二話 剣を失ったスパルタカス 14

「喋らない、動かない主演なんて、ありなんですか?」

 ミッチーが部長さんに尋ねる。

「たとえば、こんな戯曲がある」

 部長さんは足を組み替えた。

「フランスの劇作家、ジャン・マリ・リュシアン・ピエール・アヌイの作品に、『アルデールまたは聖女』もしくは『孔雀館』と訳される作品がある。主人公はタイトルになっているアルデールだ。物語はアルデールを軸に進んでいく」

 部長は腕を組んで、指先で腕をノックしてる。この仕草をよくしているから、きっと癖なのだろう。

「しかし、アルデールは一切、舞台に登場しない」

「主人公なのに?」

 俺が尋ねると、部長さんはうなずいた。

「ワンシーンだけ登場させる台本もあるけどね。主人公が登場しない物語があるくらいなんだから、主人公が喋らず動かない物語があってもいい」

 タイトルになっている人物が出てこない物語というと、映画にもなった連作短編小説しか頭に浮かばなかった。やっぱり俺は演劇には向いていない。

「戯曲のアイディアがわいてきた。忘れる前にノートに書いておこう」

 部長さんは立ち上がった。

「引きとめて悪かった。あまり時間はないが、文化祭を楽しんで。今日は本当にありがとう」

「あっ、部長さん待ってください」

 俺は体育館の中に戻りかけていた部長さんを引きとめた。そして胸ポケットに入れているスマホを取り出す。

「このクジラのストラップ、知っているんですか?」

 今朝ぶつかった時、「随分、懐かしいものをつけているな」と部長さんは言ったのだ。

「ああ、知っている」

 やっぱり知ってるんだ!

 俺の心拍数が一気に跳ね上がった。

「そのストラップがどうかしたのか?」

 俺は、このストラップをくれた人を探していると説明した。それが初恋の人だというのは、恥ずかしいから伏せたけど。

「そういう意味では、役に立たないな。小学校低学年の頃、このマスコットを持っていたんだ。親が、誰かにもらったと言っていたはずだ。お風呂に浮かべて遊んでいた記憶がある。いつの間にか、なくなってしまったが……」

 お風呂にストラップを持ち込んだのか。

「誰にもらったのか覚えていますか?」

「いや。母親に聞いておこうか」

「お願いします!」

 俺は部長さんとメッセージアプリのIDを交換した。


 ――残念ながら、部長さんは“あの子”じゃなかった。

 でも少しずつ、あの子に近づいている気がする。

 部長さんと別れる前に、ちゃっかり明日の舞台の席を予約した。別人のようによくなったという、中里さんの演技を楽しみにしよう。


 いろんな意味で文化祭を満喫した、その日の夜。

 ストラップをスマホからはずし、お風呂に持ち込んだ。少しでもヒントになればと思ったのだ。

 部長さんが言っていたように、青いクジラを湯船に浮かべてみる。すると、手の平サイズの丸いクジラは、お湯と接した部分が赤く染まった。

「えっ」

 思わずクジラを手に取った。お湯で温まった俺の手に触れた部分も、クジラは赤く変色する。

「そうか!」

 熱に反応したんだ。

 俺が小学生の頃、湯船に入れると色が変わるおもちゃや、文字が浮き出る絵本が流行っていた。水とお湯を交互にかけて、よく遊んだものだった。

 なぜ思いつかなかったんだろう。

 俺はゆっくり、クジラを湯船に沈めた。

 鼻の先が平らになった、手の平サイズの丸っこいマッコウクジラは真っ赤になった。

 それと同時に、文字が浮かび上がった。


 これからもよろしくね

 中町クリニック

 

「中町……?」

 中町って。

「中町、遥ちゃん」

 俺は目を見開いて、口を手で覆った。

 このストラップを見せた時には、覚えてないって言ってたのに。

 あの子は、遥ちゃんだったんだ。

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