二話 剣を失ったスパルタカス 1

 桜星高等学校の文化祭『桜高祭』の初日。九月一週目の土曜日は、清々しい青空の広がった快晴だった。

 校門には大きな装飾門が設置され、そこから続く桜並木には、クラスや部活のPR看板がずらりと立ち並んでいる。屋台用のテント、野外で飲食するためのテーブルや椅子、そこに日避けとして設置されたパラソル。

 屋上からは開催を知らせる垂れ幕がさがり、教室の窓はステンドグラスのように加工され、学校全体がアミューズメントパークのように華やかになっていた。

「気合が入った文化祭だな」

 電飾を使い、本物の露店並みに凝っている各教室の外装を眺めながら廊下を歩いていると、なにか柔らかいものにぶつかって、俺はよろけた。

「ごめんなさい、余所見していて」

「こちらも急いでいて、前方不注意だった。すまない。大丈夫か?」

 少し高い位置から、凛としたアルトの声が降ってきた。視線を上げると、意外に近い位置に顔があった。目尻が上がった、猫のような瞳が印象的な美人だ。

「す、すみません」

 バッと顔が熱くなるのを自覚しながら、俺は重ねて謝った。よろけた拍子に、その女性に抱きとめられていたようだ。頬に柔らかい感触がする。慌てて離れようとしたけども、その人の腕は俺の腰に巻きついたままだった。

「まだ動かないで。髪が絡まったようだ。ストラップに触るよ」

 栗色のウェーブの髪の一部が、俺の胸ポケットに入れたスマートフォンのストラップに巻きついていた。整髪料だろうか、爽やかないい香りがして、心臓のバクバクが加速した。

 すぐ目の前に端正な顔があり、目のやり場に困った俺は視線を落とした。その女性の上履きが見える。先端が緑色なので、二年生のようだ。因みに一年の俺の上履きは赤。一つしか違わないのに、随分と大人っぽい人だ。

「よし、取れた」

 猫目の先輩が一歩離れた。手の平には、ストラップのクジラが乗っている。それを見て、クスリと笑った。

「随分、懐かしいものをつけているな」

「えっ、このストラップのこと知って……」

「時間がない。じゃあ」

「あっ、先輩、待って!」

 先輩は走り去ってしまった。

「あの人、なにか知ってるみたいだった」

 このクジラのストラップは、俺の恩人であり初恋でもある“あの子”に繋がっているアイテムだ。一週間ほど前に引っ越してきた俺は、この地にいるはずの“あの子”を探している。

 俺はストラップを、そっと握りしめた。

 もしかすると、あの先輩が、俺が探している人なのかも……。

 だったら嬉しいな。すごい美人だったし。俺より身長が高かったけど、俺はこれからガンガン伸びるから!

「なんだか今の、ピンチを救われたお姫様と王子様みたいだったね。もちろん、昴くんがお姫様ね」

「なんでだよ」

 俺はムッとして、軽く眉を吊り上げながら振り返る。

 からかうような口調で話しかけてきたのは、クラス一の美少女である中町遥ちゃんだ。遥ちゃんは新雪のように肌が白いので、黒く大きな瞳と長い睫毛、そして胸の辺りまである艶やかな黒髪がコントラストのように浮かび上がって見えた。クラスどころじゃなくて、この学校で一番美人かもしれない。

 あ、でもさっきの先輩も相当な美人だったな。タイプが違うから比べられないけれども。

「そうだ遥ちゃん、さっきの先輩、知ってる?」

 見ていたのならとダメ元で聞いてみると、遥ちゃんは「知ってるよ」とアッサリうなずいた。

「知ってるの?」

「演劇部の部長さんだよ。有名な人だし、話したこともあるから」

 演劇部か。なるほど、宝塚のトップスターみたいな雰囲気があったもんね。会いに行かなきゃな。

「なにかあったのか?」

 冷たくも見える無表情の、百八十三センチの新開蒼治郎がやってきた。因みに俺は百六十センチジャスト。身長が低いことがコンプレックスな俺は、ついに見ただけで人の身長がわかるようになってしまった。

 俺は身長が高い男が嫌いだ。しかもこんな出来すぎた容姿の男は、近くにいるだけでイラッとしてしまう。

 だけど本日、小学生でも手にできる可愛らしい虫ごときで悲鳴を上げそうになるほど虫嫌いだと聞いて、少し親しみがわいた。

「演劇部の部長さんが、このクジラのストラップのことを知ってるみたいなんだ」

 蒼治郎や遥ちゃんは、俺がストラップをくれた人を探していることを知っている。「よかったね」と遥ちゃんは喜んでくれた。蒼治郎はノーリアクションだ。別にいいけど。

「そういえば、文化祭の開始時間、九時半だったよね?」

「ああ。それがどうかしたのか」

 蒼治郎は切れ長の目で、問いかけた俺を流し見た。

「まだ三十分も前なのに、すごい並んでるなと思って」

 俺は三階の廊下の窓から外を見下ろした。門の内側に最前列を入れているにも関わらず、敷地の外にまで開場待ちの来客が溢れていた。

「この学校の文化祭って有名なんだよ。だから人気のアトラクションは満席になっちゃうの。整理券を配るから、毎年開場前に行列ができるんだって。明日は私が整理券配布係なんだけど、大変そうだよね。来場者は一日一万人くらいだっていうし」

 遥ちゃんは憂鬱そうに行列を眺めながら言った。高校の文化祭で一日一万人も集めるなんて、すごすぎる。

 すると今日と明日で、二万人もの人がこの学校に来場することになるのか。保護者や、来年この学校を受験する予定の中学生の下見が多いのかもしれないけど、地元の高校生だって来るだろう。その中に、クジラのストラップを知っている人もいるかもしれない。どこかに「ストラップの情報求む」とかって写真付きの張り紙をしておこうかな。

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