第6話 メイド、上司の優しさに感謝する
「ヴァレンティンさん、居間の掃除、終わりました」
厨房へ行くと、いい匂いに食欲を刺激された。
ヴァレンティンさんは大きな鍋の前に立って、ゆっくりと中を混ぜている。
「おつかれさま。……顔色があまりよくないようですが」
心配そうな眼差しで見つめられ、私は強引に笑顔を作った。
「慣れないお掃除に、少しだけ疲れてしまって! でも、ちゃんと無事に綺麗になりましたから!」
掃除ができていないとランスロット様に指摘された後、掃除をやり直した。
隅の掃き掃除もしたし、濡れていた床は乾いた雑巾でちゃんと拭いた。
完璧な出来だ、と胸を張ることはできないけれど、少なくとも、掃除をする前よりは綺麗になったと思う。
好きでも得意でもないことをやるのって、結構精神が削られるのね。
メイドとして働く以上、これからはこんな機会がいくらでもあるのだと思うと、さすがに気が重くなる。
「アリスさん、今日はもう休んでいいですよ」
「……え?」
まだ、居間を掃除しただけだ。それにまだ夕飯前である。
「無理をしてしまっては、身体にもよくないですから」
ヴァレンティンさんは手に持っていたお玉を離し、しゃがみ込んで棚から瓶を一つ取り出した。
食器棚からコップを出して、瓶の中身をコップに注ぐ。
「よかったらどうぞ。疲れがとれますよ」
コップを受けとり、中の匂いを嗅いでみる。
「レモンジュース……ですか?」
「ええ、正解です。この村でとれた新鮮なレモンを使って作った、自家製ジュースです」
「自家製!?」
ジュースって作れるの?
いや、誰かが作って売っているんだから、作れることは分かってるんだけど。
ヴァレンティンさんって、使用人として優秀過ぎない?
彼に慣れているランスロット様からすれば、私がよけいに仕事のできないメイドに見えるに違いない。
「疲れた時は、この酸っぱさが身体にしみるんですよ」
ヴァレンティンさんの言葉に促され、私はジュースを喉に流し込んだ。
少し酸っぱすぎる気もするけれど、なんだか癖になる。
気づけば私は、あっという間にジュースを飲み干してしまっていた。
「誰だって、最初から仕事ができるわけじゃないですから」
「ヴァレンティンさん……」
「言い過ぎたと、坊ちゃんも後悔していらっしゃいましたよ」
「……さすがに、それは嘘ですよね?」
「いえいえ」
ヴァレンティンさんは微笑みながら首を横に振ったけれど、正直、信じられない。
嘘じゃないとしても、ヴァレンティンさんが好意的に解釈しすぎている、という可能性は十二分にあるはずだ。
「夕飯は部屋に運びます。今日はもうゆっくり休んで、明日また、明るい笑顔を見せてくださいね」
「……ヴァレンティンさん……」
「仕事には、ゆっくり慣れてくれたらいいですから」
それってつまり、長くここにいてもいい……ってことだよね。
少なくともヴァレンティンさんは、私にここにいてほしいって思ってくれてるんだ。
そう考えると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「ありがとうございます、ヴァレンティンさん」
「いえいえ」
空になったコップを流し台において、厨房を後にする。
そのまま、私は二階に続く階段をのぼった。
◆
「……あ」
なぜか、私の部屋の前にランスロット様が立っている。
それも、とびきり不機嫌そうな顔で。
なに? 居間はちゃんと掃除したはずだけど、わざわざ怒りにきたの?
先程のことを思い出すと心臓が苦しくなる。けれど、そんな素振りを見せるわけにはいかない。
私は精一杯笑顔を作って、ご主人様、と口に出した。
「私に何かご用でしょうか?」
目が合うと、ランスロット様はすぐに顔の向きを変えてしまった。
それでも、ここから立ち去ろうとはしない。
一分くらい沈黙が続いた後、ようやくランスロット様が口を開いた。
「……これを枕元に置くといい」
そう言って、ランスロット様は小さな袋を差し出してきた。
とっさに受け取ると、ランスロット様はそのまま立ち去ってしまう。呼び止める暇もなく、彼の背中は見えなくなった。
「なにこれ?」
小さな袋だ。触った感じ、中は柔らかい。
「もしかして、ポプリ?」
鼻を近づけると、いい匂いがした。メインはラベンダーだろうが、その他にもいろいろな香りが混ざり合っている。
けれどきつすぎず、リラックスできそうな匂いだ。
「言い過ぎて後悔してたって、まさか、本当だったの?」
けれど素直に謝れず、リラックス効果のあるポプリをお詫びとして渡してきたのだろうか。
「なにそれ……」
そういうの、ちょっと萌えちゃうんだけど。
自然と口元が緩む。私は満面の笑みで部屋の扉を開けた。
「なんか、やる気出てきたかも……!」
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