第028話「並木野大橋」

 翌日、僕はプモルの意見に従って、並木野ダンジョンへ向かうことにした。


 早朝、まだ朝焼けが空に残る時間帯に家を出る。真夏とはいえ、朝の空気はまだひんやりとしていて気持ちいい。


「今日は結構涼しいな。せっかくだし、散歩がてら歩いていくか」


 僕の家から並木野ダンジョンまでは徒歩で1時間もかからないが、最近は猛暑日が続いていたため、バスに乗っていくことが多かった。だが、たまにはこうして歩くのもいいだろう。


《しかし並木野市は自然豊かでいい場所プモなぁ。並木野川もきれいだし、空気も美味しいプモ》


《ダンジョンが出来るまでは、東京とは思えないほどの田舎街だったからなぁ。並木野市はここ10年で急速に発展したんだ。今やギルドの周辺なんかは都心部並みに栄えてるけど、少し離れればまだまだこんな感じさ》


 プモルとテレパシーで会話しながら、のんびりと並木野の街を進んでいく。しばらく歩いていると、前方に大きな橋が見えてきた。


《あれが並木野大橋さ。下には並木野川が流れていて、なかなか風情があるんだぜ? ここはダンジョンが出来る前から観光スポットとして有名だったんだ。ほら、今日なんて富士山も見えるぞ》


《おおー! すごいプモなぁ。でもせっかくいい景色なのにちょっと柵が邪魔プモね。少し高すぎないプモか?》


 確かにかなり厳重に柵が作られており、少し景観を損なっているように感じる。だが、これには理由がちゃんとあるのだ。


《ここの下はちょうど川の流れが速い場所なんだ。過去にここから落ちた人がいて、それ以来こうやって高い柵が作られたんだよ》


《ふーん、マヌケな奴もいたもんプモねぇ……》


「…………」


 僕は何も言わず、富士山を眺めながら黙々と歩き続けた。


 並木野大橋を抜けると、ギルドへと続く長い並木道に差し掛かる。この辺りまで来ると、一気に人通りが増え、賑やかな街並みになってきた。


 様々な商業ビルが立ち並び、他県や外国人探索者の為の宿泊施設や飲食店も数多く存在する。まさにダンジョンと共に発展してきた街といったところだ。


 ギルドへと続く長い並木道を歩きながら、プモルと話し合う。


《それで? 昨日言ってた作戦っていうのは一体なんなんだ?》


《まあまあ、それは着いてからのお楽しみだプモ! ほら、そろそろ見えて来たプモよ?》


 並木道を抜けた先に、ようやく目的地である巨大な建物――並木野ギルドが見えてきた。入口には、いつも通り2人の警備員が立っている。


 僕はそのまま何食わぬ顔で建物の中に入っていこうとしたが、当然のごとく警備員のおじさんに呼び止められてしまった。


「ちょっと君、年齢からして準探索者だろう? 今はネームドユニークモンスターが出現した影響もあって危険だから、準探索者とDランク以下の探索者はダンジョンに入ることはできないよ?」


「ええ、もちろん知っています。ただ、詳しい情報を知りたいので、少しだけお話を伺いたいなと思いまして……」


「まあ、ギルドの中に入るだけなら問題ないけどね。今は討伐隊が集まってるみたいだから、邪魔にならないように気をつけてくれよ」


 警備員のおじさんの言葉に軽く頭を下げて礼を言うと、僕はギルドの建物内へと足を踏み入れた。


 普段は探索者達で溢れかえっているエントランスホールだが、今日は随分と人が少ない。今はCランク以上の上級探索者以外は、ダンジョンに入ることを禁止されているので、皆、別のダンジョンに行っているのかもしれない。


 受付カウンターに行くと、この間ミノタウロスの魔石を持ち帰った時に対応してくれた、女性職員さんがいたので声をかけてみた。


「すみません、まだデヴォラスは討伐されていないんですか? できれば詳しく状況を聞きたいのですが……」


 僕はランクFのライセンスカードを提示しながら質問する。すると彼女も僕の顔を覚えてくれていたようで、親切に色々と教えてくれた。


「残念ながら、未だにデヴォラスは倒されていません。非常に用心深い性質のようで、格上と思われる相手が近くにいるとすぐに逃げてしまうそうなんですよ。ですが、本日の正午より大規模討伐隊がダンジョンに潜る予定になっていますので、もうすぐ決着がつくと思われます」


 なるほど……。いかに慎重なデヴォラスといえど、大勢の上級探索者に囲まれれば、流石に逃げることはできまい。


 あれから更に力をつけていたら話は別かもしれないけど、ギルドが下級探索者の立ち入りを禁止したので、人間を捕食して、大きく成長している可能性は低いはずだ。


 魔物を捕食してある程度強くなったとしても、1階から10階は大して強いモンスターはいないし、高が知れてるだろう。11階に続く階段の前には、モンスターが入れないセーフティーゾーンがあるから、そこより下には降りられないしな。


「ですので、申し訳ないのですが、今日のところはダンジョンへの入場はご遠慮ください。また後日、改めて来ていただいてもよろしいでしょうか?」


「ええ、わかりました。お忙しいところ、ありがとうございました」


 僕は女性職員に丁寧に頭を下げると、エントランスホールのソファーに腰掛け、プモルに話しかける。


《おい、プモル! 作戦ってのは一体なんだったんだよ!? これじゃあ、ダンジョンに入れないじゃないか》


《落ち着くプモよ。まずはトイレに行くプモ。そこで作戦を説明するプモから》


 プモルに言われるままにトイレへと向かおうと立ち上がったその時、背後から突然声をかけられた。


「あーーー! 先生また来てるっ!」


「げっ! 嬉野!」


 振り返ると、そこには予想通りの人物が立っていた。僕が担当しているクラスの生徒――嬉野莉音である。


 マズいな、嬉野は僕が探索者を続けることを良く思っていないのだ。


 それも当然だろう。なんせ彼女の目の前でゴブリン如きに殺されかけたんだから、辞めさせようと思うのも無理はない。


「げっ! じゃないですよ! あんな目にあって、まだ懲りてないんですかぁ? 先生はよわよわのざこ先生なんだから、ダンジョンには入っちゃダメだって言ったじゃないですかぁ!」


 嬉野は腰に手を当てながら、ぷんすかと頬を膨らませている。その仕草はとても可愛らしいのだが、言っている内容は中々に辛辣だ。


 だが、ここで引くわけにもいかないのだ。僕は彼女を説得しようと、口を開く。


「いや、でもな、僕も昔からダンジョンに憧れていてさ。だから、もう少しくらい探索者を続けようと――――」


「おいおい! 今、探索者って言ったか? 桜井、マジで探索者になったのかよ! こりゃ傑作だぜ!!」


 僕の言葉に被せるように、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。その方向に視線を向けると、ニヤついた顔でこちらを見つめている2人の少年の姿があった。


「か、葛城……」


 短く切り揃えた金髪に、大人を小馬鹿にしたような鋭い眼光。僕のクラスの生徒である葛城勇星だ。


「教師を辞めて探索者に転職か? やめた方が身のためだと思うけどなぁ? どうせすぐに死ぬだけだろ?」


 そう言って、嫌味ったらしい笑みを浮かべる葛城。その隣では、葛城の取り巻きであるモブ顔の少年が腹を抱えてゲラゲラと笑っている。


「ぎゃはははは!! マジうけるわ! 桜井みたいな冴えないオッサンが探索者とか、ありえねぇー! もう、笑うしかないじゃん!」


「くっ! 田中……いや、田所……あれ? 違うな……えーと……た、た、た――」


「多田野だ!! 多田野ただの茂武しげたけ! なんで担任が生徒の名前を忘れてんだよ!?」


「あ、ああ……すまない……」


 そうだ多田野だ。僕が担任を勤めている生徒なのに、名前を度忘れしてしまった。なぜだろう? あまりにも特徴のない顔をしているせいだろうか? 本当に申し訳ない。


「ちょっと! 葛城くんに、多田野くんも、そんな言い方しなくてもいいでしょ! 先生だって一生懸命頑張ってるんだから!」


 葛城達に対して、眉根を寄せながら、少し怒ったような表情で抗議の声を上げる嬉野。


 さっきまで僕が探索者を続けるのを反対していたのに、こんな風に庇ってくれるなんて……。やっぱり、彼女は優しい女の子だ。


 そんな彼女に、葛城は面倒くさそうな口調で言葉を返す。


「けっ! 別に俺はこいつがどうなろうと知ったことじゃねぇけどな! ただクラス担任が死んだら、色々面倒なことが多そうだったから忠告しただけだ。まあ、せいぜい1階でゴブリンに殺されるなんてダサい死に方だけはしないように気を付けるんだな」


「はははははははははっ!!! おい、葛城! いくら桜井でも流石にゴブリンには負けねーって! せんせーに失礼なこと言うんじゃねえよ! うははははっ!」


「…………」


 葛城は僕を一瞥すると、フンッと鼻息荒く、その場を離れていった。それに続くようにして、多田野もヘラヘラとした笑いを浮かべながら、その後を追っていく。


「っと、私も討伐隊のミーティングがあるんでした!」


「嬉野もデヴォラス討伐隊に参加するのか?」


「ええ、もちろんです! もう10人以上も犠牲者が出ているんですよ! 放っておけません! 私達の手でなんとかしないと!」


 そう言って、踵を返し、走り出そうとする嬉野だったが、何かを思い出したかのように立ち止まる。そして、こちらに駆け寄って来ると、僕のリュックに何かを放り込んだ。


「一応、これ、渡しておきますね! でも、くれぐれも無茶なことはしないでくださいね! 絶対ですよ! 絶対ですからねー!!」


 嬉野はビシッと人差し指を立てると、葛城達を追いかけるようにして、慌ただしく走り去っていった。


 彼女の背中を見送った後、リュックの中を確認しようと手を伸ばしたところで、プモルがテレパシーで話しかけてきた。


《莉音は相変わらず可愛かったプモが、男の方はなんだか生意気なクソガキだったプモなー。でもぶっちゃけ間違ったことは何も言ってなかったプモね。担任が死んだら生徒達には迷惑がかかるプモからな。それに、プモルがいなかったら心一は1階でゴブリンに殺されそうなのも同意プモ。情けない断末魔の叫びを上げて、無様に血反吐を撒き散らしながら死ぬ姿が目に浮かぶプモ》


「…………」


 こいつらにだけには絶対にあの時のことを知られないようにしよう。知られたら一生ネタにされる。それだけは間違いない。


《まあ、そんなことはどうでもいいプモ。いつまでもこんなところにいないで、早くトイレに向かうプモ。そこで変身プモよ。作戦はそのあと説明するプモ》


 僕は大きく溜め息を吐くと、プモルの言葉に従い、トイレへと向かって歩き出した。

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