第003話「並木野ダンジョン」

 ジリジリとした暑苦しい日差しの中、僕は額に流れる汗を拭いながら、街の中心へと続く並木道を歩いていた。



 ――季節は7月。



 世間は夏休みに突入しており、道行く人々の数は普段よりもかなり多い。


 そんな中、僕は一人緊張した面持ちで目的地に向かって歩みを進めていた。周囲には同じような格好をした人達が大勢いるのが見える。


 恐らくは僕と同じ目的を持った人々なのだろう。


 セミの声が響く街中を歩くこと数分。緑豊かな並木道を通り抜けると、そこには巨大な建物がそびえ立っていた。


 並木野市の中心に位置するその建物は、『日本探索者協会・並木野支部』と書かれており、入口には警備員らしき男性が2人立っている。


 建物内には、大勢の人達が行き来しており、その中には制服を着た学生の姿も見える。どうやらここが目的の場所らしい。


(ようやくこの日がやってきたか……)


 思わず感慨深い気分になる。


 あれからなんとかダンジョン産の武器を入手することに成功した僕は、無事、凖探索者資格を取得することができた。


 今日は、凖探索者の資格を与えられた人間が、初めてダンジョンに潜ることが出来る日なのだ。


 緊張した面持ちのおじさんや、笑顔の若者達が続々と建物の中に入っていくのを見て、僕もまた彼らに混じって建物の中へと入っていく。


 中に入るとそこは、まるで役所のような空間が広がっていた。受付窓口があり、その前には順番待ちの列が出来ている。


 僕も早速その最後尾に並ぼうと足を一歩踏み出したが、その瞬間、早足で歩いてきた誰かと衝突してしまった。


「うわっ!?」


 突然の衝撃にバランスを崩しかけたものの、どうにか踏ん張って転倒を避けることができた。しかし、ぶつかった相手はそうはいかなかったようで、派手に転んでしまったようだ。


 慌てて振り返ると、そこには一人の少年が尻餅をついていた。年の頃は中学生くらいだろうか? まだ幼さが残る顔立ちをしている。


 彼はギロリとこちらを睨むと、不機嫌そうな声を上げる。


「おい! 何ボーっと突っ立ってんだよおっさん! 邪魔なんだよっ!」


「お、おっさんって! 僕はまだギリギリ20代――――あっ……」


 反論しようとしたところでハッとする。


 今日は僕の誕生日だ。つまり僕は本日めでたく30歳を迎えてしまい、立派なおっさんの仲間入りを果たしてしまったのだ。


(そうか、僕はもうおっさんだったのか……)


 職場だと葉月先生と他数人くらいしか僕より年下がいないので、ついいつまでも若いつもりでいたが、この少年から見たら立派なおっさんだよなぁ。


 自分の年齢を再認識し、少し悲しくなる。


 だが、今はそんなことで落ち込んでいる場合ではない。僕は気を取り直すと目の前の少年に手を差し伸べた。


 しかし、彼はその手を乱暴に振り払う。


「少しデカいからっていい気になってんじゃねーぞ! おっさん! ダンジョンの中ならてめーらなんて俺達能力者の敵じゃねぇんだ! ……ちっ、レベルアップ能力も持たない雑魚が探索者を名乗るんじゃねーよっ!」


 舌打ちをして、吐き捨てるようにそう言うと、その少年はどこかへ行ってしまった。


 ダンジョンでは無敵の強さを誇る能力者達とはいえ、ダンジョンの外ではただの人だ。だから中学生らしく小柄な彼は、僕にぶつかった程度で転んでしまったのだろう。


 だが、たったそれだけのことでも、彼にとっては我慢ならなかったようだ。あの少年だけでなく、レベルアップ能力の持っているであろう若者達は、そんな考えを持っていることが多い。


 彼らは、列に並んでいる僕達凖探索者を目にすると、あからさまに侮蔑の視線を送ってくる。


 中には露骨に嘲笑してくる者さえいた。


 まあ、気持ちは分からなくもない。彼らにとってみれば、自分達は選ばれた存在なのだ。そこに一般人のおっさん達が入り込んでこようとしているのだから、面白くないと思うのも当然だろう。


 だが、こちらとしてもここで引き下がるわけにはいかない。彼らの態度に腹を立てつつも、僕はどうにか心を落ち着かせて、自分の番が来るのを待つのだった。




「次の方どうぞ~」


 受付嬢に呼ばれ、僕はカウンターの前に立つ。


 緊張に高鳴る心臓を抑えながら、手元にあるカードを差し出す。これは、探索者免許証と呼ばれる物で、探索者になる際に必ず発行されるものだ。


 探索者免許証には、名前、年齢、住所、生年月日などの他に、探索者ランクという項目がある。探索者ランクはFから始まり、最高でAまで存在し、探索者の実力を表す指標となる。


 僕らのようなレベルアップ能力を持たない凖探索者は、基本的にDランク以上には上がれないので、最高でもEランクということになる。


 だが、ダンジョン探索でその実力が証明されれば、上のランクに上がれる可能性も僅かに残されているらしい。


 ランクが低いと、潜れる階層が制限されたり、序盤から凶悪なモンスターが闊歩するダンジョンへの入場許可が下りなかったりする。


 ここ、並木野ダンジョンは日本でも有数の規模を誇っているのだが、上層には強力なモンスターは存在せず、初心者向けとなっており、Fランクの探索者でも潜ることが可能だ。


 受付嬢は、手慣れた動作で書類に目を通し、最後に僕の顔を確認すると、にっこりと微笑む。


「はい、確認しました。桜井心一様ですね? 本日は並木野ギルドへお越しいただきありがとうございます」


 正確には『日本探索者協会・並木野支部』だが、探索者の間では一般的に並木野ギルドと呼ばれているらしい。


「早速ダンジョンに潜られますか?」


 ギルドはダンジョンの存在する都市には必ずあり、大体はダンジョンゲートのある場所に建てられる。無資格の者が無断でダンジョンに潜るのを防止するためだ。


 当然、ここも例外ではなく、ダンジョンゲートは施設内に設置されている。


「はい! お願いします!」


 この日の為に、ずっと準備を整えてきたのだ。


 ダンジョン産の武器の入手に、ランニング、筋トレ、ダンジョンやモンスターの情報収集……出来ることは全てやった。


 後は実践あるのみ。ここで足踏みしていても仕方がない。


「分かりました。それではこちらの書類にサインをお願い致します」


 僕は差し出された書類に目をやる。そこには、注意事項と誓約書の文字があった。


 要約すると以下の内容が書かれている。



1.アイテムの横取りや、探索者同士の殺し合い等、ダンジョン内での犯罪行為は禁止。


2.入手したアイテムの所有権は本人にあるが、一度はギルドに提出する必要がある。


3.新種のモンスターや貴重な素材、未発見のアイテム、新しい階層などが発見された場合、速やかに報告すること。


4.死んでも文句は言うな。



 以上のことを守れない場合は、罰金や降級などのペナルティや、探索者免許を剥奪される可能性がある。


 一通り読み終えると、契約書の下部に署名欄があり、そこに自分の名前を記入する。これで、いよいよダンジョン探索の準備は整った。


「それではこちらへどうぞ」


 受付嬢は、カウンターから出てくると、僕を先導するように歩き出した。


「並木野ダンジョンの概要はご存知ですか? 一応、パンフレットを配布しておりますが……」


 僕はカバンの中に入れていた資料を取り出すと、ページを開く。



 ――並木野ダンジョン。



 日本でも有数の大規模ダンジョンであり、現在確認されているだけでも地下50階以上は存在していると言われている。


 ダンジョンは地下型、塔型、遺跡型など、様々なタイプが存在する。並木野ダンジョンは、その中でも、オーソドックスな地下型ダンジョンである。


 下層へ進めば進むほど、出現する魔物の強さも増していき、その難易度も上がっていくタイプだ。


 10階ごとに、洞窟地帯、森林地帯、山岳地帯、砂漠地帯などエリアも別れており、各エリアには、それぞれ強力なボスが存在している。


 迷宮の中なのに森林や砂漠などというのは奇妙な話ではあるが、それがダンジョンというものなのだ。


 また、並木野ダンジョン内には、モンスターの核である魔石を筆頭に、様々な鉱物資源、珍しい植物、鉱石などが採取できる場所もある。それらの資源を求めて、日本中から多くの探索者が押し寄せてくる。


 並木野市は、ダンジョンの出現により、急激に発展した都市である。


 街の中心にそびえ立つ、ダンジョンゲートを要する並木野ギルドを中心に、商業施設が立ち並び、それに伴い探索者相手の宿泊施設なども充実して――――。


 まあ、このあたりは割愛していいだろう。



「ええと、10階ごとにボス部屋があって、その奥に魔物の出現しないセーフティーエリアが存在するんですよね? そこには地上に帰還する転移陣と、更に下層へと降りる階段があるとか……」


 転移陣というのは非常に便利な代物で、それに乗るだけで一瞬で地上に戻れるという優れものだ。これがなければダンジョン攻略の難易度は一気に跳ね上がっていただろう。


 受付嬢は、僕の言葉に満足げにうなずく。


「その通りです。桜井様はFランクですので、10階までの探索が許可されています。ですが、まずは1階で腕試しをしてみることをお勧めします。はっきり申し上げまして、魔物を甘く見ていると簡単に命を落としてしまいますよ?」


 華やかと思われる探索者の世界だが、その実かなり過酷な職業である。実際毎年幾人もの死者が出ていると聞く。


 僕は気を引き締めるように頬を叩き、覚悟を決める。


 受付嬢はそんな僕の様子を見て、柔和な笑みを浮かべると、目の前にそびえ立つ巨大な扉に手をかけた。


 ギィ……と音を立てて開かれた扉の向こう側に広がる光景を見て、思わず息を飲む。



 ――空間に裂け目が生じていた。



 部屋の真ん中にぽっかりと開いた、半径3メートル程の真っ黒な穴。それは、まるで空間がひび割れたような奇妙な風景だった。


(こ、これがダンジョンゲート……!)


 初めて見るダンジョンの入り口に、心臓の鼓動が激しくなる。


 周りを見ると、既に何人かの探索者がゲートの前で立ち止まり、今まさに潜らんとしているところだった。


 慣れたように穴の中に消えていく若者達。逆に僕のような大人達は皆一様に不安そうな表情を浮かべている。おそらく彼らも僕と同じように、今日始めてダンジョンに潜る凖探索者達だろう。


「一度ダンジョンゲートを潜ると、ボス部屋の奥の転移陣を使わない限り、地上に戻ることが出来ません。しかし、1階にのみ階段の近くに、帰還用の転移陣が設置されています。それを利用すれば、すぐに地上に戻ってこれるんですよ。初心者の方は、まずはそこを利用して徐々にダンジョンに慣れていくことをお勧めしています」


 それは事前に調べていた知識と一緒だった。


 流石にいきなり10階のボスを倒さないと帰れないとなると、生きて出られる自信はない。言われた通り1階の転移陣の側で腕慣らしをするつもりだ。


 受付嬢の説明を聞きながら、僕はゆっくりとゲートの前に立った。


 ――ドクンッ! と心臓が大きく脈打つ。


 ついに来たのだ。僕も今日から立派な探索者(エクスプローラー)。そして、その一歩を踏み出す時が来たのだ。


 僕はゴクリと唾を飲み込むと、意を決して足を前に踏み出した。

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