三話 消えた絵 9

 どうやら、一件落着のようだ。

 幸子ちゃんは、これから森さんの家に絵を取りに行くという。俺は帰ろうかと思ったのだけど、その「特別」な絵が見たくなって、ついて行くことにした。

 帰路が幸子ちゃんと同じミッチーが同行するのはわかるけど、なぜか蒼治郎まで一緒に来た。絵に興味があるというよりも、俺たちについてきたかっただけじゃないだろうか。声をかけてこない割りにはいつも近くにいるし、蒼治郎は結構、淋しがり屋なのではないかと踏んでいる。

「私、薄井さんが羨ましかった。本当は絵を破こうと思ってたんだけど、できなかったよ。今回のことは、本当にごめんなさい」

 森さんはそう言って、玄関先で待っていた幸子ちゃんに、大きな黒い鞄ごと絵を返した。

 もうすっかり辺りは暗くなっていた。

 駅のホームで電車を待つ間に、幸子ちゃんに絵を見せてもらうことにした。

 幸子ちゃんはベンチに大きな鞄を置いて、少々頬を染めて絵を取り出した。

「自信作ではあるんだけど、こういう場所で見せるの、ちょっと恥ずかしいな」

 これだけ大きな絵だと、通りすがりの人にも見えるからな。

「ミッチーを描いたんだね」

 予想はしていたけど。

 絵の中のミッチーはラフな格好をして、くつろいだように椅子に座っている。そして笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 それはいつもの「ニカッ」という全開の笑顔ではない。優しく温かな、柔らかい微笑みだ。二人でいる時、ミッチーはこんな顏で幸子ちゃんを見ているのだろうか。

 なんだか、見ているこっちが恥ずかしくなりそうな甘い表情だった。

 俺が絵を見たまま固まっていると、ミッチーにポンと肩を叩かれた。

「ちょっと美化されてるけど、似てるだろ。こいつって裁縫だけじゃなく、絵も上手いよな。オレがモデル引き受ける代わりに、幸子には文化祭でメイドやってメイクされろって、交換条件にしたんだ」

 ミッチーは「してやったり」という笑顔をしている。

 えっ、似てるかどうかでしかこの絵を見てないの? もっとほかに感じなきゃいけないことがあるでしょ!

 と思ったけど、外野が騒ぐことじゃないな。触れないでおこう。

「大事にするって約束したから、絵がなくなったこと、ミックンに言えなくて」

 幸子ちゃんがミッチーに謝った。

「この絵だけじゃなくてさ。困ったことがあったら、まずオレに言えよな」

 ミッチーは絵の隣のベンチに腰かけて、俯き気味の幸子ちゃんの顔を覗き込んだ。

「さっきAの話しただろ。Aが幸子とかぶってさ。おまえも気付いたら背を丸めていて、喋らなくなって、顔を隠してた。気になってはいたんだけど、中学から学校が違ったから話す機会もなかったしさ。ヘアメイクを勉強したら、絶対にオレの手で幸子に魔法をかけようって決めてたんだ」

 ニッとミッチーが笑う。幸子ちゃんは顔を赤くしながら、「ありがとう、ミックン」と礼を言った。

 おやおや、これはいい雰囲気なんじゃないか?

「ミッチー、俺トイレ行ってくる。先帰っててよ」

「ん? 待ってるけど」

「いいよ。じゃあ明日、学校で。蒼治郎も来て」

「僕はトイレに用は……」

「いいからっ」

 あれで二人は付き合ってないのか。幼馴染みだから、距離感がおかしくなってるんじゃないのかな。

 俺たちはホームの階段を降りて、構内の自動販売機で飲み物を買い、時間を潰した。俺はブラックコーヒーで、蒼治郎はコーラだ。

「それの持ち主、目星がついたと言っていたな」

 並んで壁に寄りかかっていると、蒼治郎の声が降ってきた。「それ」とはクジラのストラップのことだろう。

 もうひとつ、ミッチーから手渡された新しいストラップは、落とし物として先生に届けた。ミッチーは俺に向けたメッセージかもしれないと言っていたけど、落として困っている人がいるかもしれない。ついでに、持ち主が現れたら教えてほしいと先生に頼んである。

「うん。幸子ちゃんの絵が見つかったことだし、俺の方も決着をつけないと」

 指先でつつくと、胸ポケットの前でストラップのクジラが小さく揺れた。

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