四話 秘密の初恋 4

「プレハブはこっちだ」

「ここは……」

 雑木林だ。あの日は滅茶苦茶に走っていたからあまり覚えていないのだけど、こういう林の奥に、プレハブがあった気がする。

 湿った土を踏みながら歩くと、オレンジの花をつけた細い木が規則的に並んでいた。多分、キンモクセイの生垣だ。蒼治郎は生垣を抜けようとしている。

「その先、私有地じゃないの?」

「問題ない」

 いいのかなあ。

 蒼治郎の後に続くと、古いプレハブが二つ並んで建っていた。一つは四畳くらいの大きさで、一面がシャッター扉になっている。

 もう一つは手前にあるプレハブで、外壁は吹付塗装が施されている。所々錆びた鉄がむき出しになっていて、半開きになっているドアには……。

 ――取っ手がない。

「これだ!」

 俺は蒼治郎を抜いて、プレハブに近づいた。窓がないため、中は薄暗い。以前見たときより、荷物が少ない気がする。

「入ってみよう」

 蒼治郎に促され、俺はゆっくりプレハブ内に入った。六畳くらいの広さだ。子供の時より狭く感じるけれど、ここで間違いないと思う。そもそも取っ手のないドアなんて、そうないだろう。

 半ばまで足を踏み入れたとき、後でバンッと大きな音が聞こえ、周囲が真っ暗になった。

「わっ、なに?」

「僕がドアを閉めた。当時を再現した方がいいだろう」

 すぐ後ろから、蒼治郎の声がした。

「なにやってるんだよ、取っ手がないって言ったでしょ。出られなくなったらどうするの」

 外は明るかったのに、何も見えなくなってしまった。周囲からは何の音もせず、埃っぽい匂いが鼻につく。お化けでも出てきそうだ。

 暗闇に目を慣らそうと強く瞬きを繰り返していると、肩を掴まれた。

「うわっ!」

 突然だったのでビクリと肩が大きく跳ねてしまう。さっきから俺、驚いてばっかりだな。

「蒼治郎、急に触らないでよ。勘違いしないでね、怖いわけじゃないから。びっくりしただけだから」

「僕は暗いところが苦手だ。肩を貸してほしい」

 だったら閉めるなよ! あと、苦手なこと多すぎだろ!

 俺は胸ポケットに入れていたスマホを取り出して、ライトを点ける。あの時、あの子はこうしていた。そして周辺を照らして……。

「あ、ここ」

 今入ってきたばかりというのもあるけど、ドアの位置はすぐにわかった。ドアが擦れて、開閉を示す跡が床についているのを発見したからだ。

 だけど、周囲の壁とドアの部分は、なんの違いもない。外壁と同じ吹付塗装で、少し凸凹している。

「ドアは、この端の壁の部分だね。問題は内開きってことだ。引っ張らないと開かない」

 俺はドアを押してみた。当然、びくともしない。

「隙間がないから、なにかを差し込んで引っかけるのも難しそうだ」

 紙ペラ一枚も通りそうもなかった。

 そもそも、引っかけるような道具はあるのだろうか。俺はライトで照らしながら、周囲を見回した。サッカーボールや縄跳び、一輪車などの遊具は埃をかぶって真っ白だ。脚立や芝刈り機、箒などは時々使われているらしく、取り出しやすいように入り口付近にひと固まりになっている。その他、車のタイヤ、バケツ、ラバーカップ、シャッター棒、空の灯油缶などがある。

 腰掛けるのにちょうどいい大きさの木箱が、ドアと離れた壁際にあった。

「これ、覚えている」

 八年前、俺はこの木箱に座ったまま寝てしまったんだ。木箱は今でも使われているのか、あまり埃が被っていない。

「工具箱はないのかな。指が入るくらいの穴を錐であければ、指をひっかけて引っ張って開けられるのに」

「当時どうやって出たのか、考えるんじゃなかったのか」

 そうだった。新しく穴を開けてどうする。

 でも案外、当時もそうやって出たのかもしれない。

「思い出せそうか?」

「待って」

 記憶の欠片が浮上してきた。

 俺はドアの前に立つ。

 あの時も、ドアの前に立っていた。

「確かあの子と二人で一緒に、なにかを引っ張った、気がする」

 俺はもう一度、道具を確認した。縄跳びがロープ代わりに使えないだろうか。いや、ドアには引っかけたり結んだりする突起がない。

「そうか、ラバーカップだ」

 トイレや水道の詰まりを直す、アレだ。ドアの壁に、バスルームの壁に貼る吸盤フックのように張り付けて、引っ張ったに違いない。

 俺はラバーカップをドアに押しつけてみた。しかし、想像していたようには吸い付いてくれなかった。

「おかしいな、つかない。道具が古くなったせいかな」

「いや。壁に凹凸があるからだ」

 確かに壁は吹付塗装で多少デコボコしているけど、それじゃあ駄目なのだろうか。

「こういう吸盤は、吸盤内部を真空にすることで吸着力を増す。タコの吸盤も、筋肉を使って負圧を発生させ、外部との差圧によって高い吸着力を実現している」

 難しいことはよくわからないけど、とにかく空気が逃げてしまってはダメってことか。合っていると思ったんだけどな。

「じゃあ、どうやったんだろう」

 俺はドアの隅々までライトを照らしてみた。

「ん?」

 目の高さより少し上に、小さな穴が開いている。小指を当ててみたけれど、入らない。

「子供の小指なら入るかな」

 だけど、この高さでは子供では手が届かないだろう。

 肩車をして、一人が穴に指を入れて引っ張ったのだろうか。だとしても、子供の小指の力でドアは開くかな?

 しかも、それだとさっき思い浮かんだ、二人でなにかを引っ張るビジョンと結びつかない。

 俺はもう一度ライトで周辺を照らして、使えそうな道具を確認した。

「……あっ、これを使ったのか!」

 閃いた。記憶とも重なる。


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