第008話「30歳の誕生日」★

 ダンジョンを出ると、外は既に夕暮れ時だった。つい先程まで薄暗い場所にいたせいか、夕日の明るさが眩しい。


 真夏であるが、ダンジョンの中は適度に涼しく過ごしやすかったため、外に出ると蒸し暑さを強く感じてしまう。


 僕は探索用のジャケットを脱いでTシャツ姿になると、大きく伸びをした。


 嬉野は「私はもう少しパトロールしてから帰るので、ここで失礼します」と言って、転移陣の前で別れることになった。


 きっと僕のようにモンスターに襲われている凖探索者がいないか確かめるため、今日は遅くまでダンジョン内にいるのだろう。本当に感心してしまう。


「はあ、やっぱり僕なんかがダンジョンに潜るなんて無謀だったのかな……」


 もう、探索者は辞めたほうがいいのだろうか……?


 嬉野がいなければ僕は死んでいただろう。彼女のおかげでこうやって五体満足で外に出ることが出来たが、もし助けてくれたのが彼女じゃなかったら、脱出できたとしても、もう歩くことすら不可能な体になっていた可能性もある。


 ゴブリン達に全身をバキバキに折られた恐怖を思い出し、ぶるりと体が震えた。


 麻痺の薙刀を買って貯金がすっからかんになってしまったが、僕は公務員だ。真面目に働けば数年で取り返すことは出来る。


 それに、探索者をやめれば、あんな怖い思いをすることもなくなる。引き返すなら今のうちなのではないか――そんな考えが頭をよぎった。


 だが、ふと嬉野の顔が思い浮かぶ。彼女も1階では余裕そうにしていたが、実際は常に危険と隣り合わせの環境にいるのだ。


 そんな彼女が頑張って戦っているのに、大人の自分が怖がって辞めるというのはどうなのだろうか。


 嬉野は僕よりも年下で、僕の生徒で、まだ中学生の女の子なのだ。そんな子に守られてばかりの大人でいいのだろうか。


 でも、僕には何の力もない。ダンジョンに潜っても、彼女を守るどころか足を引っ張るだけだ。それなら、今のうちに探索者を辞めておいたほうが賢明なのではないか。


 ぐるぐると思考が回る。しばらくその場で考え込んでいたのだが、結局答えは出てこなかった。


「とりあえず帰るか……。今日は疲れたよ……」


 僕は大きな溜め息を吐くと、重い足を引きずりながら帰路についた。




「ありあしたーーーーっ!」


 コンビニ店員さんの元気の良い声に見送られ、僕は店を後にする。


 今日は疲れて自炊もする気が起きず、近くのコンビニで弁当と飲み物と……ついでにショートケーキも購入した。


 そのまま家に帰るため、ゆっくりと歩いていく。この辺は住宅街なので、あまり人通りはない。


「はぁ……早く帰ってシャワー浴びたい……」


 ここまで来て、ようやく生きた心地がしてきた。さっきまではダンジョンの恐ろしさに、ずっと緊張していたからな。


 やはり、ダンジョンは恐ろしい。だが、同時に不思議な高揚感があるのもまた事実だった。


「僕にも何か特別な能力があればなぁ……」


 思わず願望を口に出す。


 ずっと平凡な人生を送ってきた。自慢じゃないが、いじめや犯罪など誰かに迷惑を掛ける行為はしたことないし、かなり真面目に生きてきたと思う。


 今日は僕の30歳の誕生日だ。ご褒美……とまでは言わないが、せめて何か変わった出来事が起こってもいいじゃないか。


 だが、現実は非情である。


 いくら願っても、何も起こるはずもなく、気が付けば自分の住むマンションの前に辿りついていた。


「結局は、このままいつも通りの日常に戻るんだろうな――」


「ワンワンッ! ガルルルルーーー!!」


 突然、犬の鳴き声が響いた。


 驚いて振り向くと、そこには野良犬が、何か猫のような生物に向かって吠えている光景があった。


「ガルルルー! グルルルゥ! ガウッ! ワウワッ!」


「ぎゃーーー! やめるプモーーーっ! プモルは食べても美味しくないプモよっ! や、やめっ! だ、誰か助けるプモよーーーーっ!」


 猫のような生物は必死に抵抗しているようだが、野良犬に圧倒されているのか、逃げることも出来ずに叫んでいるだけだった。


 よく見ると、その生物は背中に羽のようなものが生えており、それがぴょこぴょこと動いている。


(は……? 何だあれ? しゃ、喋ってるように聞こえるけど、まさかね?)


 僕は目を擦りながら、もう一度確認してみる。すると、その生物とバッチリ目が合ってしまった。


「おい! そこの人間! ぼさっとしてないでさっさとプモルを助けるプモよーーーー! うわっ!? ちょっ! やめるプモーーっ!」


 野良犬が、猫のような生物に襲いかかろうとする。それを見ていた僕は慌てて駆け出した。


「しっ! しっ! ほら! 向こうへ行け! シッシッシ!」


 僕が近づくと、野良犬は威嚇するようにこちらを見つめてきたが、やがてどこかへと走り去っていった。


 その隙に、襲われていた生物の方へと向かう。


 近くで見てみると、それはやっぱり普通の猫ではなく、背中に羽の生えた黒猫に似た奇妙な生き物だった。


 手を伸ばして捕まえようとすると、その手をぺちっと叩かれた。


「こらーーーーーっ! 助けるのが遅いプモよっ! プモルのようなかわいらしい生物があんな汚らしい犬に襲われてるんだから秒で助けるのが常識プモ! お前はそれでも男かプモーーーッ!!」


「…………あ、そうですか。それじゃあ僕はこれで」


 ぷんすか怒る謎の生物を無視して立ち去ろうとしたが、今度は僕の服に爪を立てて、引き留められた。


「ちょ、待つプモよ! お前プモルの声が聞こえるプモよね!? 頼むから助けて欲しいプモよ~。プモルお腹が空いて死にそうなんだプモ……」


 涙目で訴えてくる謎の生物。僕は小さく溜め息を吐く。


 助ける義理はないが、このまま放っておくのも寝覚めが悪い。関わってしまった以上、最後まで面倒を見るべきだろう。


 僕はコンビニの袋からおにぎりを取り出した。そして、中身を少しちぎると、それを謎生物の口元に差し出してやった。


「ほら、これでも食えよ」


 謎の生物は僕の指先にある米粒を凝視した。そして、物凄い勢いでかぶりついてきた。そのままあっという間に平らげてしまう。


 ふぅ、と満足気な声を出すと、謎の生物は僕に向き直った。


「中々の旨さだったけど、これじゃあ少し足りないプモね~~~。もっとよこすプモよ」


「…………それじゃあ僕はこれで」


 無視して歩き出そうとするが、再びズボンの裾を引っ張られる。


「ま、待つプモよ! プモルを助けたら良いことあるプモよ? こんなかわいらしい喋る猫のような生き物と出会えるなんて普通はあり得ないプモよ? お前はその貴重な機会を棒に振るつもりプモか?」


 自分でかわいいとか言うな。まあ、喋るとウザいが見た目だけなら確かにかわいらしいと言えなくもないが。


 だが、確かに普通に生きていたら絶対に出会えないような生物だ。もし仮にこいつが妖精とかそういう類のファンタジー生物だとしたら、ちょっと興味はある。


 僕が興味を引かれていると、謎の生物はニヤリと笑みを浮かべた。


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330661135050376


「よし、積もる話はお前の家の中に入ってからにするプモ。さぁ、早く行くプモよ」


「ちょ、このマンションはペット禁止なんだぞ!」


「プモルはペットじゃないから問題ないプモ~~~。ほら、早くしないと置いていくプモよ」


 そう言うと、謎の生物は背中の羽をパタつかせ始めた。すると、その体が少し浮かび上がる。


(まさか!? 飛ぶのか!?)


 ワクワクしながら見守っていると、謎の生物は再び地面へと降り立った。そして、マンションのエントランスに向かって走っていった。


「……飛ばないのかよっ!!」


 あのムーブは一体何のためにあったんだよ……。


 期待外れな展開に肩を落としつつ、僕は謎の生物の後を追って走り出した。

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