第006話「童貞の号哭」

「よし! これで10匹目!」


 足元に転がるゴブリンの死体を見つめながら、満足気に呟く。ダンジョンに入って2時間。僕は既に10体のゴブリンを倒していた。


 正直こんなに簡単にいくとは思っていなかったので、嬉しい誤算である。


「ふう、今日はこれくらいにしておこうかな。地図を見るともうすぐ転移陣のある階段に着きそうだし」


 初日からあまり無理をするのもよくないだろう。精神的疲労など見えない疲れもあるかもわからない。


 そう思い、今日は探索を切り上げようと思ったのだが――


「グギャギャギャッ!!」


 前方の曲がり角から1体のゴブリンが現れた。僕は咄嵯に背中に背負った麻痺の薙刀を手に取る。



 ――だが、次の瞬間、僕の表情は凍りついた。



 なんと、反対の曲がり角からも、更に別のゴブリンが姿を現したのだ。しかもその数は2体。


「う、3対1だと!?」


 流石にこれはまずい。2匹相手なら先程倒すことが出来たが、3匹同時となるとまだ自信がない。


 いや、正直言って倒すことは出来ると思うのだが、怪我をしてしまう可能性がある。


 レベルアップ能力を持った探索者の中には、回復系のスキルを持っている者もいるらしく、ボスモンスターからは軽度の怪我なら治してしまうようなポーションが手に入ることもあるらしいが、どちらも貴重で、僕のような駆け出しの凖探索者とは縁がない。


 つまり、軽傷ですら、今後の探索活動に支障が出てしまうかもしれないのだ。


(ここは安全策をとって逃げた方がよさそうだな……)


 そう思って踵を返そうとした時だった。


 後ろからドタドタと、何者かが走ってくる音が聞こえてきた。振り返ると、3人の男達が必死の形相でこちらに向かってきているのが見えた。


 先頭を走っているスキンヘッドの男は見覚えがある。あいつらは先程、ゴブリンの小穴の前で狩りをしていた連中じゃないか?


「どけっ!!!! 邪魔だっ!!」


 スキンヘッドの男が、すれ違いざまに僕の肩を突き飛ばしていく。突然のことで反応出来なかった僕は、そのまま地面に尻餅をつく形になった。


 男達はそんなこと気にも留めず、あっと言う間に走り去ってしまった。


 その様子に唖然としていたが、すぐに我に返り立ち上がる。目の前には3匹のゴブリンがいるのだ。気を抜けば死ぬことになる。


「くそっ! なんだよあいつらは! いや、今はそれよりこいつらから逃げるほうが――――」


 そこまで言って、言葉を失う。


 何故ならば、後ろからもゴブリンの鳴き声が聞こえてきたからだ。それも1匹や2匹ではない。もっと沢山いるようだ。


 額から嫌な汗が流れ落ちる。


 恐る恐る後ろを振り返ってみる、そこには――――



 ――――7体のゴブリンがいた。



 思わず一歩後ずさって再び前方を見る。すると、3匹のゴブリンが通路の真ん中を塞ぐように立ちふさがっていた。


 前方に3匹、後方に7匹――合計10匹。完全に退路を断たれてしまった。


(う、嘘だろっ! あ、あいつら僕にゴブリンを押し付けやがったのか!)


 ようやく状況を理解する。おそらくだが、あの小穴から思った以上に大量のゴブリンが湧き出したのだ。


 1匹ずつではなく、そういうことも起こりうるのだろう。彼らはそれを知らずに狩りを続けていた。そして、運悪く大群が発生してしまい、慌てて逃げ出したのだ。


 その逃走の際に、たまたま近くにいた僕を囮に使ったということなのだろう。


 彼らに対して急速に怒りが湧いて来る。だが、それどころではなかった。前方の3匹のゴブリンが武器を振り回しながら襲ってきたのだ。


「う、うわああああぁぁぁーーー!!!」


 僕は恐怖のあまり絶叫を上げながら、麻痺の薙刀で応戦する。その刃の先が1匹のゴブリンを捉え、その体を痺れさせた。


 だが、他の2匹は怯むことなく、僕へと迫ってくる。


「こ、こんなところで死んでたまるか!」


 半ば自棄になりながら、麻痺の薙刀を振るう。その切っ先は見事に2匹目のゴブリンの胴体を貫き通す。


 これで前方には1匹だけになった。ここを通り抜けることが出来れば逃げ切れる。


「よし! このまま前方に走り抜けて――――」


 そう思って薙刀を引き抜こうとするのだが――


 ――それは叶わなかった。


 なんと、貫かれたゴブリンが血反吐を撒き散らしながら薙刀に噛みついていたのだ。


 反射的に薙刀ごとゴブリンを蹴り飛ばす。しかし、それでも薙刀を離さない。


 そこに、後方にいた数匹のゴブリンが飛びかかってきた。


 咄嵯に蹴りつけて1匹を弾き飛ばすが、残りのゴブリンに腕や脚を噛まれてしまう。


「痛ッ! やめろっ! このっ! 離れろっ!!」


 激痛が走る。なんとか振り払おうとするが、上手くいかない。


 そうしている間に、新たなゴブリンが僕目掛けて棍棒を振り上げた――――。


「ひっ! や、やめ――――」



 ――ベキッ!! ボキッ!!



「ぎゃああああああああーーーー!!!」


 無慈悲な一撃が僕の右腕を襲う。麻痺の薙刀が僕の手からぽろり、と落ちた。


 咄嗟に左手で拾おうとして――失敗する。


 左腕にもゴブリンが齧りついていたのだ。



 ――ちょ、ちょっと待ってくれ! う、嘘だろ…………!?



 全身から冷や汗が吹き出す。『死』の一文字が脳裏をよぎり始める。


 右腕は確実に折れて使い物にならないだろう。いや、もしかすると肩の方までやられているかもしれない。


 ゴブリンは相変わらず僕の体に齧りついていた。


「ギヒヒヒヒィッ」


 醜悪な顔を歪ませて笑うゴブリン達。勝利を確信し、これから僕にどんな仕打ちをしようか考えているのだろうか?


 ――ボキッ! バキッ!


「うぎゃああーーー!!」


 嫌な音とともに、今度は左太腿の辺りに激痛が走った。ゴブリンが棍棒で殴りつけたのだ。


 左足も骨折してしまったかもしれない。もう立つことも出来ない。僕は地面に倒れ伏したまま、涙を流していた。



 ――ない……もう。この状況を打開する方法が……。



 ゴブリン達はそんな僕の様子を嘲笑いながら見ている。


 ――嫌だ。死にたくない。誰か助けてくれ。


 子供のように泣きじゃくる。


 どうして探索者になろうなどと無謀なことを思ってしまったんだろう。公務員として、普通に働いていればよかったじゃないか。


 今更後悔しても遅いことはわかっている。でも考えずにはいられなかった。


 ゴブリン達は僕の四肢に群がるようにして、何度も殴ったり蹴ったりしてくる。骨が折れただけではなく、出血も多くなってきた。次第に意識が薄れてくる。


 僕はこのまま死んでしまうのか? 童貞のまま――――。



 ――童貞のまま……童貞のまま……童貞のままっっっ!!!



「嫌だぁぁぁぁぁーーーー! 童貞のまま死にたくなーーーーいっっ!!! 誰か助けてくれぇえーーーー!!!!」


 気が付くと、僕は大声で叫んでいた。


 童貞の号哭がダンジョン内に木霊する。



 ――そして、それは奇跡を起こす。



 ゴブリン達が突然動きを止め、一斉に後ろを振り向く。そこには、こちらに向かって駆け寄ってくる人影があった。


「大丈夫ですか!? 今助けますからね!」


 それは女性の声だった。いや、少女と形容した方が適切かもしれない。


 まだあどけなさが残るその声の主は、瞬きする間に僕の目の前に移動していた。そして、腰に携えた剣を抜くと、それを一閃する――――。


 ――ズシャッ!


 次の瞬間には、全てのゴブリンの頭部が空中を舞っていた。


 頭部を失った体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。


(す、凄いっ!!)


 僕やあの男達のような凖探索者とはまるで違う、レベルアップ能力を持つ本物の探索者。それがこの子なんだ。


 サラサラの黒髪を靡かせ、ゴブリン達の亡骸の中心に立つ彼女を見て、僕は一瞬彼女が自分をお迎えに来た天使かと思った。


 それほどまでに少女は美しく見えたのだ。


「ふーーー! なんとか間に合いましたね。大丈夫ですか?」


 くるり、と振り返って、彼女は僕に笑顔を向ける。


 二人の視線が重なった。



「「あっ……」」



 思わず二人同時にそんな言葉を発してしまっていた。


 何故ならば、その美少女の顔に見覚えがあったからだ。


「先生!」

「嬉野!」


 そう、そこに立っていたのは僕のクラスの生徒である、嬉野莉音だったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る