第025話「スピット」

 繁華街の雑踏の中へと紛れ込み、家路につく。空はすっかりオレンジ色に染まっていたが、真夏日ということもあり、一向に暑さは和らぐ気配がなかった。


 セーラー服の裾を持ち上げてパタパタと仰ぎながら、汗ばむ肌に風を送る。


《チェリー、はしたないプモよ。おへその部分が丸見えプモ。やはり痴女に目覚めたプモか?》


《目覚めとらんわ! でも暑いんだからしょうがないだろ。特にブラジャーに締め付けられた胸元とか、蒸れて大変なんだよ。……はぁ、魔法で涼しく出来たりとかしないのか?》


 せっかく魔法が使えるようになったのだから、何かこう便利な使い方はないものだろうか……。


《火魔法や氷魔法を応用することによって、服の中を快適な温度に保つことは可能プモ。だけど、今のチェリーじゃ魔力量や制御技術が不足していて無理だと思うプモ》


 そうなのか……。残念だが、逆に言えばもっと魔法少女としてのレベルが上がれば出来るようになるってことだよな。これは新たな目標ができたぞ。


 汗で蒸れたブラジャーの位置を、人に見られないようにこっそり直しながら歩く。


《う~ん、これならもっと胸が小さかった方が良かったかもなぁ。変身のイメージを変えれば小さくしたりできないかな?》


《な、な、な、何を言ってるプモかあああああぁぁぁぁぁ!!! 気でも狂ったプモか!? こんな世界遺産級の奇跡的バランスを誇る至宝のロリ巨乳を手放すなんて言語道断プモ! 絶対あり得んプモ! 大きなおっぱいには人類の夢と希望と愛が詰まってるプモよ!》


 ペンダントの中で唾を飛ばしながら喋っているのが、明確にイメージできるほど興奮している様子のプモル。


 まあ、変態猫に同意するのは癪だが、僕もどちらかと言えば巨乳派だ。


 だが、見てる分にはいいが、いざ自分がなってみると色々大変なのだ。重いし、肩は凝るし、戦闘の時は結構邪魔だし、今日みたいなクソ暑い日は汗でべっとりになる。


 おまけにこうして普通に歩いてるだけで、周りからの視線を集めてしまう。さっきからすれ違う男達が、僕の胸をチラ見してくるのがわかった。


 ほら、今も向こう側からやってきた、若い男達のグループが、ニヤついた顔でこっちを見てる。


 大学生くらいだろうか? 大声で喋りながら、道いっぱい広がって歩いているため、通行人が迷惑そうにしている。先頭にいるのは金髪で耳にいくつもピアスをつけた、いかにもチャラそうな男だ。


 絡まれると面倒なので、そっと道の端に寄る。男達は舐めるように僕の全身を見回しながらもそのまま通り過ぎていった。


 だが、横を向いたまま歩いていたせいで、金髪ピアスが正面から歩いてきた人影に気付かず、勢いよくぶつかってしまった。


 ドンッという衝撃音とともに、二人とも尻もちをつく。


「ってーな! どこ見て歩いてんだよてめーっ!!」


 金髪ピアスが怒鳴り声を上げる。


 僕の胸を凝視していて、前を見ていなかったのは明らかにお前の方だろうと思ったが、巻き込まれないように少し離れて様子を見守ることにする。


「き、君が余所見をしていたんじゃないか! 人のせいにするんじゃない! ほら見ろ! 今の衝撃で眼鏡が壊れちゃったじゃないか! どうしてくれるんだ! これは特注品なんだぞ! 弁償しろ!」


 ぶつかった男は、小太りのオタクっぽい外見をした中年だった。彼は地面に転がった自分の眼鏡を拾い上げ、必死の形相で訴えかけている。


 一方、金髪の方はというと、仲間達とゲラゲラ笑いながらその様子を眺めていた。


「な、何を笑ってるんだ! この眼鏡はじゅ、10万もするんだぞ! お、お前らみたいな若造が簡単に払える額じゃないんだ! わかっているのか!」


 その言葉を聞いた瞬間、彼らは目を丸くして固まった。だが、数秒後、再び大声で笑い始めた。肩を叩き合い、腹を抱えて笑っている。


「聞いたか? たっちゃん! 10万だってよ! お前らみたいな若造が簡単に払える額じゃないんだ~~だってさ! ぎゃははははは!」


 たっちゃんと呼ばれたのは、先ほど小太りとぶつかった、金髪ピアスの青年のようだ。彼は金髪を掻きあげながら、小馬鹿にしたように笑みを漏らす。


「10万だったか? ほれ、これでいいか?」


 鞄の中から無造作に札束を取り出し、それを小太りの男の目の前に掲げた。10万どころかその倍はあるように見える。その予想外の金額に、小太りの男も口をあんぐりと開けている。


「たっちゃんは先日、立川ダンジョンで特殊個体を倒してCランクに昇格した、新進気鋭の探索者様だぜ? おっさん! あんたじゃ一生かかっても稼げねえような金を持ってんだよ」


 立川ダンジョンは、ここ並木野市からも近い場所にあるダンジョンで、並木野ほどではないけれど、結構な規模を誇るダンジョンである。


 そこの特殊個体を倒したということは、この金髪は見た目とは裏腹に、かなりの実力者なのかもしれない。


「ほら、拾えよ」


 札束を地面にばら撒く金髪ピアス。小太りの男は一瞬躊躇う様子を見せたが、すぐに這いつくばって札を集め始める。それを見た金髪ピアスは、仲間達と共に再びゲラゲラと下卑た笑い声を上げた。


「ざまあねえな! おっさんが毎日毎日朝から晩まで必死になって働いても、俺達がこうやって遊びながら適当にダンジョン潜って稼ぐ額の欠片にも満たないんだぜ? 悔しかったらおっさんも探索者になってみたらどうだ? ま、無理だと思うけどなぁ! ぎゃはははは!!!」


 金髪ピアスは最後に「ぺっ!」と這いつくばっている男に向かって唾を吐きかけると、仲間達と一緒にその場を立ち去っていった。


「…………」


 僕はその一部始終を、黙って見ていた。正直イラっとしたが、探索者の若者にああいった輩は少なくない。こういう状況はダンジョンがある街では日常茶飯事だ。


 ダンジョン資源の需要は年々高まっており、それをダンジョンから持ち帰ることのできる探索者の存在は、今や国の経済にとってなくてはならないものとなっている。故に、貴重なレベルアップ能力持ちである彼らは特別扱いされがちで、際限なく増長してしまっているのだ。


《チェリーのおっぱいのせいプモな。チェリーがこんないやらしいおっぱいをしているせいで、酷い目にあっておっさんかわいそうプモな~》


 プモルがうざったらしく絡んでくる。ペンダントの中から顔を覗かせてニヤつくその姿は、まさに変態のソレだ。


《……でも、よくよく考えると、唾吐きかけられただけで大金ゲットとか、あのおっさんラッキーかもしれんプモな。もしあれが美少女の唾だったら、ご褒美とお金の両方を貰えたようなものプモから、そこは惜しかったプモが……》


 何が惜しいんだよ……。ホントどうしようもないなこいつ……。


《試しにチェリーもおっさんに唾を吐いてあげたらどうプモか? きっと喜んでくれると思うプモよ?》


「吐かんわ!! 変態か!?」


 思わず大声を出してしまい、周囲の視線が集まる。僕は慌てて咳払いをして誤魔化すと、急いでその場を離れ、早足で自宅へと向かったのだった。

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