第040話「嬉野莉音、小学4年生の夏②」

 それから数日間は、母と周辺を散策したり、ショッピングをしたり、ホテルの豪華なプールで泳いだりと、のんびりした日々を過ごした。


 父が毒島先生の警護任務を終えた後は、家族3人で観光スポットを巡り、美味しいものを食べ歩いたり、綺麗な海で遊んだり、大浴場でゆっくり入浴をを楽しんだりと、最高のバカンスを過ごすことが出来た。


 だが、楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去っていくもので、気付けばもう帰国する日になってしまった。


「午後の便で帰る予定だけど、まだ出発まで時間はあるし、WEAの本部のある例の島に行ってみるかい?」


「行きたい―!」


 WEAの本部は、例の少年が見つけた世界最大のダンジョンに繋がるゲートのある場所に建てられており、その周辺一帯はエルドラドで最も発展している。


 そのため、ダンジョン産のアイテムや、ダンジョン資源をふんだんに使ったレジャー施設なども多く存在する。


 世界最大のオークションハウスもこの島に存在し、レアアイテムや恩寵の宝物ユニークアイテムの大規模オークションが定期的に開催され、世界中のセレブが集まることでも有名だ。


 私達は船に乗って、その島に向かうことにした。



「凄いわね……。ここが5年前まで何もない無人島だったなんて信じられないわ」


 目の前に広がる光景を見て母は感嘆の声を上げた。


 島の中心にはWEAの本部である巨大な高層ビルがあり、その周りを囲むように様々な施設が立ち並んでいる。


 ビルの周りには公園のような広場もあり、そこにはたくさんの屋台が出ていて、大勢の観光客や探索者達で賑わっていた。


 島の外周部は広大な砂浜になっていて、海水浴を楽しむ人や、ビーチパラソルの下で日光浴をしている人の姿が見える。


「それじゃあ、まずは腹ごしらえにしようか。それからお土産を買って、その後にあのビルの最上階にある展望台から、この島を一望するとしよう。それでいいかな?」


「うん! お母さん、早く行こっ!」


「はいはい、わかったからそんなに急がないの」


 私は母の手を引っ張って、レストランに向かって走り出した。




「ふう、疲れたぁ~……」


 レストランでたらふく食事をした後、色々と見て回った結果、すっかりくたくたになってしまっていた。


「そろそろ歩き疲れただろう? 最後に観光船に乗ってゆっくり空港まで向かおうか」


「そうねー。まだ少し時間があるし、そうしましょうか」


「さんせーい!」


 私達は港に向かい、観光船のチケットを買って乗り込んだ。1週間にわたるエルドラドの旅もこれでいよいよ終わりを告げる。


 船はゆっくりと進み始め、穏やかな波に揺られながら、のんびりと島の周りを回っていく。


 豪華客船での優雅なクルージング。客室からは透き通った青い空に、エメラルドグリーンの海がどこまでも広がっていて、それはまるで一枚の絵画のような景色だった。


「ねえ、せっかくだし外に出てみても大丈夫かな?」


「いいけど、あまり遠くまで行かないようにね。あと、危ないから海をのぞき込んじゃダメよ。落っこちたら大変だからね」


「もう! 流石にそこまで子供じゃ無いってばー!」


 私は母の言葉に頬を膨らませながら、客室を出て甲板へと向かった。


 甲板に出ると、潮風が私の髪を優しく撫ぜる。眼前に広がるのは、どこまでも続く碧い水平線。太陽に照らされた海面には、小さな魚の群れが見えた。


「きれいだなー……」


 しばらくその景色に見惚れていると、不意に背後から声を掛けられた。


「おや、君は……隆行くんのところの娘さんじゃないかな? 確か莉音ちゃんじゃったか。こんにちは。ご機嫌麗しゅう」


 振り返るとそこには、恰幅の良い白髪の老人がいた。


「あ、えっと……毒島先生。こんにちは」


 父の警護対象である毒島正臣議員だった。今日は護衛の人達は付いていないようだ。


「ははは、そう構えないでくれたまえ。視察も終わってワシももう帰るだけじゃからな。ただの通りすがりのおじいちゃんとでも思っておいてくれんかな」


「はあ……」


 毒島先生はニコニコしながら私の隣に立つと、一緒に海の方を眺め始めた。


 正直言ってこの人は苦手だが、父の仕事の関係者なので邪険に扱うわけにもいかない。そのまま黙って海を見ているフリをしてやり過ごすことにする。


「君は……今いくつだったかな?」


 突然、脈絡のない質問を投げかけられ戸惑う。だが、一応会話を続ける努力はしようと思い口を開く。


「えと……今年で10歳になります」


「10歳!? というとダンジョンに入ったらレベルアップ能力に目覚める可能性がある年齢か……。いや、失礼。少し驚いただけじゃよ。うん、実に素晴らしいことじゃな」


 ダンジョンの中でレベルアップ能力に目覚めることが出来るのは、10代の少年少女の一部だけだ。私は、まだダンジョンに入ったことはないが、確かにもう10歳になるので、可能性としては十分あり得るだろう。


 私が無言でいると、毒島先生はさらに続けた。


「いや、羨ましい限りじゃな。ワシもダンジョンに憧れはあるが、もうレベルアップ能力に目覚めることは叶わんからのぅ。そうでなくても体中にガタが来ておるし、モンスターと戦うなぞとても出来んわい」

 

 自虐的な笑みをこぼす毒島先生。その言葉には諦めのようなものが含まれているように感じた。


「先生みたいな立派な人でもそんな風に思うんですか?」


「そりゃそうじゃろ。男なんてもんは、みんな冒険に焦がれとるんじゃよ。いくつになってものぉ。特にダンジョンなんて摩訶不思議な場所が現実に存在していると知った日には、いても立ってもいられない気持ちになるものじゃて」


 老人は目を輝かせながら語る。その様子は、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のようだった。


「ワシは……今の若者達が羨ましくて仕方がない。未知の世界へと足を踏み入れ、英雄のような力を手に入れて、世にも不思議なアイテムを持ち帰る。それはきっと、想像を絶するほどに刺激的で面白いに違いない。一度きりの人生なら、そういう生き方をしたかったと心底思ってしまうのじゃよ」


 どこか遠くを見るような目つきで、老人は呟いた。


 だが、すぐにハッとした表情になると、バツが悪そうな顔でこちらを見た。


「いや、すまんの。年寄りの戯れ言に付き合わせて。君はまだ10歳だというのに、つまらん話だったのぅ。忘れてくれ」


「……いえ、大丈夫です。ダンジョンがゲームみたいでちょっと面白そうっていうのは、なんとなく理解できますから」


 私の返答を聞くと、毒島先生は嬉しそうな顔をした。


「そうじゃろう! そうじゃろう! 君はわかってくれるか! ワシらは皆、子供の頃は夢と希望に満ちた少年だった。それがいつの間にか、大人になり、つまらない日常に流されてしまう。後はただ老いて死ぬだけの毎日だ。人生というのはかくも虚しいものじゃ……」


 そこで、毒島先生は言葉を区切ると、ゆっくりと深呼吸をして再び口を開いた。


「…………じゃが、もしワシの願いを叶えてくれるような恩寵の宝物ユニークアイテムが存在するのならば或いは――――」


 老人はどこか狂気的とも思える眼差しで、海の向こうを睨んだ。


 その瞳に宿る光は、子供が憧れるヒーローに向けるような純粋なものではなく、もっとドロリと濁った感情を孕んでいるように見えた。


「わ、私そろそろお母さん達のところに戻りますね!」


 目の前の老人に、どこか薄気味の悪さを感じた私は、慌ててその場を離れようと踵を返した。



 ――その時だった。



 突然、大きな爆発音と共に、目の前の景色が揺れた。


 あまりの衝撃に思わず尻餅をつく。


「きゃっ!」


 一体何が起こったのかわからない。だが、周囲の人々が騒ぎ出していることから何かとんでもないことが起こっていることは間違いなかった。


 私は急いで立ち上がり、周囲を見回す。すると、船のあちこちで煙が立ち上っているのが見えた。船に乗っていた人達が、パニックになって甲板を走り回っている。


「な、なんじゃ! どうなっておる!?」


 隣では、毒島先生が慌てふためいていた。


 だが、次の瞬間、今度はさらに激しい轟音が鳴り響き、船が傾き始める。悲鳴を上げながら必死に柱にしがみつく人々。


「莉音ーーーー!! 大丈夫かーーーーっ!!」


 父が血相を変えて走ってくるのが見える。隣には母の姿もあった。私は慌てて2人の元へ駆け寄る。


「お父さん! お母さん! 私は大丈夫だよ!」

 

 それを聞いて安堵の息を漏らす両親。だが、直後にまた爆発が起こり、船体が大きく傾く。


「ぬおおおおっ! た、隆行くん! これは一体どういうことなのじゃ!?」


「毒島先生! この船に乗ってたんですか!? ……どうやらテロ集団の襲撃を受けているようです! おそらく、LWDの連中の仕業でしょう!」


 テロ? LWDって、あのダンジョン反対派の過激派団体のことだよね? 話には聞いていたけど、まさか自分が乗る船でそんな事件が起こるなんて……。


「今エルドラドの海上警備隊がテロリスト達と交戦しています! 莉音、遥香、毒島先生! 反対側に救命ボートがあるから早く逃げなさい! 僕は負傷者の救助に向かう! いいね?」


「ちょ、ちょっと待ってよ! お父さんも一緒に――」


 言いかけた言葉を飲み込む。父はもう走り出していたからだ。正義感が強い父らしい行動だった。


 その背中はすぐに見えなくなってしまう。


「おい! 奥さん、莉音ちゃん! 隆行くんなら大丈夫じゃ! 彼ならきっと無事に戻って来るわい! ワシらもすぐに逃げるぞい! ほれ、こっちじゃ!」


 後ろを振り向くと、毒島先生が手招きをしていた。私と母は顔を合わせて、コクリと小さくうなずく。


 そして、私達は救命ボートのある場所へ走った。

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