三話 消えた絵 3

「一つしかない鍵は、二年生の部長が、持ってるの」

「二年生って、今、修学旅行でしょ。そっか、修学旅行の間は誰かが預かってるんだね」

 さっき幸子ちゃんはドアを開けていたから、幸子ちゃんが預かっているのだろう。

「ううん。美術部は代々、鍵を使わないの」

 幸子ちゃんは両手で南京錠を持って、目の前に掲げた。U字のフックの先端を錠の穴に入れる。小さくカチリと音がした。

「まだ閉まってないな」

 蒼治郎が指摘した。

「えっ」

 俺は鍵を凝視した。

 カチリと音がしたし、ロックされているように見えるけど。

 施錠されているように見える南京錠のフックを、幸子ちゃんは引っ張った。

 鍵を使わずに、フックは外れた。

「ロックされる、ギリギリに、先端を差し込んでるの」

 その状態の南京錠を掛金にかけていれば、傍から見ると部室は鍵がかかっているように見える。でも部員たちは誰でも、鍵を持たずに部室に出入りできるということだ。

 確かに、いちいち職員室に鍵を取りに行くのは面倒だから、便利な手と言える。防犯にならないけど。

「あっ、そうか」

 さっき幸子ちゃんが南京錠を開けた時に違和感を覚えたのは、鍵を使っていなかったからだ。

「そうやって南京錠を開け閉めしていると知っているのは、美術部員だけだということだな?」

 幸子ちゃんは首肯する。

 このやり方は顧問も知らないそうだ。それはそうだ。知られたら、きちんと鍵をかけるよう注意を受けるだろう。

 状況はのみ込めた。

 犯人は美術部員である可能性が高いようだ。

 ただし、昨日残っていた五人(幸子ちゃんを除くと四人)とは限らない。二年生は修学旅行中だから排除できるとしても、部活に顔を出さずに、五時以降に絵を盗みに来た部員がいるかもしれないからだ。

 幸子ちゃん以外の、三年と一年の計七人に話を聞かなければならないだろう。手間がかかるうえに、面識のない人に話を聞くのは緊張しそうだ。

「ところで幸子ちゃん、今日は結構、聞こえたよ」

 俺は自分の口元を指さしてみせた。

 幸子ちゃんの声のことだ。

 美術部が静かだったこともあるけど、初めて会った数週間前よりも、声が大きくなっている気がする。

「ホント?」

 幸子ちゃんは顔を輝かせた。

「毎日、腹筋してるの。ミックンに、腹から声出せって、いつも言われるから」

 ミックンとは、ミッチーのことだ。

 幸子ちゃんの柔らかそうな頬がピンクに染まった。

 俺は、おや、と思う。

 ミッチーと幸子ちゃんは、家が隣同士の幼馴染みらしい。

 でもそれだけじゃなくて、もしかしたら、幸子ちゃんは……。

「それに、家庭教師もやってるし。聞きやすくしないと」

 幸子ちゃんは蒼治郎を見上げた。

「順調か?」

「うん。ありがとう」

 幸子ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

 割がいいという家庭教師のアルバイト先を紹介したのは蒼治郎だ。

 幸子ちゃんは、一時は学校を辞めなければならない状況に追い込まれていたが、親の仕事も含めて改善に向かっているらしい。

「こんにちは。……あら?」

 ドアが開いて、女生徒が入ってきた。上履きの先が青なので、三年生のようだ。部外者の俺と蒼治郎を見て、眉を寄せている。

 丁度いい。部活に顔を出した人から順に、話を聞いて行こう。


 俺と蒼治郎は二日ほどかけて、美術部の三年と一年に話を聞き終えた。

 絵がなくなったという月曜の夕方から火曜の早朝にかけての行動を確認。家族はもちろん、外出している場合はアルバイト先や塾の関係者にも裏を取った。これがまた手間だった。

 朝については、七人とも授業に間に合うように登校していて、絵を持ち出す時間はなさそうだった。しかし月曜夕方の方は、アリバイのない生徒が二人いた。

 一人目は、三年の山本あゆみ。幸子ちゃん程ではないけど背が低く、ぽっちゃりした体形だ。腰まである長い髪を、首の後でひとまとめにしている。

「月曜日は授業が終わった後、部活には行かないで帰ったよ。駅ビルでウインドウショッピングをして、家に着いたのが夕方の五時くらい。それからお風呂入ったり、ご飯食べたり、勉強したりして、親が帰ってきたのが九時頃かな。それまでずっと一人だった。薄井さんの絵は覚えてるよ。アクリルガッシュで写真みたいなリアル画を描いていたんだけど、デッサン力があるし、すごく評判が良かった。あの絵、なくなっちゃったんだ。出てくるといいね」

 二人目は、一年の森美千代。俺より身長が高くてほっそりしている。スカートは膝上丈にする女子が多いのに、森さんは膝より長い。後ろの裾の端に、青い絵の具がついていた。

「月曜日は部活に出て、掃除をした一年の三人で一緒に帰りました。駅までは一緒だったけど、方向が違うので、そこで別れました。家に帰ってから、八時くらいに親が帰ってくるまで一人です。絵が夕方なくなった可能性が高いなら、もしかすると、あの人たちが見てるかも……」

 七人に聞き終えた時点で、幸子ちゃんの話と矛盾することはなかった。幸子ちゃんの話は信じてよさそうだ。

 ただし、森さんから聞いた“あの人たち”にも、話を聞く必要が出てきた。

 絵探しを引き受けたのはいいけど、話を聞いて回ってばかりだな。

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