三話 消えた絵 8

「オレさ、いわゆる、高校生デビューなんだよ」

「えっ」

 びっくりして声が出てしまった。幸子ちゃんと目が合うと、小さくうなずいた。幼馴染みは知っているわけだ。

「超ガリ勉でさ。周囲はみんなライバルだと思ってたよ。ここで蒼治郎に抜かれるまで、ずっと学年トップの成績だった」

 ミッチーって頭良かったんだ。意外だ。

「中高一貫校に入ったから、高校はエスカレーターで行く予定だった」

 でも中学三年生の時、ミッチーのクラスで、いじめがあったという。

「入学してしばらくすると、学力の差がわかってくるだろ。仮で呼ぶけど、Aって女子がずっと最下位でさ。バカがうつるって避けられてた。悪口はエスカレートして、成績だけじゃなくて、容姿のことも言うようになったんだ。一度Aに、学校に来るのがつらいって、相談を受けたことがあったんだよ。オレはクラス委員を押しつけられてたからさ。そのとき、学校は勉強する場所だから気にするな、って答えた。本心だったしさ。でも、それからしばらくして、Aは学校を辞めた。ショックだったよ、オレのせいだって」

 ミッチーが黙ると静かになる。

 遠くで廊下を走る足音が聞こえた。踊り場は屋上に続くドアが一つあるだけで、電気はついているものの薄暗かった。

「しばらくAのことばかり考えてたよ。Aが転校したのは正解だと思った。同じメンツで高校生活を送るよりいいだろうし、そもそも学力だって合ってなかったわけだしな。だけど心配だったのが、容姿にコンプレックスを持ったまま、次の学校に行くことだったんだ」

 Aさんは悪口を言われるようになるにつれ、背中を丸め、俯いて、終いにはマスクをつけて顔を隠すようになったという。

 ……なんだか、幸子ちゃんに似てるな。

「オレには妹が二人いて、よく面倒を見てたんだ。髪のアレンジとかやってるうちに、髪型で印象がガラリと変わるなと思ってた」

 そこでAさんに会いに行き、説得して、ヘアメイクアーティストのいる美容院に連れて行ったのだという。

「予想以上に可愛くなってさ、本人もびっくりしてた。いじめられるようになってから、鏡もまともに見てなかったそうだよ。それからAは、表情も、口調も、声のトーンも、姿勢も、歩き方も、全部変わった。マジで別人みたいになった。オレもスゲー感謝された。でも実際にAを変えるきっかけになったのは、そのヘアメイクの人なんだよな。人を幸せにできる仕事なんだ、オレもそうなりたいって、あの時思ったんだ」

 文化祭の時にミッチーは、「メイクって魔法みたい。世界中の女の子に魔法をかけたい」と言っていた。

 その思いは、ここから来てるんだ。

「もっと人を笑顔にしたいと思ったし、オレ自身も変わりたいと思ったんだ。だからもう、オレには学力至上主義の学校は合わないと思った。それで自由な校風の、この学校を選んだってわけ」

 ミッチーは元から面倒見のいい性格ってわけじゃなかったのか。Aさんのトラウマによって、ムードメーカーの“ミッチー”ってキャラクターを、頑張って演じていたんだ。

 しかも、それはもう定着しているのではないだろうか。

 自分の努力で、ミッチーはなりたい自分に歩み寄っている。

 素直にすごいと思う。

 俺は引っ越しが多かったから、本音を隠して、柔らかい口調で愛想を振りまくクセがついている。それが嫌になるときもあった。

 本当の俺は気が短いし、さほど協調性だってない。どちらかといえば一人で行動するほうが好きだ。

 でもこれは、いち早く環境に溶け込むため、円滑な人間関係を築くために俺が身に着けた武器だ。これも俺なんだ。

 ミッチーの話を聞いていたら、もっと自分を肯定していいように思えてきた。

「まあ、だからさ。なりたい自分に、ゆっくり近づいていけばいいんじゃねえかな。オレならいつでも相談に乗るし」

 ミッチーは森さんにニカッと笑顔を向けた。森さんは「ありがとう」と涙ぐむ。

 幸子ちゃんも、森さんに一歩近づいた。

「あたしで良かったら、これからお昼ご飯、一緒に食べよ」

「……薄井さん、私を許してくれるの?」

「絵が戻ってくれば、それで、いいの。あれは、特別、だから」

 どうやら、一件落着のようだ。

 幸子ちゃんは、これから森さんの家に絵を取りに行くという。俺は帰ろうかと思ったのだけど、その「特別」な絵が見たくなって、ついて行くことにした。

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