四話 秘密の初恋 7【完結】
「それに、やっぱり小学二年生の思考だったんだな。“中町クリニック”といえば、すぐに場所がわかると思っていたんだ。僕はこの土地で生まれ育っているから」
今や大病院の息子だし、蒼治郎は地元で有名なのだろう。
「昴が教壇に立った時、あの時の子だってすぐに気づいた。そして、僕の後ろの席についた昴は、僕に話しかけた。昴も僕に気づいたのかと喜びかけたのに、“やっぱりなんでもない”と言われた時のショックときたら」
蒼治郎は首を振った。
そういえばあの時、思い切り睨まれて「なんて嫌な奴だ」と思ったんだ。あれは落胆の反動だったようだ。
「マスコットを身につけて僕のことを探していると知って、少しは溜飲が下がったが。でも、いつまでたっても僕に辿り着きそうもないから、もう一度、クジラのストラップを廊下に落としたんだ」
ミッチーが「俺へのメッセージだろう」と言っていたのは正しかったのか。
いや、伝わらんわ!
「どうして、マスコットがクジラなんだろう?」
中町クリニックのマスコットだとわかってからも、関連性がわからない。
「診察券やポスターに描かれるのは、昔からクジラなんだ。僕も理由は知らないが、苗字の新開から連想して、マッコウクジラになったのかと勝手に思っていた」
「なぜ新開なら、マッコウクジラになるの?」
「マッコウクジラは、生涯の三分の二を深海で過ごすといわれているからだ」
一瞬、意味がわからなかった。新開と深海をかけてるってこと?
って、わかるか、そんなの!
「やっと心置きなく、八年前の話ができる」
蒼治郎が目を細めて嬉しそうに笑った。俺は苦笑するしかない。
「そうだね」
まあ、いいか。
思い描いていたものとは違うけど、マスコットをくれた人に再会するという目的は達成した。
「俺はあの日、蒼治郎の言葉に救われた。あの言葉があったから、乗り越えられたことがたくさんあった。思い出しては励まされた。ありがとう蒼治郎。これからもよろしく」
俺は手を出した。
「ああ、よろしく」
蒼治郎の大きな手が、俺の手を強く握った。
終わった。
俺はこれで、八年前の想い出に終止符を打てたんだ。
「昴はいつも、言葉を選んでるだろ」
「えっ」
ドキリとする。
確かに俺は、発言しても問題ないか、一泊置いてから言葉にすることにしている。それが人間関係に波風を立てない生き方だからだ。
「僕には本音でいい。昴が斜に構えた性格だって、もう知ってる」
見抜かれていたか。
「ありがとう、蒼治郎」
俺はにっこりと微笑んだ。
そう簡単に本音なんて見せないけどね。
「さあ昴、食べてくれ。甘さ控えめだから」
蒼治郎はクッキーとマフィンが入った皿を俺の前に押しやった。俺は甘いものが苦手だと蒼治郎の前で言ったことがあったから、それを覚えてくれていたようだ。
そんな蒼治郎の勧めるものだから安心だろうと、クッキーをひと口齧った。まだ温かい。
ほんのりと甘く、後味に塩っ気が残った。サクッとした口当たりで美味しい。
「塩クッキーだね。いくらでも食べられそうなくらい美味いよ。買って帰ろうかな、どこで売ってるの?」
「いや、僕が作ったんだ」
「……は?」
危うくクッキーの粉を部屋にまき散らすところだった。
「蒼治郎、お菓子作るの?」
「ああ。料理は全般的に好きだが、スイーツを作るのが一番楽しい。菓子作りの準備をしている途中で昴から電話が来たから、食べてもらおうと思って、下準備を終わらせてから急いで待ち合わせ場所に向かったんだ。だから生地を作ったのは僕だけど、焼いたのは家政婦さんだ」
売り物にしか見えないのに、これ、蒼治郎の手作りなんだ。
そういえば、蒼治郎から甘い匂いがしたのは香水じゃなくて、菓子作りでついたバニラエッセンスの匂いだろう。
「……なんか……」
テーブルに広がったお菓子たちを見ながら、俺は深く深く眉間にしわを刻んだ。
なんだか、だんだん、理不尽な気がしてきた。
八年前は、お互いに女の子のような見た目だった。
俺はそれが嫌で、身長が伸びるように努力したし、男らしさとはなんぞやという本だっていくつも読んだ。それなのに、未だに童顔だの可愛いだのと言われる始末だ。
ところが蒼治郎はどうだ。
見た目は男らしく立派になったけど、虫が苦手で、暗い所が苦手で、可愛いものが好きで、甘いものが好きで、趣味はお菓子作りだ。
なんで男らしくあろうとした俺が童顔のままで、乙女な蒼治郎が男らしく成長してるんだ!
「やっぱり、納得できない!」
「どうした昴。マフィンが口に合わなかったのか?」
「ちょっと、悲しそうな顔をしないでよ。メチャメチャ美味しいよっ」
編入してきた俺に、ミッチーは「初恋だった」と告白してきた。それはギャグになるからだ。笑い飛ばせるから口にできたんだ。
でも、俺の場合はどうだろう。
女の子だと勘違いして恋をしてしまったのはミッチーと一緒だ。でも俺は、八年も初恋をこじらしてしまった。
せめてもの救いは、初恋のことを誰にも話さなかったこと。
決めた! 俺は一生、初恋のことは誰にも言わない。
この秘密は墓場まで持って行く。
これは、秘密の初恋だ。
了
* * *
これにて完結です! ここまで読んでくださり、ありがとうございました! 楽しんでいただけておりましたら幸いです。
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秘密の初恋~出口のない部屋の謎~ じゅん麗香 @junreika
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