三話 消えた絵 2

 そうか。幸子ちゃんは二つの事件を解決した俺たち(主に蒼治郎)に、絵を探してほしいと頼ってきたのだ。

 クラスメイトの頼みだ。俺たちは快く引き受けた。

「いつなくなったの?」

 俺が尋ねると、「昨日の五時以降」と幸子ちゃんが答えた。

 時間が明確な理由はこうだった。

 昨日、美術部に集まっていたのは五人。三年生が二人と一年生が三人だった。因みに、二年生は修学旅行中だ。

 各自、間隔をあけて部屋で絵を描いていた。飾っている絵とは別の作品だ。

 このとき三年生が、絵の具をたっぷり乗せたパレットを床に落としてしまった。汚した本人を含めた三年生は塾の時間が迫っていたため帰宅。一年生は掃除をしてから、三人一緒に帰った。

 ――その時間が、夕方の五時だった。

「幸子ちゃんのスカートも汚れてるね」

「落ちたパレットの、近くにいたから……」

 跳ねちゃって、という言葉は、かろうじて聞き取れた。

 青い絵の具が、上履きやスカートの膝の辺りに、点々とついている。

「パレットが落ちたのは、ここか」

 蒼治郎が見ているのは教室の入り口近くの床だ。タイル三つ分に青い絵の具がこびりついていた。

「部室に雑巾がなくて、モップである程度拭き取ったんだけど、完全には取れなかったの。でも、もう乾いてるから、きっと踏んでも大丈夫だよ」

 全体的に床は灰色っぽいのに、その周辺だけ、鮮やかな木の色が浮かんでいる。多分モップ掛けしたところだけ木炭が取れて、元のタイルの色になったんだろう。

 俺は試しに、青い絵の具を踏んでみた。上履きにこそ色はつかなかったが、絵の具が凹んで、床に靴跡が残ってしまった。まだ完全に乾いていないようだ。

「絵がなくなったって気づいたのは、いつ?」

「今日、一時間目が始まる前。授業の前に、描きたいと思って、早めに来たら、出展した絵がなかったの」

 昨日の夕方五時から今朝にかけての時間帯に、絵は盗まれた。

「なくなった絵の大きさは?」

「F五十号」

 ん? なんだそれ。

 俺がピンときていないと気づいたのか、幸子ちゃんは「これと同じ」と近くの絵を指さした。約百十七センチ×九十一センチで、かなり大きい。これを持ち運んでいたら目立ちそうだ。

「この部屋から持ち出されていない、とか」

 窓の下の棚には、数えきれないくらい絵がしまわれている。

 しかし、美術部内は既に幸子ちゃんが探したそうだ。

「持ち出した人に、心当たりは?」

 幸子ちゃんは、曖昧に首を傾げた。

「あるの?」

「多分、美術部の、人」

 俺たちは幸子ちゃんに促されて、椅子に座った。背もたれのない木製の四角い椅子だ。

「なぜそう思う?」

 蒼治郎に促されると、幸子ちゃんは指を二本立てて「二つ、理由が……」と言った。

 幸子ちゃんは身長が低いので手も小さいのだけど、手の平がふわふわしていて爪が小さく、まるで紅葉のような手だ。

「一つ目は、なくなったのが昨日の夕方から今朝にかけて、だったから」

 文化祭で出典した絵は、二週間は部室に飾っておくように顧問に言われていたそうだ。それ以降なら、いつでも持ち帰れる。そのリミットを知っているのは、美術部員だけだ。

 ――そして昨日が丁度、二週間目だった。

「幸子ちゃんの絵が欲しいのなら、昨日までに盗らなければならなかった。今日以降は、幸子ちゃんが持ち帰ってしまう可能性があるから」

 俺がそう言うと、蒼治郎はうなずいた。

「昨日の夜、もしくは今朝持ち去るというのは、もうひとつ意味があるかもしれない。発覚するだろう今日は、二週間を過ぎるということだ」

「どういうこと? 意味がわからなかった」

「つまり、絵がなくても幸子が持ち帰ったと思うだけで、騒ぎにならない。幸子さえ黙っていればな」

 大人しい幸子ちゃんは声をあげないと見越して、このタイミングを狙ったということか。

 だとしたら、随分と計画的じゃないか。

「二つ目の理由は、これ」

 幸子ちゃんは、ポケットに入れていた南京錠を取り出した。

「南京錠の鍵を管理しているのが、美術部員だから?」

 俺が訊くと、幸子ちゃんはあいまいな表情になった。蒼治郎が口を開く。

「文化部の部室は、基本的に幸子が持っているような南京錠で鍵をかける。部室を使っていない時、部室の鍵は職員室に戻さなければならない。とはいえ、誰が管理しているわけでもない」

「ということは、誰でも鍵を持ち出せるということ?」

 蒼治郎はうなずいた。

 すると、幸子ちゃんが言わんとする、二つ目の理由はなんだろう。

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