秘密の初恋~出口のない部屋の謎~

じゅん麗香

プロローグ 出口のない部屋

 ――思えば、それは初恋だった。


 ぼくは涙をこらえながら走っていた。三か月ほど住んでいる町は、通学ルートを外れると知らない道ばかりになる。

 どこか、隠れる場所を探した。今日は家に帰らない。親の顔を見たくなかった。

 空地の雑木林を抜けると、白っぽいプレハブが建っていた。

 開いているドアのふちに手をかけてドアを閉めると、思ったよりも勢いがつき、背中でバタンッと大きな音を立てた。プレハブ全体がミシミシと揺れる。

 ドアが閉まると、急に暗くなって驚いた。

 プレハブに窓がないことに気付く。

 家を飛び出したのは午後四時ころで、まだ太陽が見えていたのだけれど。

 ドアを開けて光を入れようと、ぼくは壁に手をついてドアを探した。でも、なぜか見つからなかった。

 暗くて少し怖かったけれど、だんだん目が慣れてきた。プレハブはぼくの部屋くらいの広さで、段ボール箱や園芸用品などが置いてあった。

「どうせ帰らないんだから、いいや。お母さんなんて嫌いだ」

 学校から帰ると、お母さんに、また引っ越すと言われた。

 小学二年の一学期がもうすぐ終わる。いままで、ぼくは三回も引っ越しをしていた。しばらくこの町に住むというから、友達を作ろうと頑張ったのに。また振出しに戻るのかと思うと、全てが嫌になった。

 お父さんもお母さんも、少しはぼくの気持ちを考えればいいんだ。

 そう思いながら部屋の隅にある木箱に座っていると、うとうとしてきた。走り疲れたからだろうか。

 少し眠ってしまったようで、気がつくと、目の前にかざした自分の手が見えないくらい、部屋は真っ暗になっていた。さっきと違って、いくら目を凝らしても、もう何も見えない。  

 怖くなって、ぼくは慌てて出口を探した。

 だけど、いくら探しても、やっぱりドアは見つからない。

「そんなはずは……」

 ぼくは自分でドアを閉めたんだ。鍵をかけたわけでもない。

「……鍵」

 思い返すと、鍵どころか、ドアノブにさえ触っていなかった。

「ドアノブなんて、あったっけ」

 暗い中、でこぼことした壁を丁寧に擦った。こんな狭い部屋で、ドアが見つからないはずがない。

 ドアが消えてしまった?

 そう考えた途端、背筋に冷たいものが走った気がした。

「出して! 誰か、ここから出して!」

 壁をドンドンと叩いたけれど、外からは何も聞こえなかった。

 一生、出られなかったらどうしよう。

 ぼくは助けを呼びながら、不安と恐怖で、また泣いてしまった。

 ここはどこなんだろう。寝ている間に、知らないどこかにワープしてしまったのかな。

 ぼくは木箱に座って、膝を抱えて泣いた。半ズボンだったけど、梅雨が明けたばかりで、夜でも寒くない。

 泣き疲れて大人しくしていると、突然ドアが開いた。

 びっくりして顔をあげると、誰かが突き飛ばされるようにして部屋に入ってきた。そしてすぐに、大きな音を立ててドアが閉まった。

 外も暗くてはっきりとは見えなかったけど、入ってきたのは、ぼくと同じくらいの子だとわかった。

「あの……」

 ぼくは恐る恐る声をかけると、その子はビクリとして、ぼくを振り返ったようだった。

「誰?」

 突然光を浴びせられて、眩しさに、ぼくは両手で光を遮った。その子はスマートフォンのライトをぼくに向けていた。

「女の子?」

 そう言われて、ぼくは反射的に「男だよ!」と怒鳴った。よく間違われるけど、慣れるものではない。

「ごめん、どっちかなと思って。泣いていたの?」

 その子はぼくの隣に腰掛けると、ハンカチを差し出してくれた。ぼくは泣き顔を見られて恥ずかしかったけど、だんだん人に会えた安心感が込み上げてきて、ハンカチを顔に当てて、また泣いてしまった。

 その子はぼくの頭と背中をさすってくれた。とても温かな手だった。

「ぼくは、鈴木昴」

 落ち着いてから、ぼくはここにいる事情を話した。

 話し始めると親への不満と怒りが溢れてきて、口が止まらなくなった。

 その子はずっと、「大変だったね」「つらかったね」とぼくの手を握って聞いてくれた。

 だから、誰にも言えなかった悩みも、全部打ち明けていた。行く先々で女の子のようだとからかわれるのがつらいとか、本当は両親が相手にしてくれなくて淋しい、ってことも。

 その子は「同じ境遇だから、よくわかるよ」と言って、ハンカチで涙をぬぐってくれた。

 そうされると、ぼくのドロドロとした心は、清い水で洗われたように軽くなった。まだ暗いプレハブに閉じ込められているというのに、その子といるだけで、胸がほかほかとした。

「そうだ。この部屋、出口がないんだよ。どうしよう」

「出口がない?」

 その子は立ち上がって、ライトを壁に向けた。その子はぼくと同じくらいの背で、白いワンピースを着ていた。

「きっとここは、悪いヤツが子供を閉じ込める、恐ろしい隠し部屋なんだよ。早く逃げないと」

 自分で飛び込んだにも関わらず、ぼくは本気でそう言った。

「悪いヤツが子供を閉じ込める……。うん、そうかも」

 その子は冷静に壁にライトを当てていた。ぼくのうろたえようとは大違いだった。

「そのスマホで、警察を呼んだ方がいいんじゃない?」

「警察?」

 その子は小首を傾げてから、スマホの画面を見た。スマホについたクジラのストラップが揺れていた。

「圏外みたい。それに電話ができたとして、この場所をどうやって伝えるの?」

 そうだった。プレハブの住所がわからない。

「ぼくたちの力で、ここから脱出しなきゃ」

 そんな話をしていると、ぼくはなんだかワクワクしてきた。一人だけの時は心細くてたまらなかったのに。

「うん。一緒に考えよう」

 その子は、にっこりと微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る