二話 剣を失ったスパルタカス 3
幸子ちゃんが丸椅子に座っていた。背中を丸めて、不安そうに唇を引き締めている。前髪に隠れて顔の半分は見えないけど、いつも桃色の柔らかそうなほっぺが青白くなっていた。
「だ、か、ら」
幸子ちゃんの後ろに立つミッチーが、一文字ずつ言葉を区切った。
「背筋伸ばせって言ってるだろ! 社交ダンス用の矯正ギプスでもつけるか!?」
どっかで観た映画みたいな表現だな。
ミッチーは幸子ちゃんの肩甲骨の間に膝を当てながら、幸子ちゃんの両腕を後ろに引っ張った。
「いたたたたっ、ミックン、痛いよう」
幸子ちゃんは悲鳴まで小さかった。
推測だけど、いつも幸子ちゃんが背中を丸めているのは、胸を隠すためだと思う。身体は小さいのに、胸がかなり大きいのだ。今もミッチーに胸を広げられて、制服のボタンが吹っ飛びそうになっている。
「幸子、ゆっくり息を吸え」
ミッチーは声の音のトーンを落とした。幸子ちゃんは大人しく言うことをきく。ミッチーは腕を引く力を抜いた。
「ゆっくり息を吐き出す」
ミッチーはそう言いながら、ゆっくりと腕を引く力を入れた。幸子ちゃんも言われたとおりにする。それを何度か繰り返しているのを見ていると、ヨガとかストレッチの先生が指導しているようだった。
「こうやって大胸筋や小胸筋を伸ばさないと肩こりの原因になる。この鎖骨の辺りにリンパが集まる場所があるから、ほぐさないと老廃物が溜まってむくみやすくなるし、冷えやすくなるし……」
ミッチーは骨ばった細い指で幸子ちゃんの首回りを揉む。幸子ちゃんの顔色は良くなっていた。血行が良くなったのかもしれない。表情はちゃんと見えないけど、なんだか気持ちがよさそうだ。
「それに、猫背のままだと」
ミッチーは顔を幸子ちゃんに近づけた。
「胸が垂れるぞ」
「……っ!」
女子になんてことを!
俺以外にも、二人のやりとりを聞いていたクラスメイトに衝撃が走った。
「若いうちから、ばあちゃんみたいに床まで垂れ下がるのは嫌だろ?」
ミッチーの雷撃を受けた様子の幸子ちゃんは、涙目になりながら、これ以上ないくらい背筋を伸ばした。
「これからは姿勢よくできるな?」
幸子ちゃんはコクコクとうなずいた。脅迫だった。
「そのままな。目を瞑ってろよ」
ミッチーは幸子ちゃんの前髪をピンでとめて眼鏡を外した。メイクを始めるようだ。中指と薬指にコットンを乗せて両端を指で挟み、化粧水をかけて、幸子ちゃんの顔に沁み込ませていった。次も同じように乳液で肌を潤す。
「ファンデーションで輪郭に立体感を出す。アイメイクはばっちりやっておこう。あと、眉毛剃るから動くなよ」
幸子ちゃんは目を閉じたまま全身をこわばらせた。言いつけどおり、背筋は伸ばしている。
「そのメイク道具、ミッチーの?」
「ん? そだよ」
俺の問いかけに、手を止めずにミッチーは答える。
「親のを借りてきたの?」
アイシャドウ用なのか、五十色以上あるパレットに、リップらしきパレット、筆やペンシルなど、まるでプロが使っているような道具が揃っていた。
「だから、オレのだって」
ちらっと俺を見て、ミッチーはニカッと笑った。
「オレさ、ヘアメイクもスタイリングもできる、トータルコーディネーターになるのが夢なんだ。親は反対してるんだけど、一応言われた大学に入っておいて、夜間の専門学校にも通うつもり」
「もう、将来のこと決めてるんだ。すごいね」
素直に感心した。
俺はまだ、将来のことは考えてない。行きたい大学くらいはあるけど、大学に行ってから先を決めても遅くないと思っていた。やりたいことも、まだ見えていない。
「大したことないだろ。陳腐な言い方かもしれないけど、メイクとかって、魔法みたいじゃん。抜群に可愛くなったり、大人っぽくなったりしてさ。オレの手で、世界中の女の子に魔法をかけたいんだよね」
言ってることはキザなのに、今のミッチーが言うと、ストンと胸に落ちた。
ミッチーは話しながらも、真剣な眼差しで幸子ちゃんにメイクしている。
「オレが髪を染めてるのも、ピアスをしてるのも、その一環。自分でいろいろと試してんの。そのうちネイルもやるかも」
ただチャラいわけじゃなかったんだ。なんかだか、ミッチーが格好良く見えた。
「よし、こんなもんだろ。あとは髪を巻いて」
お下げにしていた幸子ちゃんのゴムを外し、スプレーをかけてブラシで梳かすと、髪をいくつかに分割にしてコテで巻き始めた。場所によって、太さの違うコテを使い分けている。
「終了! ほら、みんなに見てもらえよ」
ミッチーは幸子ちゃんの背中を押した。丸椅子から立ち上がった幸子ちゃんは、恥ずかしそうに手で顔を隠して俯いている。
「め、眼鏡……」
「ダーメ。幸子の眼鏡、どうせ伊達じゃん。いいから鏡を見ろよ」
離れた場所にあった姿見をミッチーは運んできた。目の前に姿見が置かれて、恐る恐る幸子ちゃんは顔を上げた。そして動きを止める。
「これが、あたし……?」
幸子ちゃんは驚いたように、大きな目を見張った。
「おおっ」
様子を見ていたクラスメイトがどよめく。
髪に隠れていた大きな瞳は黒目がちで、メイクと付け睫毛で一・五倍ほど大きく見えた。眉を整えたせいかノーズシャドウのせいか、目と眉毛の間隔が縮まって立体感が出て、整ったパーツがより際立っていた。そばかすはすっかり消えている。唇もグロスで艶やかに光っていて、なんだか美味しそうだ。
前髪を上げてポンパドールにし、ふわふわと巻かれた黒髪がふっくらとした頬にかかって、更に小顔に見せている。まるで童話に出てくるお姫様だった。まだ制服姿なのがもったいない。さぞかしメイド服が似合うだろう。
「なっ、可愛いだろ」
ミッチーは得意げだった。
文句なく美少女だった。
いや、元々小学生にも見える童顔なので、
「美幼女」
と呟いてしまい、慌てて口を押さえた。いかん、嗜好を疑われてしまう。
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