーションをとろうとしなかったわ。
でも今は、領民たちともちゃんとコミュニケーションをとっている。
これからは、より多くの人たちと関わっていくのだろう。
ランスロット様の変化は嬉しい。
でも、ランスロット様にたくさんの居場所ができて、たくさん大切な人ができてしまうのは少し寂しい。
ただでさえ、ご主人様とメイドという関係なのに。
こうして辺境の屋敷でひっそりと暮らしているからこそ、ランスロット様とたくさんの時間を共にできている。
ランスロット様が広い世界へ行くことで、それが変わってしまうことが怖い。
「では、私はそろそろ」
エヴァンズ男爵が立ち上がったのを見て、私も慌てて席を立った。
お客様が帰るのだ。お見送りしなければいけない。
◆
「気をつけてお帰りくださいませ!」
馬車に乗り込む三人に大声で言うと、夫妻が大きく手を振ってくれた。
二人の後ろで、アルバートさんも控えめに手を振っている。
彼らの乗った馬車が見えなくなるまで、私はご主人様と店の前に立っていた。
「初めての営業、大成功ですね!」
笑顔でランスロット様の顔を覗き込むと、ランスロット様も嬉しそうに笑ってくれた。
「ああ。アリスのおかげだ」
「いえいえ、みんなが力を合わせたからですよ! それに、男爵があんなに気に入ってくれたのは、絶対ランスロット様の絵があったからですし」
ランスロット様が照れくさそうに目を伏せる。
私は今日、たいしたことはできていない。普通に接客をしただけだ。
出会った当時に比べれば、ランスロット様はかなり変わった。
今はもう、偏屈な伯爵なんかじゃない。
「アリス」
「はい!」
「屋敷に戻ったら、また絵のモデルをやってくれ。絵を描きたくなった」
「私でいいんですか?」
「アリスがいいんだ」
ずっと同じ姿勢で座っているのは、正直かなりつらい。
でもやっぱり、こんなことを言われたらときめいてしまう。
「もちろん。いくらでもモデルになりますから!」
だからお願い、ランスロット様。
これからもいっぱい、私のことを描いてくださいね。
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