二話 剣を失ったスパルタカス 10

 剣を隠した犯人さえわかれば、すぐに剣を取り戻せるのに。

 ……諦めるしかないのか。

 俺は見落としがないか、もう一度、ここに来てからのことを思い返してみた。

「……ん?」

 そういえば、ミッチーが「凶器が氷でできていて、溶けてなくなるってあるよな」と言った時、蒼治郎は「いい線いってる」と言っていた。

 ――まさか、蒼治郎には犯人とトリックがわかっているのだろうか。

 そう思って蒼治郎を見上げると、いつもと変わらぬ無表情で目を閉じていた。

「ねえ、蒼治郎。剣を隠した人のこと、わかってるの?」

 俺は背伸びをして蒼治郎の耳元で囁くと、蒼治郎は俺を見て「ああ」と肯定した。

「やっぱり! なんで言わないんだよっ!」

「言ふタイヒンフが、わはらなふへ……」

 思わず蒼治郎の両頬をつねったので、ふがふがしている。蒼治郎は犯人を伝えるタイミングを見計らっていたようだ。

 いや、見計らうな。すぐ教えろよ! 時間がないって言ってるだろ!

「そうか、僕は余計な気を使っていたんだな」

「で、犯人は誰なんだよ」

「なに騒いでんの?」

 ミッチーと遥ちゃんがこちらに近寄ってくるなか、部長さんは舞台の中央で台本と格闘している。もうこちらを気にしている余裕はないのだろう。

 そんな部長さんの様子を、ニヤニヤしながら中町さんが眺めていた。

「剣がないなら仕方がないよ。本番直前で台本を変えるなんて、敏腕部長ならお手の物だろ。とりあえず俺は、このたらいのお湯を捨ててくる。暗くなってからじゃ、足にひっかけてお湯をぶちまけそうだからな」

 そう言う中町さんに、すっと蒼治郎が近づいた。

「僕が捨ててきます」

「いや大丈夫、俺が使ったんだしね」

 蒼治郎の提案を遠慮して、中町さんはたらいを持ちあげた。

「らしくないですね」

「なにが?」

 蒼治郎の声のトーンが微妙に変わった。

 不審そうな表情になった中町さんは、蒼治郎に顔を向ける。

「遥の話を聞いても、さっきの様子を見ていても、あなたはそういう片づけを率先してするような人じゃないと思います。すぐ近くの袖にさえ剣を運ばない人が」

「嫌だな。片づけくらいするよ」

 中町さんは苦笑した。

「とりあえず、そのたらいをこちらへ」

「いや、これは……」

 蒼治郎が手を出すのを避けるように、中町さんは一歩下がった。

「中町、そのたらいがどうかしたのか?」

 さすがに部員と下級生とのやりとりが気になったのか、部長さんが近づいてきて、たらいを覗き込んだ。

「なんだ、なにもないじゃないか。……いや、これは……?」

 部長さんの表情が変わった。

 たらいがどうかしたのだろうか。

 一見、たらいにはお湯しか入っていないように見える。

 しかし、よく見ると、たらいの底に銀色の液体のようなものが揺れていた。

 ステンレスと同化してわかりにくいが、確かに、なにかある。

「これは、低融点合金だろう」

 蒼治郎の言葉に、俺は首をかしげる。

「低融点、合金?」

「融点の低い合金だ。成分によって変わるが、六十度、七十度程度のお湯に溶ける」

 そんな金属もあると習った気がするが、実際に目にするのは初めてだった。

 お湯が揺れるたびに銀色の液体状のものも揺れて、RPGゲームに登場するメタルスライムのようだった。

「つまり、これが剣だったもの? 本当に、氷みたいに剣がお湯で溶けたんだ」

 ミッチーもたらいを覗き込んで、驚いたように瞬きをしている。

 中町さんがお湯にタオルをつけている、と思っていたとき、実際には剣を溶かしていたということか。あの時はマントが邪魔で、手の動きまで見えなかったから。

「どういうことなの? 中町、説明しなさい」

 部長は青筋を立て、顔色は赤を通り越してどす黒くなっている。子供が近くにいたら泣きだすレベルで、激しいオーラを放っていた。

「小道具係が作ってくれた剣は、こんな合金じゃなくて、木製だったはずよ」

 中町さんはたらいを床に置くと、両手を腰に当てた。

「俺が用意したんだ。本番直前で剣がなくなれば、殺陣のシーンをカットせざるを得ないだろ。どうしても覚えられないから、殺陣は嫌なんだよ。なくても成立するじゃないか。何度もそう言ったのに、聞き入れなかった部長が悪い!」

 中町さんは上半身裸の胸を張った。完全に開き直っている。

「本物の木製の剣は?」

「もう処分した」

「まさか、昨日の稽古中に剣が割れたのも……」

「俺が亀裂を入れておいたんだ」

「中町……」

 部長さんの言葉は、それ以上続かなかった。感情があふれて、言葉にならないのだろう。

 ふたりの会話を聞いている俺も、部長さんの気持ちがわかる気がする。主演俳優といえども、ちょっと我儘がすぎるんじゃないだろうか。

 とにかく、この時点で確定したことは――。

 この芝居で使える剣は、一本もないということだ。

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