三話 消えた絵 7

 まず蒼治郎は、犯人を絞り込んだ経緯を伝えた。演劇部員であること。その中でも絵を盗る時間があるのは、山本先輩と森さんだけだったこと。

「外から見られずに絵を盗るには、棚の高さ、約百五十五センチ以下である必要がある」

「さっき聞いた」

「もし、絵を持ち出した人物が屈んだのだとしたら、窓から誰かに見られる可能性があることを知っていたことになる。森は演劇部の前に人がいることを知っていた。だから、その証言を利用しようと考えたんじゃないか?」

「なによ、親切で教えてあげたのに、利用だなんて人聞きが悪い。あそこにファンがいるのは有名な話だよ」

 そうでもない。

 幸子ちゃんは部室の外に人がいることを知らなかったし、演劇部の部長さんに確認したところ、演劇部以外で他校の生徒について話題になることはないと言っていた。さすがに演劇部員には周知されていたけど。

 森さんは「それに」と話を続ける。

「さっき美術部員に絞った理由は、南京錠のルールを知っているかどうかだったけど、美術部員に頼まれた誰かがしたって可能性もあるじゃない。そして絵を盗るなら、ファンのことを知らなくたって、通行人を警戒するのは当たりまえだと思う。部室は公道沿いにあるんだから。私を犯人扱いするのは、無理があると思わない?」

 痛いところを突いてきた。それはごもっともだ。

「昴、百五十五センチの高さは?」

 蒼治郎に言われて、俺は平行にした手の平を、その高さで止めた。

「森、頭の先が昴の手の高さになるように、屈んでくれないか」

「はあ?」

 森さんは渋っていたけれど、鈍い動作で従った。

「やっぱり、屈むとスカートが床につくな」

 蒼治郎は森さんを見下ろしたまま腕を組んだ。

「あの日は、生乾きの青い絵の具が床についていた。屈みながら絵を盗んだときに、スカートの裾の端に絵の具がついたんだ」

 森さんは慌てて立ちあがった。スカートの後ろの裾に、青い絵の具がついている。

「これは、だって……。あの日、部活に出ていれば、誰だって絵の具がつく可能性があるじゃない」

「月曜日についたということは認めるんだな」

 森さんは一瞬「しまった」という表情をしたけれど、すぐに気を取り直した。

「そうよ。薄井さんにだってついてるでしょ」

 確かに、スカートと上履きに青い絵の具が点々とついている。

「幸子ちゃんは、先輩がパレットを落としたときに近くにいたから、絵の具が飛び跳ねたと言っていたね」

 俺が補足する。

「私は掃除をしたときについたのよ」

「そうか。幸子は絵の具を取るのにモップを使ったと言っていた。部室に雑巾はないとも。モップ掛けで、なぜ屈んだんだ。再現してくれないか」

 確かに、雑巾がけでもしない限りしゃがまないだろう。

 蒼治郎の追及に、森さんは俯いて黙ってしまった。

「これ以上白を切るなら、自宅に押しかけて家探しさせてもらう」

 森さんは大きなため息をついた。

「ばれっこないって思ったのに」

「なんで、あの絵を盗ったんだよ」

 ミッチーが尋ねると、森さんは視線を彷徨わせた。恥らっているようにも見える。

「欲しかったのよ、返すわよ。……だいたい、なんでここに有馬くんまでいるのよ」

 忘れそうになるけど、有馬とはミッチーの名字だ。

 それから森さんは眉をあげて、また俺たちを見回した。

「B組はいつも楽しそうでズルい! 根暗の薄井さんが変わったのも、転校生がすぐにクラスに馴染んだのも、有馬くんのおかげでしょ」

 どうして急にB組の話をしだすんだ。それに幸子ちゃんを根暗っていうな。

「オレのおかげ、と言われると悪い気はしねえけど。それは幸子や昴が努力してるからだろ」

「違う。有馬くんさえうちのクラスにいたら、うちがB組みたいになってたはずだもん。今みたいにギスギスしてないだろうし、私だって、一人になってない……」

 思わず口を滑らせたようで、森さんの声が小さくなっていき、顔をしかめた。どうやら森さんのクラス仲は良くないようだ。

「あのさ。なんで人に頼って、他人を変えようとするんだよ」

 ミッチーは肩をすくめて、やれやれというように首を振った。

「今ある環境や生活を変えたかったら、自分が変わる方がよっぽど楽だし確実だ。自分が変われば、自ずと周囲だって変わるって」

「そんなこと、できるわけないじゃない。有馬くんは対人関係で苦労してないから言えるんだよ」

 森さんはなにかを堪えるように、唇をひきしめた。

「できるわけない、でやらなきゃ、いつまで経っても変わらないだろ」

 ミッチーは髪をかき上げて、迷うような表情を見せた。それは一瞬で「ま、いっか」とつぶやいて苦笑した。

「オレさ、いわゆる、高校生デビューなんだよ」

「えっ」

 びっくりして声が出てしまった。


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