幕章 黄金卿エルドラド

第039話「嬉野莉音、小学4年生の夏①」

 ――優しい心を持ちなさい。いつだって誰かを思いやる気持ちを忘れないでね。


 それが私の母の教えだった。


 警察官の父は、正義感が強く、困っている人を見ると放っておけない人で、小学校の先生をしている母は、誰にでも優しく、しかし父を支えるしっかり者の妻でもあり、私にとっては理想の夫婦像だった。


 そんな両親に育てられた私は、幼い頃から正義の味方に憧れていた。


 弱きを助け、強きを挫く。悪を討つ正義のヒーロー。幼い頃は、テレビの中の彼らのように、そして両親のように強くてかっこいい大人になりたいと思っていた。


 優しくて立派な両親の元で過ごす幸せな生活。だけど、そんな日常はある日唐突に終わりを迎えることになる。



 ――あれは、私が小学校4年生の夏休みのことだった。



「エルドラド?」


「そう、太平洋の真ん中に浮かぶ無人島に作られた世界で最も新しい国さ。WEAの本部もあるあの島の周辺には、多くの人工島が建設され、今やそこに住む人達の数は100万人を超えるとも言われている。まさに新時代の象徴ともいえる場所だね」


 いつも通り、リビングで家族3人で夕食を食べている時のことだった。突然、父がそんな話をし始めたのだ。


 私は、母と顔を合わせると、不思議そうな表情を浮かべる。


「世界中から優秀な探索者達が集うあの国は、ダンジョン資源やダンジョン産のレアアイテムのお陰で、急速に発展したんだ。そのおかげで、今では世界で最も裕福な国になったとまで言われているよ」


 父はコーヒーを飲みながら話を続ける。


 ――それはほんの偶然だった。


 世界にダンジョンゲートが出現して数ヶ月後、アメリカ人の少年がヨットで太平洋を横断している最中に、その島に空間の裂け目を発見する。


 それが噂に聞いたダンジョンゲートだとすぐに気づいた彼は、島に上陸すると、思い切ってそのゲートに飛び込んだそうだ。


 たった1人で太平洋を横断しようと試みる度胸のある少年だ。その行動力は尊敬に値するが、とんでもない命知らずでもある。


 まぁ、幸いなことに少年は無事に生還できたのだが、その際、彼はダンジョンから大量の金塊を持ち帰ってきたのだ。


 何でも浅い階層にしか潜らなかったにも関わらず、そこら中からまるで石ころのように溢れ出てきたらしい。


 そのニュースは瞬く間に世界を駆け巡り、人々の話題を攫った。そして、その島こそが新たなフロンティアとして注目され始める。


 それからというもの、その島には世界中から続々と探索者が集まり始め、ダンジョンに潜るようになった。その結果、そのダンジョンはこれまで発見されていなかった新たなタイプの、かつ世界最大規模のダンジョンであることがわかってきたのだ。


 その後、その島は"エルドラド"と名付けられ、世界最大のダンジョン都市として発展していくことになり、遂には独立国として認められることになった。


「あれから5年。たったそれだけの時間で、エルドラドは世界の最先端を走る国へと成長した。ただダンジョンがあるだけじゃなく、今や商業施設や娯楽施設も充実してるし、世界最大のダンジョン産アイテムのオークションが開かれるのもこの国だ。当然リゾート地としても人気が高くて、富裕層の旅行客が後を絶たないんだよ」


「それくらい知ってるわよ……。毎日のようにニュースでやってるじゃない。世界中のお金が集まる場所だって……。ねえ、莉音?」


 母は呆れた様子で溜め息をつくと、同意を求めるかのようにこちらを見る。


「うん、そのエルドラドがどうかしたの?」


 私は首を傾げながら聞き返すと、父はニヤリと笑みを浮かべる。


 そして、鞄の中から何かを取り出すと、テーブルの上に広げる。それは一冊のパンフレットとチケットのような紙切れだった。


 パンフレットの表紙には、大きく"夢の国へようこそ!"と書かれている。


「実は仕事の関係でとある議員の先生を警護することになったんだけどね? その人がこの島の視察に行きたいと言い出したらしくて、急遽同行することになってしまったのさ。その人が旅費と1週間分の宿泊券を用意してくれたんだけど、僕の警護担当は3日間だけだからね。その後は自由にしていて良いと言われたんだよ。どうだい? 莉音、遥香。せっかくだから、皆で一緒に行かないかい?」


 そう言って父は、私と母の顔を交互に見る。


 何でもチケットは3人分用意されており、その議員さんが言うには、家族でも友人でも好きな人を誘って行っても良いとのことらしい。


 確かに魅力的な話だと思った。私は今まで一度も海外に行ったことがないし、何より、エルドラドは美しい海に囲まれ、近未来的デザインの建造物が立ち並ぶ観光都市としても有名なのだ。想像するだけでワクワクしてくる。


 ちらりと母の顔を見ると、彼女も興味津々といった感じで父を見つめていた。


「いいじゃない! 私もあなたもそれくらいなら休みを取れるし、莉音は夏休みだし、ちょうど良かったんじゃないの?」


 母は乗り気なようで、楽しそうに父の肩を叩く。私ももちろん大賛成だった。


「私も行きたい!」


 元気よく手を挙げて2人に自分の意見を伝える。すると父は嬉しそうに微笑んだ。


 こうして、私達は生まれて初めて海外の島に行くことになったのだ。




 そして、それから約半月後の8月中旬。


 私達は日本を出発し、飛行機に乗って数時間、遂に目的の島に辿り着いた。


 空港に到着するなり、まずは入国審査を受け、荷物を受け取る。そして、税関の職員にパスポートを見せ、チェックを受けてようやく外に出ることができた。


 そして、目の前に広がる光景に思わず目を見開く。


「うわぁ……すごい……!」


 白い砂浜、青い空、そして太陽の光を浴びてキラキラと輝く透き通ったエメラルドグリーンの海。


 後ろを振り返るとそこには近未来的デザインの建物の数々。まるで映画のワンシーンを切り取ったような景色に、私は只只圧倒されていた。


 そのあまりの美しさにしばらく立ち尽くしていると、不意に誰かに手を握られる。ハッとしてそちらに視線を向けると、そこには満面の笑顔の父と母の姿があった。私達は互いに顔を見合わせると、クスッと笑い合う。


 そして、そのまま3人で手を繋いで、タクシー乗り場に向かって歩き出す。


 タクシーに揺られること数十分。やがて、目的地であるリゾートホテルに到着した。ロビーに足を踏み入れると、そこは高級感溢れる雰囲気に包まれており、思わず萎縮してしまう。


 私がキョロキョロと辺りを観察していると、向い側のソファーに座っていた老人がこちらに歩み寄って来た。


 小太りで背の低い、スーツ姿の男性だ。歳は70歳前後といったところだろうか。真っ白な白髪に整えられた口髭。そして、眼鏡の奥に輝く優しげな瞳。一見すると好々爺といった印象を受ける風貌をしている。


 両側に警護らしき人間を連れていることから察するに、この人が例の議員さんだろうか。


「やあ、隆行くん、早かったじゃないか。それと、そちらのお嬢さん達が君のご家族かね? 噂通り美人の嫁さんと可愛い娘さんだ」


 その人は父の名前を呼びながら、馴れ馴れしく肩を叩いてくる。


 父は苦笑いを浮かべながらも、頭を下げていた。


「毒島先生、お久しぶりです。はい、こちらが私の妻と娘です。この度は家族の分までチケットを用意していただいたようで、本当にありがとうございます」


 父がそう言うと、その議員は満足気に何度も首肯した。


「なに、構わんよ。君は優秀な警察官じゃからな。それに最近の若いもんは警護の対象がワシみたいな老人だと嫌がる奴が多いんじゃよ。口に出さなくても、そういう気持ちは顔に出るものなんじゃ。だが、君は違う。そういうところが信頼できると思ってるんじゃ。まあ、そういうわけでの。これから3日間よろしく頼むぞ」


 議員はそう言ってニヤリと笑うと、護衛を引き連れて私達の前から去っていった。何とも言えない空気の中、取り残される私達。


「あの人が日本ダンジョン党の代表を務める毒島ぶすじま正臣まさおみ先生だよ。君も名前くらいは聞いたことがあるだろう?」


 父は去っていく老人の背中を見ながら、そんなことを呟く。


 確かにテレビで何度か耳にしたことはある気がする。私はコクリと小さく相槌を打った。


 日本ダンジョン党というのは、最近になって急速に議席数を増やしている政党だ。キャッチコピーに"ダンジョンと共存共栄し、日本の発展を目指す"という文言を掲げており、今最も勢いのある政治勢力と言っていい。


「まあ……ちょっと良くない噂もある人だけど、基本的には良い先生なんだ。あんまり失礼な態度を取らないようにね?」


 父は困ったように頬を掻きながら、私達に忠告してくる。


 確かに悪い人では無さそうな感じはしたが、正直、私はあまり好きになれなかった。言葉では言い表せないのだが、何かあの、人の良さそうな老人に引っかかるものを感じたのだ。


 しかし、今それを言ったところでどうしようもないと思い、私は黙って小さく首肯する。


 それから、フロントでチェックインの手続きを行い、部屋に案内された。中は広く清潔で、内装もシンプルでありながら高級感があり、とても落ち着ける空間だった。


「すごーい! ねえねえお母さん、見てみて!」


 バルコニーに出てみると、眼前には広大な海が広がっていた。潮風が心地よく吹き抜けていく。


「へえ~、思ってた以上に綺麗じゃない。これはいいところに来れたわねー」


 母は嬉しそうに微笑むと、手すりに手を置いて、目の前に広がる絶景を眺めている。


 そんな私達を尻目に、父は部屋に荷物を置くと、すぐに出かける準備を始めた。


「それじゃあ僕は午後から毒島先生の警護に回る予定だから、同僚と打ち合わせをして来るよ。3日間は一緒に居られないけど、大丈夫かい?」


「そんなに心配しなくても平気よ。ねえ、莉音?」


「うん、お父さんこそ無理しないでね」


「はは、できればそうしたいけど護衛だからね。いざという時は無理するさ。まあ、この島は警備体制が万全だから滅多なことは起きないと思うけどね。ただ、最近はダンジョン資源の使用に反対する過激な団体もいるらしいし、君達も念のため警戒だけは怠らないようにしておいてくれ。特に莉音は1人で絶対に出歩かないようにね?」


 父は心配そうな表情を浮かべて、私に釘を刺してきた。


 過保護なのは少し鬱陶しいが、初めての海外旅行なのだ。それに父のことは尊敬しているので、大人しく従うことにする。


 それにしても、ダンジョン反対派の人達か……。


 確かにダンジョンが出現してから数年、ダンジョン資源の恩恵を受けた国とそうでない国の格差はどんどん広がっている。日本もダンジョンの出現により経済は潤っているが、反対勢力もかなり多いと聞く。


 特に、ダンジョンなんて怪しい場所から産出された謎のエネルギーなど絶対に使うべきではない、と主張する過激派の集団は、最近になって急激に勢力を拡大しているそうだ。


 ダンジョン資源をこの世界から排除すべきという主張を掲げ、テロ行為を繰り返している、LWD(Life Without Dungeons)という組織があるという噂は聞いたことがあった。


 ここエルドラドは世界最大のダンジョン国家であり、ダンジョン資源によって発展した国なので、そういった反対派の人達にとっては、まさに目の上のたんこぶといった存在だろう。


「でも折角の海外旅行なのに、ずっとホテルに籠もりきりっていうのもつまらないわよね……。まあ、あなたの仕事が終わるまでは遠出しないで、ホテルの周辺を見て回ることくらいにしましょうか」


 母の提案に、父は満足げに微笑むと、安心したように部屋を出ていった。





──────────────────────────────────────

Q.太平洋のど真ん中に5年で多数の人工島と近未来的デザインの建物の数々って流石に無理じゃね?


A.エルドラドはこの世界で最も多くのお金とダンジョン産レアアイテムと恩寵の宝物が集まる場所です。つまりファンタジーアイテムと石油より凄いダンジョンマネーと人海戦術で何とかなった。というわけだ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る