第002話「いつか見た夢」★

「もう教師……辞めようかな……」


 休日の昼下がり、ソファーの上で横になりながらテレビを眺めていた僕は、ボソリと呟いた。


 画面の中ではニュース番組が流れており、ちょうどダンジョンについて特集が組まれているところだ。渋谷ダンジョンに新たな階層が発見されたことや、そこに現れた新種のモンスターの情報などが報じられていく。


 そのニュースを見ながら、僕は憂鬱な気分になっていた。


 最近……というか、ダンジョンが出現してから10年の間、こうしたダンジョン関連の報道は絶えたことがない。


 日本だけではなく、世界中で似たような状況が続いているらしく、連日のようにダンジョンに関する話題ばかりだ。


 テレビだけでなく、ネット上にもダンジョンに関する情報は溢れ返っており、ダンジョンに潜ったことのある人間の体験談や、ダンジョンで得た戦利品の画像などもアップされている。


 ダンジョン内にはこちらの世界の電子機器は一切持ち込めないのだが、ダンジョン産のアイテムは自由に持ち込みが可能らしい。


 その中に映像を保存できる魔道具があり、それを持っている探索者は動画投稿サイトに自身の冒険の様子をアップロードしており、世界中から閲覧者が殺到する事態となっているようだ。


 テレビからスマホに視線を移し、その画面に映っているものをまじまじと見つめる。


「はぁ……本当に凄いなこれ……」


 たった1ヶ月で再生回数が10億回を超えた動画の映像を見て、僕は思わず溜め息を漏らす。


 そこには真っ赤な鱗に覆われた巨大なドラゴンのようなモンスターと戦う金髪の美しい少女の姿があった。


 ドラゴンは口を大きく開き、炎のブレスを放つ。それはまるで巨大な火炎放射器を思わせる威力だったが、それを前にしても少女は全く怯んだ様子を見せず、逆にドラゴンに向かって駆け出した。


 放たれた炎の奔流を華麗に身を翻して回避すると、彼女は身の丈程もある大剣を振り回し、凄まじい速度でドラゴンの身体を切り刻んでいく。


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330661083743281


 そして最後に放った一撃によって、その巨大な首が宙を舞っていた。


 血飛沫を上げながら崩れ落ちる巨体を背にして、少女は悠然と微笑む。彼女の可憐な容姿と相まって、それはまるでハリウッド映画のワンシーンのように見えた。


 コメント欄は称賛の言葉で埋め尽くされており、中には崇拝するような書き込みまである。


「アリス・アークライトか……」


 イギリス出身の16歳の美少女。


 彼女の活躍は世界中から注目を集めており、今最もホットな探索者の1人だ。


 世界探索者協会(WEA)は、各国の優秀な探索者を、その持ち帰ったアイテムや素材、討伐した魔物や攻略したダンジョンの規模などによって独自にランキング付けしている。


 この"世界探索者ランキング"は1位から100位まで存在し、先程の映像に出ていた彼女――アリス・アークライトは、先月マンチェスターダンジョンのレッドドラゴンを討伐したことによって、世界3位の座を獲得した新進気鋭の探索者なのだ。


 彼女は動画投稿サイトに自身のチャンネル"アリス・イン・ダンジョン"を開設していて、そこで日々ダンジョンに潜る様子を撮影して動画配信している。


 そのチャンネルの登録者数は全世界で1億人を超えており、ダンジョン探索者としての実力に加えて、美貌、財力、名声などを兼ね備えたスーパーアイドルのような存在だった。


 それに比べて僕ときたら……。


 あと3ヶ月もしたら30歳を迎える冴えない独身男性。ついでに彼女いない歴=年齢の童貞でもある。


 教師生活も8年目になるが、未だに生徒から舐められてばかりいる。


 安定した給料や福利厚生に惹かれて教職に就いたものの、正直こんな仕事を続ける意味があるのかと自問することも多い。


 一応給料はそれなりに貰えているし、休みもちゃんとあるし、生活には困っていない。だけど……


「僕もアリス・アークライトみたいにダンジョンに潜って大冒険! ……みたいな人生を送ってみたかったよ」


 いい歳して何を言っているんだと自分でも思うけど、実際に目の前に非現実的な光景が広がっているのだ。そんな夢を見てしまうのも仕方ないだろう。


 だけど、レベルアップ能力のない僕は、どうあがいても彼女のようにダンジョンで戦うことは出来ない。雑魚モンスターにあっさり殺されてしまうのがオチだ。


 だからといって、このままずっと生徒達に馬鹿にされながら教師を続けていくことに何の希望があるのだろうか? 最近はそんなことばかり考えてしまう。


「いっそのこと30歳まで童貞を貫いたら本当に魔法使いになれるとかだったら良かったのに……はははっ……」


 乾いた笑い声を上げる。自分で言っていて悲しくなってきた。


 暗い気持ちでテレビのチャンネルを変えようとした時、画面に一人の男性の顔が映し出される。無精髭を生やした筋骨隆々の大柄な体格をした人物で、年齢は40代半ばといったところだろう。


 彼を見ながらアナウンサーが興奮気味に話し始める。


『今日はなんと、あの伝説の探索者、"黒鉄くろがね龍馬りょうま"さんがスタジオに来てくださっています!』


 その名前を聞いて、僕の心臓が大きく跳ね上がる。


 黒鉄龍馬――その名を知らない日本人はいない。


 彼は10年前のダンジョン出現の際に、初めてダンジョンからダンジョン資源を持ち帰ることに成功した探索者であり、探索者の歴史を変えた偉大な英雄だ。


 レベルアップ能力を持たないにも関わず、圧倒的な力でモンスターを次々と屠り、瞬く間に世界トップクラスの探索者となった。


 当時大学生だった僕にとって、彼の姿はヒーローそのもので、いつか自分もあんな風になりたいと憧れを抱いたものだ。


 しかし、彼がダンジョンに潜らなくなって数年が経つ。


 彼はダンジョン産の武器を用いて、次々と強力なモンスターを倒していったのだが、次第にレベルアップ能力を持つ若い探索者達の活躍が目立ち始めるようになると、段々とメディアへの露出が減っていき、やがて姿を消してしまった。


 それでも、今でも彼を慕う人間は大勢おり、特に僕のような当時20歳以上だった世代は、レベルアップ能力なしにダンジョンに潜った彼に対して尊敬の念を抱いている。


 まさか、こんなところで彼の名前を聞くことになるとは思わなかった。


 僕はテレビに釘付けになる。


 画面の中の男性が口を開く。その声は低く、野太いものだった。見た目の印象とは異なり、落ち着いた雰囲気を感じさせる口調だ。


『初めましての方もいると思いますので、まず最初に自己紹介させていただきます。私は元探索者で現在はWEAの日本支部で働いている黒鉄龍馬です』


『黒鉄さんは、本日WEAの日本支部長に就任されたばかりですが、早速インタビューに応じていただけるとは驚きました』


 アナウンサーの女性が言うと、彼は軽く微笑む。


「黒鉄さん、WEAの日本支部長になってたのか! 凄いな!」


 今やWEAは世界的に有名な組織であり、多くの国に存在する支部を統括する立場にあるのだから、凄くないわけがない。


 僕はまるで自分が褒められたかのように嬉しくなる。


 彼は続けて話す。


『いえ、今日はたまたま時間が空いたので、少しお話しさせてもらえればと思っただけです。最近はダンジョン資源の流通も増えてきましたので、日本支部の仕事は増えていますよ。ただ、それでも世界的に増え続けるダンジョン資源の需要に追いついていない状況ですね』


『今やダンジョン資源はなくてならないものとなっていますからね。しかし、探索者の数はあまり増加していないとか?』


 その質問に、彼は眉間にシワを寄せながら答える。


『ええ、レベルアップ能力に目覚めるのは10代の若者の一部だけなのですが、能力に目覚めた彼らも、どうも20代の後半に近づくにつれて、その力を失っていくようなのです。私の知人にもいましたが、ある日突然、探索者としての力を失ったそうですよ。彼は今では普通にサラリーマンをしています』


 それは最近ニュースでも取り上げられている話題だ。


 10年前にダンジョンが発生して、レベルアップ能力に目覚めた最初の世代が、近年次々と力を失い始めているらしい。これは世界中で問題になっているらしく、各国の政府は対策に乗り出しているそうだ。


 僕の生徒達のような、中学生にも探索者の資格が与えられるのも、この影響が大きいと言われている。若い世代ほど、その力は強く保たれる傾向があるというのだ。


 探索者の資格制度が出来た当初、日本では中高生の子供達を危険なダンジョンに潜らせるなどとんでもないと、資格は18歳以上と定められた。


 しかし、年齢制限を設けなかった他国と比べて、日本はダンジョン資源の産出量が極めて少なくなるという事態に陥った。


 そこで、日本政府は急遽、中学生以上の子供達を皆、探索者同伴の元、一度ダンジョンに潜らせてレベルアップ能力に目覚めるかどうか確認することにしたのだ。


 そして、レベルアップ能力に目覚めた子供は、保護者の同意が得られた場合にのみ、探索者の資格を与えることにしたのである。


 ダンジョンはたった一度の探索でも億単位の金を生み出すことだってある。当初は反対していた大人達も、ダンジョン資源の希少性を知ると、手のひらを返したように賛成に転じた。


 それからというもの、日本は世界でも有数のダンジョン資源大国になったのだ。


 アナウンサーが話を続ける。


『やはり噂通り、30歳を超えると全員がその力を失うということでしょうか?』


 その言葉に、黒鉄さんの表情が険しく歪む。


『まだファースト世代に30歳を過ぎた人間はいないので、あくまで推測に過ぎないのですが……おそらくそうなるのではないかと思います。つまりこのままだと探索者の数は一定以上増えないことになり、いずれダンジョン資源の供給も追いつかなくなるかもしれません』


 黒鉄さんの言葉にアナウンサーは深刻な顔をする。


 ダンジョン資源は現在あらゆる産業に欠かせない存在となっている。


 魔石は原発のようなリスクのある発電設備に代わるクリーンエネルギーとして既に世界中で普及しており、ダンジョン産の特殊な金属や鉱物なども様々な分野で利用されている。


 魔物の素材を使った製品は、その性能の高さから高級ブランドとしての地位を確立しているし、ダンジョンで採掘される宝石類も、その希少性から価値が高まっており、こちらも高値で取引されている。


 エネルギーを使い切ると跡形もなく消滅してしまう魔石、スライムから取れる廃棄物を溶かしてしまう謎の液体等、ダンジョンから得られる素材や鉱石は環境にも優しい夢の資源なのだ。


 今やダンジョンからもたらされる恩恵なしでは社会が成り立たない程になっていた。年々増加するダンジョン資源の消費量に、各国政府も頭を悩ませている。


『では、今後の日本のダンジョン探索市場についてどうお考えですか?』


 アナウンサーの問いかけに、彼は真剣な表情を浮かベる。そして、とんでもない提案をした。


『それなんですが、探索者の資格をレベルアップ能力に目覚めたものだけに限らず、もっと幅広い年齢の人々にも与えてみようかと考えているんですよ。もちろん、ダンジョン内では命の危険に晒される可能性はありますが、それは現在進行系でダンジョンに潜っている子供達も同じことでしょう? なら、我々大人がいつまでも逃げ回る訳にはいかないと思うのです』


 彼の発言を受けて、スタジオ内がざわつく。アナウンサーは慌てた様子で彼に尋ねる。


『しかし、過去にダンジョン資源を得るために、大勢の無謀な人々が命を落としたことは事実です。それを再び行うということなのでしょうか?』


 その問いに対して、黒鉄さんは首を横に振る。


『当然、誰彼構わず資格を与えるつもりはありません。ですが、ダンジョンがこの世界に現れた当初、多くの死者が出たのは、ダンジョン内にこちらの世界の武器を持ち込むことが出来なかったことが最大の要因だと思いませんか?』


 確かに、ダンジョン内部には電子機器や金属類を一切持ち込むことができない。


 当時、ダンジョンで一攫千金を得ようとした者達は、その多くが武器すら持たずにダンジョンへと潜った。その結果、モンスターに返り討ちにされたのだ。


 彼は話を続ける。


『しかし、今は探索者達が持ち帰ったダンジョン産の武器が流通しています。浅い階層であれば、それさえ持っていれば、さほど危険はないはずです。ダンジョン産の武器を所持している人限定に、ランク制限を設けた、"凖探索者"の資格を導入すれば、探索者全体の底上げに繋がるのではないでしょうか? これはアメリカ支部の発案で、向こうでは既に導入に向けて動き出しているところです。日本でも早急に取り入れるべきだと私は考えています』


 彼の主張を聞いてスタジオが更に騒がしくなる。


 確かに、今の日本ではレベルアップ能力を持たない人間がダンジョンへ潜ることは基本的には禁止されており、違反者は罰せられることになっている。


 しかし、この凖探索者制度が導入されれば、僕のような年代の人間でもダンジョンに潜ることができるようになるかもしれない。


 僕は思わず拳を握る。こんなに胸が熱くなったのはいつ以来だろうか。


 当時は、いつか自分もダンジョンに潜ってみたいと思っていたものだ。だが、結局それは叶うことはなかった。多くの人々がダンジョンから帰還しないという事実に、僕は怖気づいてしまったからだ。


 そうしているうちに、探索者資格制度が導入され、僕のような一般人はダンジョンに足を踏み入れることが出来なくなってしまった。


 でも、今なら……。


 ダンジョン探索は危険な仕事だ。それは十分に理解している。


 けれど、僕はどうしても諦めきれなかった。黒鉄さんの言葉を聞いた時、僕は心の底から湧き上がる興奮を抑えることができなかった。


 だってそうだろう? ダンジョンなんて男のロマンじゃないか!


 未知の世界に、見たこともないモンスター達。世にも不思議なアイテムの数々。そして、その最下層に眠ると言われる伝説の秘宝。


 そんなものを目の前にして、ワクワクしない男がいるだろうか?


 多くの子供達が当たり前のようにそんなダンジョンに潜り、冒険をしている。それを僕は指をくわえて見ていることしかできなかったんだぞ!?


 葛城や嬉野、アリス・アークライトの姿が脳裏に浮かぶ。



 ――本当は彼らが羨ましくて仕方がなかった。



 自由で楽しそうにダンジョンを駆け抜けていく彼らを見ていると、心の底から悔しかった。


 何故自分は彼らと同じようにダンジョンに潜ることが出来ないのか。いつもそんな想いが僕の心を苛んでいた。


 テレビの中の黒鉄さんは言う。


『皆さん! どうか立ち上がってください。もう怯えるのは止めましょう。子供達だけにダンジョン探索を押し付けるのは間違っています。今こそ我々大人も立ち上がるべき時なのです! 日本支部も全力でサポートしますので、ぜひご検討いただけると幸いです!』


 彼はそう言って頭を下げる。スタジオにいるコメンテーター達は、複雑な表情を浮かべながらも、拍手を送る。


 僕はそんな彼の姿を見て、決意を固めた。



 ――今度こそダンジョンに挑戦してみよう。



 レベルアップ能力の無い者がダンジョンに潜ることが、どれだけ困難なことなのかは分かっている。それでも、もう一度だけ夢を追いかけてみたい。それが例えどんな結果に終わろうとも、何もせずに後悔するよりはマシだ。


 そう思った瞬間、僕の中にあった迷いは完全に消え去った。


 すっきりとした気持ちで、僕はテレビの電源を切る。そして、大きく深呼吸をする。


 まずは行動だ。


 資格を取るためにダンジョン産の武器を手に入れる必要がある。多少値は張るが、公務員で恋人もいない僕は貯金だけはそれなりにある。


 法律が可決されるまで待った方がいいかもしれないが、きっとその時になれば値段が高騰するはずだ。それに、黒鉄さんならきっとこの国の法を変えて、僕達にもダンジョン探索の機会を与えてくれるに違いない。


 ならば、その前に動くべきだ。


 僕はスマホを手に取ると、早速ダンジョン産の武器を取り扱っている店を調べ始めた――――。




 ――それから3ヶ月後。ついに法案が可決された。




 これにより、ダンジョン産の武器を持つ者を限定に、"凖探索者"の資格が与えられ、ダンジョンに潜ることが可能になったのだった。





──────────────────────────────────────

世界にダンジョンが出現したのは、正確には9年と8ヶ月前で、主人公はギリギリ20歳の誕生日を迎えてしまっていました。


ダンジョン内部には、こちらの世界の文明の利器は殆ど持ち込めませんが、綿や布の服、あるいは木刀程度なら持ち込めるようです。

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