二話 剣を失ったスパルタカス 11
「私も強引に、演目や演出を決めたところがあった。反省する」
部長さんは強く目を閉じて、クールダウンをするように、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「中町、もう本番だ。観客が待っているから、終わってからでいい。剣を作ってくれた小道具に謝れ。おまえが見栄えするように殺陣を考えてくれた殺陣師に謝れ。その殺陣シーンに合わせて音を作った音響に謝れ。照明に謝れ。支えてくれたみんなに謝れ。私にも謝れ」
怒りを抑えながら話す部長の声は、震えていた。
やっとことの重大さに気づいたのか、今更ながら中町さんはうろたえている。
「後でなんて甘いです! お兄ちゃんは舞台に立つ資格がありません」
遥ちゃんが部長さんの前に進み出た。顔を赤くして、涙を浮かべながら怒っている。
ここ何日かでわかったけれど、遥ちゃんはかなり正義感が強い。人の信頼を裏切るようなことをした身内が許せないのだろう。
「部長さん、代役はいないのですか?」
「いない。大会の場合は作るのだが」
「そうですか」
遥ちゃんは一度視線を落とすと、再び部長の猫のような瞳を強い眼差しで見つめた。
「実はここに、天才俳優がいます」
「天才俳優?」
唐突な言葉に、みんなが不審そうな声を出した。
「はい、彼です」
遥ちゃんは蒼治郎の手を取って引っ張り、自分の隣に並ばせた。
「ええっ、蒼治郎、芝居やってたの?」
ミッチーはのけぞるように驚いている。
そして、蒼治郎本人も、静かに瞠目していた。
「遥、僕は……」
そう言いかける蒼治郎に、遥ちゃんは必死にウインクを送っている。
どうやら遥ちゃんには、なにか考えがあるようだ。
「どうした遥、目にごみでも入ったのか」
蒼治郎は真面目な顔をして遥ちゃんの目を覗き込んだ。
鈍すぎだろ。
「うん、そうなの、取って」
遥ちゃんは蒼治郎の腕を再び引っ張って俺たちから少し離れ、蒼治郎が遥ちゃんの目のごみを取る……ようなポーズを取りながら、なにやらゴニョゴニョと話しているようだった。
二人が戻ってくると、コホンと遥ちゃんは咳払いをした。
「とにかく、蒼治郎くんは天才です。その証拠に、台本を一度読めば台詞を覚えます。相手の台詞も全てです。殺陣だって、一度見れば大丈夫。だからお兄ちゃんの代わりに、彼を主演にしてください」
「はあ? そんなの、できるわけがないだろ」
中町さんは鼻で笑って本気にしていない。
「ほう、おもしろい。ならば、このページを覚えてくれ。できたら主演にしよう」
「はあ? 部長、なに言ってるんだよっ。もう本番なんだぞ」
中町さんは慌て出した。
部長さんは台本を開いて蒼治郎に渡す。その見開きには数人の会話がぎっしりと詰め込まれていた。蒼治郎はさっと見開きページに目を通して台本を返し、台詞を暗唱してみせた。
「すごいな、一字一句、間違いない」
部長さんは感心したように言った。中町さんは蒼白になる。
蒼治郎って本当に、一度見たものを記憶できるんだな。
「覚えられるからなんだっ。そんな棒読みじゃ話にならない。俺の方が一億倍上手い!」
中町さんは気色ばんだ。
「今のは台本を覚えられることを証明しただけよ。蒼治郎くんが感情を乗せて台詞を言ったら、すごいんだからね」
焦っている兄を、妹は一蹴した。
……ちょっと、感情表現豊かな蒼治郎を見てみたい気もする。
「蒼治郎くんを主演にしてくれますよね?」
「……そうだな。身長はそう変わらないから、中町の衣装をそのまま使えるだろう」
「部長、本気か?」
「ああ。中町の芝居への態度には辟易していた。私だけの話ではない。部員たちにどんな態度をとってきたのか、思い返してみろ」
部長さんは中町さんの前に立った。
「舞台は、主演だけでは成り立たない。演者は主演を盛り立てる。その俳優たちを裏方が支える。そうして、キャストとスタッフの心を一つにして、舞台は成立するんだ。中町、おまえはそれがわかっていない。そうでなければ、みんなが築き上げてきたものを直前で台無しにするようなこと、できるはずがない」
部長さんの言葉に打ちのめされたかのように中町さんはうなだれて、がっくりと膝をついた。
「……俺が悪かった。三年生が抜けて、初主演で、俺は浮かれていた。天下を取ったような気分になってたんだ……」
床についていた両手を強く握りしめる。
「これからは、迷惑をかけないようにする。勝手なことはしない。みんなの話もちゃんと聞くし、演劇部の一員として努力していく」
中町さんは頭を垂れた。
「だから、頼む。俺にやらせてくれ。台詞も、殺陣も完璧にこなしてみせるから。俺から役を取り上げないでくれ。みんなと、この舞台を成功させたいんだ」
部長さんは、静かな瞳で中町さんを見下ろした。
「もっと早く、その殊勝な姿が見たかった」
部長さんは溜息をついた。
「完璧な殺陣で見返すにも、剣がないだろ。おまえが溶かしてしまった」
「……」
中町さんは更に頭を低くした。大きな身体を縮めているその姿は、心から後悔しているように見えた。
「本番五分前! セット入れるから、どいてくれ!」
ジャージを着たスタッフが、道具を持ってぞろぞろと入ってきた。きっと部長さんたちが取り込んでいるのを見て、ぎりぎりまで待っていたんだろう。
「仕方がない。とにかくこの公演は殺陣なしに……」
「剣は作れる」
部長さんの言葉を、蒼治郎が遮った。
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