第041話「嬉野莉音、小学4年生の夏③」
救命ボートには既に多くの人が乗り込んでいた。皆不安げに外の様子を眺めている。
「さあ、莉音。先に乗っちゃいなさい」
母が優しく微笑む。
私は言われるがまま、ボートに乗り込んだ。続いて、毒島先生もボートに飛び込んでくる。続々と他の人達も乗船してきて、ついに全員の収容が完了した。
あとは父を待つのみだ。
だが、それから数分経ってもその姿は見えない。
「お父さんはまだなの!?」
「くっ! そろそろ限界じゃぞ! 早く出発しないと船の沈没に巻き込まれて全滅してしまうわい!」
「待って! 来たわ! 隆行さんよ!」
母の指差した方に目を向ける。
そこには、1人の子供を抱えながらこちらに向かって走って来ている父と、その後ろを追いかけてくる男達の集団が見えた。
男達は手に銃を持っており、真っ直ぐ私達のいる救命ボートに向けて構えている。
「な、奴ら既に船に乗り込んでおったのか!?」
毒島先生もそれに気づいたようで、焦りの声を上げる。
まずい……このままだと全員殺されてしまう。
私がそう思った時、父は抱えていた子供を下ろし、大声で叫んだ。
「君! ボートに向かって走りなさい! ここは危険だ! 早く! 急ぐんだ! GO!」
子供は一瞬戸惑っていたが、意を決したように大きく首を振ると、言われた通り、ボートへ向かって走り出した。
その直後、父は銃を持った男の1人に体当たりを食らわせ、そのまま押し倒す。そして、すかさず男の持っていた拳銃を奪い取り、他の男達へと向ける。
「くっ! こいつ! 我々の崇高な使命を妨害する気か! 殺せ!」
リーダー格らしき男が叫ぶと、部下の男達が一斉に発砲する。
父は斜めに傾いた船の上で器用に動き回り、次々と銃弾を避けていく。その隙をついて、先ほど助けた子供がボートに飛び乗ってきた。
これで全員が救命ボートに乗ったことになる。
あとは、父がこの場を切り抜けるだけだと思った矢先――
「くそ! ボートだ! ボートを狙え! あいつは放っておいていい!」
別の男が叫び、父の方ではなく、ボートに向かって銃弾を撃ち始めた。
「きゃあああっーーー!!」
誰かの悲鳴が上がる。
私は恐怖で身がすくんでしまい、声すら出せなかった。ただひたすらに目の前で起こった出来事を見ているだけしかできない。
「なっ! お前達! やめろっ!」
父も予想外の出来事に驚き、慌てて男達に銃口を向けて応戦するが、ボートを狙った銃撃は止まらない。
「うわあぁぁぁぁ!」
「いやああぁ!」
あちこちで悲痛な声が上がり始める。何人かはもう撃たれてしまったようで、血を流している人もいた。
その時だった。
1人の男が私の方へ銃口を向け――
パンッ! という乾いた音が響き渡った。
(あ、死――――)
迫り来る死の気配に、思わず目を瞑る。
だが、いつまで経っても痛みは襲ってこなかった。恐る恐る目を開ける。すると、そこには――
私を守るようにして両手を前に掲げる母の姿が映った。
母の腕からは真っ赤な鮮血が溢れ出し、私の服や髪に降りかかる。
――何が起きたのか理解できなかった。
私はただ呆然と立ち尽くし、その様子を見ていた。
そして次の瞬間、その身体は徐々に傾いていき、そのまま海に落ちていった。ゆっくりと、スローモーションのように。
「お、お母さーーーーーーーーーん!!!」
私は泣き叫んで、海に落ちた母親に駆け寄ろうとする。だが、毒島先生が必死に腕を掴み、それを止めてきた。
「待てっ! テロがまだこちらに銃口を構えている! 迂闊に近づくと危ないぞ! 落ち着くんじゃ!」
一瞬遅れてそのことに気づいた父は、男達と銃撃戦を繰り広げながら、母の元へと走っていく。何人かの男は父の銃弾によって倒れたようだったが、まだ数人は残っている。
「遥香ーーーーーーーーーーーっ!!」
父は母の名を叫びながら、海に飛び込んだ。
やがて、父に抱きかかえられた母が海面に浮かび上がってきた。母はぐったりとしており、意識を失っているようだった。
残った数人のテロリスト達は母を抱えて無防備な父の背中に銃弾を撃ち込もうと、再び銃を構える。
「どけ! ワシが運転する! お主らはそこでじっとしておれ!」
乗客を押しのけて毒島先生が運転席に乗り込み、ボートのエンジンを起動させる。
「先生! 早くっ! このままだとお父さんとお母さんが死んじゃう! 早く2人のところへ!」
私は焦って、先生の肩を強く揺すった。先生はハンドルを握ると、勢いよくアクセルを踏み込んだ。エンジンが爆音を響かせ、船が加速していく。
――だが、その進行方向は父と母のいる方向とは真逆だった。
「――――え? 毒島先生?」
「……………………」
毒島先生は何も言わず、真っ直ぐ前を見つめている。
後ろを振り向くと、動かない母を抱えた父が肩口を撃たれながらも、何とか泳いでこちらに向かっていた。
だが、テロリスト達は容赦なく父に銃弾を浴びせる。
「先生? 毒島先生っ! 何してるんですかっ!?」
私は慌てて、もう一度強く呼びかける。それでも、先生は前だけを見ている。
「お父さああああーーーーーん!!」
私は再び後ろを振り向いて、大声で叫んだ。
父は私と目が合うと、何かを伝えようと口を動かしている。だが、距離が遠すぎて何を言っているかわからない。
そして、どこか決意に満ちた表情を浮かべたあと、私に向かって小さく微笑むと、くるりと向きを変え、残りのテロリスト達に向かって銃口を向けた。
直後、激しい銃声が鳴り響く。
その結果を最後まで見届けることなく、船は速度を上げ、父と母から離れていく。
私は何度も声を張り上げたが、父も母もどんどん遠ざかっていき、ついには見えなくなってしまった。
「なんでっ! 毒島先生!! なんでよぉっ!!!」
涙を流しながら、力の限り叫ぶ。
だが、先生は無言のまま、一度もお父さん達の方を振り返らず、ボートを操縦し続けた。
それから数十分後、ボートは岸に辿り着き、私達は救助隊に助けられ、病院へと搬送された。
――死者104名、負傷者多数。エルドラドで起こったLWDによる大規模テロ事件。
死亡者の中には、1組の日本人夫婦が含まれていた――。
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