第014話「暗躍」★

 ワイシャツを着込み、ネクタイを締める。鏡の前で自分の姿を確認してから、傍らに置いてあった鞄を手に取った。


「心一、何してるプモか? ダンジョンに行くような恰好じゃないように見えるプモが?」


 プモルは僕の姿を見て不思議そうに首を傾げた。


 そりゃそうだ。この格好でダンジョンに潜るのは無理があるだろう。しかし、これから行く場所はダンジョンではないのだ。


「何って学校に行くんだよ。僕は教師だぞ? 生徒達は夏休みだけど、僕ら先生は平日は仕事なんだ。ダンジョンにばかり潜っているわけにもいかないのさ……」


 嘆息しながら玄関に向かい、靴を履いて扉を開ける。その瞬間、むわっとした熱気が身体を襲った。セミの声がけたたましく鳴り響いている。


「ふ~ん、面倒くさいプモねー。魔法少女の実力なら探索者だけで食べていけるんだし、教師なんて辞めちゃえばいいプモ」


 てくてくと後ろをついてくるプモルがそんなことを言う。


 確かにその通りなのだが、今まで公務員として真面目に働いてきた身としては、いきなり仕事を放り出すのも気が引けた。僕は一応クラス担任でもあるわけだし。


「まあ、もうしばらくは教師を続けるつもりだよ。それに実は探索者になったことでちょっとしたメリットもあってさ……」


 玄関の鍵をかけて歩き出しながら話を続ける。僕の部屋はマンションの2階なのでエレベーターを使わずに階段を使って下まで降りる。


 プモルは「熱いプモ~~~」と言って、部屋を出てすぐにペンダントの中に逃げ込んでしまった。


 便利だなその機能。僕だって暑いのにずるいぞ……。


 外に出ると、じりじりとした日差しが肌を焼いた。朝からこの調子では、昼過ぎにはもっと暑くなるに違いない。


 うんざりした気分になりながらも、駅に向かってゆっくりと歩を進める。


《それで、探索者になるとどんなメリットがあるプモか?》


 ペンダントの中からプモルがテレパシーを送って来た。答えようと口を開きかけたところで、手を当てて言葉を止める。


(そろそろテレパシーで会話することにも慣れないとな……)


 いちいち口に出していたら周りに変人扱いされてしまう。今度からはなるべくテレパシーを使うようにしよう。


 気を取り直して、プモルに答える。


《本業を他に持っている探索者には、探索者休暇っていう制度があって、1年に30日間、有給と同じ権利が与えられるんだ。これは協会を通して職場に申請することで取得できるんだけど、これが結構便利なんだ。例えば、ダンジョンに潜るために長期休暇を取る時とか、怪我をして入院した時なんかに使えるからね》


《ずいぶん気前がいいプモな? 30日も休むと職場から嫌みを言われそうプモけど》


 プモルの言うことはもっともだった。普通、こんなに長い休みを取ったら上司や同僚の受けが悪い。しかし、探索者休暇の賃金はWEA側から出るし、探索者のいる職場には多額の支援金が出るので、企業にとってはむしろありがたいくらいなのだ。


《世界は変わったよ。昔と違って、今はダンジョン産の物資で世界中の経済は回っている。ダンジョンのおかげで生活水準は向上したし、WEAはかつての石油国家のより莫大な利益を上げている。そのおかげでダンジョンに潜る探索者に対する福利厚生は充実しているのさ》


 例えば、公務員の副業は原則的に禁止されているのだが、探索者はこの限りではない。ダンジョン資源の獲得は、全てにおいて優先されるのだ。


《う~ん……しかし、そこまでダンジョン資源だけに頼るのは危険じゃないプモか? なぜダンジョンが出現したのか、いつダンジョンゲートが閉じるのか、そもそもダンジョンとは一体なんなのか……。謎は多いプモ。あまりにもダンジョン頼りの生活が続くのは怖いと思うプモけどねぇ……》


 たしかに、彼の言っていることは正論だ。だが、人間というのは一度手に入れた豊かさを簡単には捨てられないものなのだ。


 既にダンジョンという存在は、人類にとってなくてはならないものになっていた。ダンジョンが消失した日、僕達がどうなるか、それは誰にも分からない。


「……ダンジョンが消失する日、か」


 立ち止まり、空を仰ぎ見る。そこには雲ひとつない青空が広がっていた。




 校門を抜け、職員室へと向かう。夏休みということもあり、校舎の中は閑散としていた。グラウンドから運動部の掛け声が聞こえてくるが、それ以外は静かなものだ。


 運動部の女子生徒達を見ながら、プモルは興奮気味に声を上げる。


《おおっ! 流石中学校なだけあって若くて可愛い女の子が多いプモね! あの子なんて特に良い身体してるプモ! あぁ~たまらんプモ!! でもプモルはもうこんなおっさんと契約してしまったプモから、他の娘を魔法少女にしてあげることは出来ないプモ。残念プモねぇ~。ああ! プモルはなんでこんなおっさんと契約しちゃったプモか。今更ながら後悔してきたプモ……》

 

「…………」


 昨日、一昨日の探索活動でそこそこ臨時収入があったし、今日は奮発して寿司でも食べようかな。でも、クソ猫には安物の猫缶で十分か。僕1人で食べるとしよう。


《いや~~、イケメンで性格もいいナイスガイと契約できてプモルは幸せプモ! いよっ! 日本一! プモルは一生ついていくプモ! だからプモルにもちゃんと寿司食べさせるプモよ? 絶対プモよ?》


 駄猫の言葉を聞き流しながら廊下を歩く。すると、前方にある曲がり角の向こう側から話し声が聞こえてきた。


 あれ? この声は……。


「――クエナジーの溜まりが思ったより……ええ、わかってるわ。でも、これ以上は――」


 角を曲がった先には予想通りの人物がいた。だが、誰かと話しているとばかり思っていたその人物は、廊下の角に座り込んで何やら地面をジッと見つめていた。


「……? 葉月先生、何してるんですか?」


「きゃっ! さ、桜井先生!?」


 僕の声に驚いたのか、葉月先生はビクリと身体を震わせると勢い良く立ち上がった。そして慌てて服の乱れを整え始める。


 豊満な胸が上下に揺れ動き、思わず視線を奪われそうになるのを必死に堪えて、彼女の方へと歩み寄る。


《うっひょーーーっ! めちゃくちゃ美人でおっぱいの大きいお姉さんだプモ! しかし残念ながら魔法少女になれる年齢じゃないプモね。でもプモルと契約しなくていいからプモルのことをペットとして飼ってほしいプモねぇ~~~》


 もうお前黙ってような?


 心の中でプモルを叱りつけつつ、彼女の隣に立つ。改めて見ると、彼女は本当に綺麗な人だ。学校の先生なんかより、モデルになった方が似合うんじゃないかと思うほどに。


「いえ、別に大したことじゃありません。ただちょっと、考え事をしていただけですから……」


「そうですか、それならいいですけど……」


 明らかに何かを隠している様子だったが、深く追及するのは止めておくことにした。僕だって大きな秘密を抱えている身だし、あまり人の事情に首を突っ込むのはよくない。




「え!? 桜井先生、探索者になられたんですか!?」


 今日の仕事も終わり、校長に探索者休暇届を提出し、職員室に戻ってきた僕は、葉月先生に事の経緯を話した。すると、彼女は目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。


 まぁ、当然の反応だろう。僕は苦笑しつつ、首肯する。


「ええ、実は前々から興味があったんですよ。それで、今回の法改正に合わせて、思い切って挑戦しようと思ったわけです」


「へぇ~、凄いですねぇ……。でも大丈夫なんですか? いくらダンジョン産の武器があるといっても、レベルアップ能力のない桜井先生だと、魔物と戦うのは難しいんじゃ……」


 心配そうな顔で見つめてくる彼女に、僕は笑ってみせる。


「いやー……、実は初日から結構危ない目にあってしまいまして……。でも、なんとかやっていけそうですよ」


 実際は危ない目どころか、嬉野がいなかったら死んでたかもしれないんだけど、流石にそれは言えないので、適当に誤魔化しておく。


「え!? それって、大丈夫だったんですか?」


 葉月先生は驚いたように声を上げると、僕の体をぺたぺたと触ってきた。


 ……彼女、こうやってよく僕の体を触ってくるんだよな。正直勘違いしそうになってしまうので、勘弁して欲しいのだが……。


 だが、僕以外にも疲れた様子の他の教師や生徒達にも同じようなことをしているところを見る限り、特に他意はないのだろう。


「あ、ああ、はい。一応無事だったので、安心してください」


 僕は顔を赤くしながら、慌てて答える。だが、彼女は何故か真剣な眼差しでこちらを見つめていた。


「……? おかしいわね、いつもより……」


「どうかしました?」


 小声でブツブツと呟いている彼女に問いかけると、ハッとしたように口を開いた。


「い、いえ! なんでもありません! それより、気を付けてくださいよ? 探索者は命の危険もある職業なんですから、無理だけはしないで下さいね?」


 葉月先生の言葉に、僕は神妙に頷いた。




◆◆◆




 心一が退室した後、1人職員室に残った葉月は、難しい顔をしながら考え込んでいた。足を組み替え、机の上で指をトントンと鳴らす。


《どうした? 何かあったのか? 紗理奈》


 葉月の頭の中に、声が響く。それと同時に、右腕に嵌められた腕輪が淡く光を放った。


 すると、その光が徐々に形を成していき、やがて一匹の小さな子犬が現れた。白く美しい毛並みをしたその犬は、フサフサの尻尾を揺らすと、葉月の顔を見上げた。


「ゼット、ごめんなさい。少し気になることがあったの。桜井先生から取れるダークエナジーの量が、普段よりも少なかったのよね……。いえ、少ないというより殆どゼロに近いくらいだったのだけど……」


 【挿絵】

https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330661338235241


 葉月の言葉を聞いて、ゼットと呼ばれた子犬は、ふむ、と考え込んだ後、顎に手を当てて言った。


「探索者になったからではないか? 探索者の活動が負のエネルギーの発散になってるのかもしれぬ。それに今は夏休みだし、生徒達の横暴に悩まされることもないであろうし、ストレスも少ないのだろう」


「あ~~~、そうかも。……でも、それにしても急にあそこまで少なくなるものなのかしら……?」


 納得しつつも、葉月は首を傾げた。まるで聖なる力で浄化されているかのような減り具合だ。とはいえ、彼にそのような力が宿っているとは思えず、そういうことも有り得るのかな、と無理やり自分を納得させた。


「はぁ……残念。彼からはいいダークエナジーが定期的に取れたのにぃー……」


 心底残念そうに溜め息を吐くと、葉月は机に突っ伏した。


「それより紗理奈よ、そろそろ今月分のダークエナジーを首領様に献上しなければならぬぞ? あの方の機嫌を損ねると、大変なことになるからな」


 ゼットが言うと、葉月はゆっくりと上体を起こした。そしてうんざりとした表情を浮かべる。


「そんなこと言っても今は夏休みだから、溜まりが悪いのよ。いくら負のエネルギーが集まりやすい学校とはいえ、生徒達がいなければそれもままならないわ。全く……困ったものね」


 葉月は立ち上がると、窓の外を眺めた。空は先程までとは打って変わって暗くなり、分厚い雲に覆われている。いつ雨が降ってもおかしくない状態だ。


 窓の向こう側に見える景色を見ながら、葉月はポツリと呟いた。


「はぁ……生意気な生徒達に無茶振りする上司、私もダンジョンにでも行って、ストレス解消したいわ……」


 その言葉を聞いていたゼットは、やれやれといった様子で首を振った。

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