四話 秘密の初恋 2
コの字型になった校舎の中央に、緑の茂った中庭があった。手入れがされた芝生や花壇があり、噴水つきの池まである。都内の真ん中にある学校とは思えない、自然豊かな造りだった。
空は雲に覆われていて、暑くも寒くもなかった。噴水近くのベンチには、既に遥ちゃんが座っていて、本を読んでいた。俺は駆け寄る。
「ごめん、待たせちゃったよね」
「ううん。私が早く来ただけ。特に予定もなかったし」
遥ちゃんは文庫本を鞄にしまった。
「実はね、これを見てほしいんだけど」
俺は遥ちゃんの隣に並んで座り、携帯のストラップを外して、手渡した。
「このストラップ、前にも見せてくれたよね。マスコットをくれた人を見つけて、お礼を言いたいんでしょ?」
遥ちゃんは「それがどうかした?」と言わんばかりの表情だった。なにも思い出す気配はない。
「実はこのマスコット、お湯をかけると、文字が浮き上がるんだ」
俺は鞄から水筒を取り出した。このために準備していたのだ。
お湯が跳ねないように、地面すれすれにマスコットを持って、そっと水筒のお湯をかけた。手の平サイズの丸っこいマッコウクジラは、青色から赤色に変化する。
「へえ、面白いね」
遥ちゃんは俺の手元をじっと見ていた。
「見て、ここ」
浮き上がった、“中町クリニック”の文字を見せた。
「あっ、もしかして……」
遥ちゃんはパチパチとまばたきをした。
「なにか、思い出した?」
期待に俺の胸が高鳴る。
「昴くん、このマスコットが、うちのクリニックのものだと思っているのね?」
うん?
なんか、思ったのと、反応が違う。
「違うの?」
「ええ。だって、うちは“中町クリニック”って名前じゃないもの。地元の人に愛されるようにって、地域名をクリニック名にしているのよ」
な、なんだって!?
俺はベンチから滑り落ちて、がっくり膝をつきたい気分になった。遥ちゃんがいなければそうしていた。
「やっぱり勘違いしてたんだ。ごめんね、昴くん」
「謝るのはこっちだよ! ごめんね、時間をもらっちゃって。俺、もう少しここで考えたいから、先に帰ってて。来てくれてありがとう」
あいさつを交わして遥ちゃんを見送り、後ろ姿が見えなくなると……。
俺は頭を抱えた。
うわあああ、俺、恥ずかしすぎ!
絶対に遥ちゃんが“あの子”だと思ったのに!
もう当てなんてない。また振り出しだ。
俺は羞恥のため全身を熱くしたまま、しばらくその体勢でいたけれど、風に吹かれて頭が冷えると、少しずつ止まっていた思考が動き出した。
「……当ては、あるな」
そういえば蒼治郎が、あのプレハブの場所を知っていると言ってたっけ。
行けばなにかわかるかもしれない。
俺はスマートフォンに手をかけて、蒼治郎に電話をかけようとしたけれど、やめた。
「ストラップをくれた人に目星はついている」と自信満々に言ってしまった手前、ちょっと気まずい。もう少し“中町クリニック”を調べてからにしよう。
スマホでネット検索すると、“中町クリニック”がいくつかヒットした。
その中で気になるのは、俺の住む区内にあるものだ。現在住んでいる家からは数駅分離れているけれど、八年前の住居からは徒歩圏内にあった。
こんなに近くにあるなんて。
「なんで俺、検索しなかったんだろう」
俺はガックリと首を垂れる。
クジラから浮かんだクリニック名を見た瞬間、遥ちゃんのクリニックだと思い込んでしまった。
中町クリニックの住所は「中町」にあった。つまり、このクリニックも地名由来の名称だということだ。
そして規模を拡大して、六年ほど前に、“中町総合病院”に建て替えられている。
早速俺は、足を運ぶことにした。
中町総合病院は最寄駅から徒歩五分ほど。白基調の四階建てで、商店街と住宅街の間くらいに位置していた。
エントランスは空間を贅沢に使った洒落た造りで、待合室には人が溢れている。
「このストラップを知りませんか?」
俺が総合受付の二十代くらい女性に話しかけると、「知りません」とそっけなく返答され、他に用がないならと追い払われてしまった。忙しいのは見てわかるけど、冷たい。
しかし、ここでめげる俺ではない。
通路を歩く看護師さんや清掃係の人などに話しかけて、クジラのストラップについて聞いてみる。しかし、知っている人はいなかった。
「もしかして、また“中町”違いなのかな?」
条件的にはピッタリなんだけど。
もう一人だけ声をかけてみよう。
俺は五十代くらいの女性に声をかけた。受付の女性と同じ制服なので、看護師ではなく医療事務の人だろう。
「すみません、これを知りませんか?」
俺はストラップを見せた。女性はクジラを手に取って、目を細める。
「あら懐かしい」
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