四話 秘密の初恋 1

 引っ越すのが嫌で家を飛び出した小学二年生の俺は、出口のない不思議なプレハブに閉じ込められてしまった。

 そこから“あの子”は救い出してくれた。

 そして、悲しんでいる俺を励ましてくれた。


 ――ああ、いつもの夢だ。


 俺は夢の中で、これは夢だと自覚した。明晰夢というやつか。

 でもなんだか今日の“あの子”の声は、いつもより鮮明だった。聞き覚えのある、とても可愛らしい声。

「落ち着いたら会いに来て」

 いつものようにあの子は、青いクジラのストラップを俺に手渡した。

「待ってるね、昴くん」

 その子の顔がスッと大人びたかと思うと、見慣れた、クラスメイトの中町遥になった。


「遥ちゃん……」

 俺は目を覚ました。

 寝間着が汗で濡れている。九月はもう終盤で、早朝はここまで汗をかく気温じゃない。

 だけど俺は、普通の状態じゃなかった。

 小学二年生の頃に出会った、顔も名前も顔もわからない、初恋の人。

 あの子については、もらったストラップだけが唯一の手掛かりだった。

 八年ぶりに戻ってきたこの町で、あの子に会えるのではないかと期待していた。

 だけど、こんなに早く見つかるなんて、思っていなかった。

 青いクジラのマスコットは、お湯をかけると赤くなり、


 ――これからもよろしくね 中町クリニック

 

 と、文字が浮かび上がる仕様だった。

 遥ちゃんの家はクリニックだと言っていた。

 あの子の正体は、クラスメイトの中町遥ちゃんだったのだ。

 八年越しに、やっとマスコットをくれた子が判明した。それだけでも嬉しいのに、遥ちゃんは学校で一番と言っていい美少女だ。

 これが、興奮せずにいられようか!

 気になるのは、遥ちゃんにクジラのマスコットを見せた時に、「見覚えがある気がするんだけど」という、あいまいな答えだったことだ。俺との思い出を忘れてしまったのか、しらばくれているのか。

 けれど、聞かなければ進まない。

 俺は決意した。

 遥ちゃんに、今日こそ思いを打ち明ける!

 愛の告白をするわけじゃない。八年前、遥ちゃんのおかげで救われたこと、感謝していることを伝えるだけだ。


 本日最後の授業が終わり、汗ばんだ手で教科書を閉じながら、隣の席にいる遥ちゃんに顔を向けた。

「は、遥たん」

 しまった、噛んだ。

 緊張のあまり、俺はベタな失敗をした。

「どうしたの? 昴くん」

 小首を傾げて俺を見る遥ちゃんは、今日も可愛かった。大きな瞳に長い睫毛、唇はほんのりピンクに色づいている。胸の辺りまである長い黒髪は艶やかに光沢を放っていた。

「三十分後に中庭のベンチに来てくれないかな。話があるんだ」

「いいけど、今じゃだめなの?」

「うん」

 人に聞かれたくない話だ。最上階の踊り場や体育館裏とかも人気がないけど、暗いし雰囲気が良くない。

「じゃあ、後でね」

 俺は鞄を持って立ち上がった。

「昴」

 窓際の席から、ミッチーこと有馬道隆がやってきた。両耳ピアスに金髪に近い茶髪をふわっと遊ばせていて一見チャラく見えるけど、頼れるクラス委員だ。

「なに?」

「いや、なんか今日一日浮ついてたなぁと思って」

 俺は内心ギクリとする。

 ミッチーは口角をあげた口元を俺の耳に寄せた。

「遥に告白でもすんの?」

「みみみ、ミッチー!」

 一気に顔が熱くなった。ミッチーの肩を掴んで、違う違うと首を振る。

「可愛い顔して隅に置けないなあ。学校の一番人気に手を出すとは」

「いやいや、だから違うってば!」

 俺たちが騒いでいると、視界が一気に暗くなった。蛍光灯の光を遮るほどの長身は、このクラスでは一人しかいない。

「なんの話だ?」

 涼やかで切れ長の瞳とすっと通った高い鼻梁。表情が乏しいがゆえにますます作り物めいて見える、端正な顔をした新開蒼治郎がヌッと立っていた。

「蒼治郎、聞いてくれよ。昴がさ……」

「わあっ、だから違うってば!」

 俺は必死にミッチーの口を塞ごうと手を伸ばすも、悔しいことに身長差があるので、簡単によけられてしまう。

「気にするな、ミッチーはからかっているだけだ」

 蒼治郎は俺の両脇に手を差し込むと、ひょいっと俺を持ち上げた。

「わあっ、やめろ! 子供扱いするなっ」

 俺の最大のコンプレックスは、身長が低いことだ。俺と蒼治郎との身長差は二十三センチもある。なんてこったい。

「とにかく俺、行くからっ」

 改めて鞄を持って、教室の出口に向かう。

「昴、右手と右足が一緒に出てるぞ」

「えっ」

 ミッチーに言われて、歩き方を直した。なんだかギクシャクする。

「あはは、今一緒になった。転ぶなよ」

 またからかわれたっ。

 俺はミッチーをキッと睨んでから、教室を後にした。


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