第019話「夢に見た景色」★
そこはまるで、巨大な闘技場のようだった。観客席こそないけれど、円状の空間は、半径20メートル以上はありそうだ。天井は非常に高く、ドーム球場くらいはあるだろうか。
出入口は今入ってきた扉の他に、正面にもう一つある。だが、その進路に立ち塞がるかのように、部屋の中央には、1体のモンスターの姿があった。
全身が真っ黒な毛に覆われた2メートルを超える巨体。頭からは立派な2本の角を生やし、その手に持つのは身の丈ほどの戦斧。
牛のような顔と人のような身体を併せ持つその怪物は、僕を見つけるなり、口元を歪めてニヤリと笑ったように見えた。
「あ、あれがミノタウロス……」
ここまで戦ってきたゴブリンのようなモンスターとは明らかに異なる威圧感を放つその存在。全身から滲み出る殺気と、こちらを見据えるその視線だけで、思わず膝が震えそうになる。
《はぁ……。相変わらずチェリーはビビりすぎだプモ。あんなのただ図体がデカいだけのザコだプモよ。魔法少女の敵じゃないプモ》
「ほ、ほんとぉ……? や、やっぱり僕にはちょーーーと早いんじゃないかと思えてきたんだけど……」
後ろに下がりながら、小声でプモルに話しかける。
だが、そんな僕の言葉を遮るように、ミノタウロスは雄叫びをあげた。ビリビリと空気が振動するかのような感覚を覚える。
「ひぇっ!?」
《だあぁぁぁぁ! いつまでグダグダやってるプモ! それでもタマついてるプモか!?》
「い、今はついてないと思うけど……」
魔法少女だからね。お股ははずかしいので確認できません。
《シャラアアアアァァァップモ!!!! 魔法少女だったら例え下半身にタマがなくても心にタマをぶら下げて勇気をもって戦うプモ!》
いちいち言い方が下品すぎる!
だけど、確かにいつまでも怖じけづいている場合ではなかった。こうしている間にもミノタウロスはジワジワと距離を詰めてきている。
僕は覚悟を決め、戦闘態勢に入ることにした。
「よし、マジカルアローで遠距離からチクチク攻撃してみるよ!」
ステッキを弓に変形させて構える。そのまま魔力を込めて矢を生成しようとしたところで、首にかけたリボン型ブローチがぎゅっと引っ張られた。
「ぐえっ!」
《待つプモ! マジカルアローは使わないでマジカルソードだけであいつをぶっ倒すプモよ!》
……わざわざ首が絞まるように引っ張りながら言わなくてもよくない?
「なんでさ? 遠距離から倒したほうが確実だし楽じゃない?」
《だからチェリーはビビりすぎなんだプモ。確かにマジカルアローを使えれば奴は楽に倒せるかもしれないプモ。でも、それじゃダメだプモ。魔法少女は、常に自分自身の力を磨き続けなければならないプモ。マジカルアローが効かない相手が出てきた時のためにも、近接戦での戦闘経験を積んでおく必要があるんだプモ!》
「それは……」
たしかに一理あった。マジカルアローが通じなければ、接近戦を挑まなくてはならない場面だって出てくるだろう。その時にビビって動けないようでは話にならない。
《理解出来たプモか? 大丈夫、今のチェリーなら勝てるプモ。さあ、行くプモ!》
僕はコクリとうなずくと、弓を剣に変形させ、一気に駆け出した。一瞬にしてミノタウロスの巨体が目前に迫る。
間近で見ると体長は今の僕の倍以上あるかもしれない。その圧倒的な存在感に気圧されそうになるが、負けるわけにはいかない。
《来るプモよ! まずは相手の出方を見るプモ。動きをよく見るプモ!》
ミノタウロスは手にした大斧を振り上げると、こちらに向かって勢いよく振り下ろしてきた。その一撃を横に飛んで回避すると、大きな音を立てて地面が陥没する。まともに食らえばひとたまりもない威力だ。
だが、それだけでは終わらない。かわすのは想定内だったのか、すぐさま二撃目が襲ってくる。今度は横薙ぎの一閃。それを開脚するようにしゃがみ込んでやり過ごすと、更に追撃の三撃目はバックステップで距離を取り、体勢を整えた。
(……? あれ? 思ったよりも遅い?)
かなり余裕をもって避けることができている。ミノタウロスはまだ本気を出していないのだろうか?
《違うプモ。チェリーの動きが速くなってるだけプモ。ここに降りてくるまで沢山の魔素を吸収したことで身体能力が向上しているプモ。もっと自信を持つといいプモよ。さあ、次が来るプモよ!》
再びミノタウロスが突進してくる。だが、やはり動きが遅く見える。落ち着いて避け、すれ違いざまに横薙ぎの一閃を放った。
「ブモオォーーーーッ!!」
ミノタウロスは苦悶の声をあげながらよろめく。確かな手応えがあった。
続けざまに二回、三回と斬撃を浴びせる。ミノタウロスも反撃をしようと斧を振るうが、その全てを難なくかわすことが出来た。
圧倒している? この僕が? こんな巨体で、あんな恐ろしい見た目をしたモンスターを相手に……?
――自信がなかった。
今までの人生において、僕は何かを成し遂げてきたことなどなかった。勉強もスポーツも人並みには出来たけど、突出した才能などはなかった。友達はいたけれど、親友や恋人と呼べるような存在はいなかった。
いくつになっても、臆病な性格を変えることが出来ず、いつもおどおどしながら生きていた。
世界にダンジョンが出現するという事件が起きても、僕の人生は何一つ変わらなかった。ただ学校へ行って、生徒達に馬鹿にされながらも無難に授業をこなすだけの日々。
――勇気がなかった。
ダンジョンに潜る探索者に憧れながらも、その一歩を踏み出すことが出来なかった。そんな自分が嫌いだった。
日々の暮らしの中でふと感じる劣等感。でも、その気持ちを押し殺して生きていかなくてはならなかった。
――ただ、平凡なだけのつまらない人間。それが僕、桜井心一という男だった。
生きているんだか死んでいるんだかわからない、そんな色あせた日常。
そして、そんな人生がこれからも続いていくのだと諦めていた。
「ブモオオオオオオッ!」
ミノタウロスが再び戦斧を振りかぶる。だがもう恐れはない。冷静にその動作を見極めると、大きくジャンプしてその頭上を飛び越えた。
――高く、高く、宙を舞う。
「あはっ!」
思わず笑みがこぼれる。そうだ、これが夢にまで見た景色なのだ。子供の頃からずっと憧れ続けた光景。空はどこまでも広く、どこへ向かっても果てがない。
まるで重力を感じさせないほどに体が軽い。今ならどんなことでも出来てしまいそうな気がする。
そのまま空中で一回転しながら、剣を大きく振るう。
【挿絵】
https://kakuyomu.jp/users/mezukusugaki/news/16817330661599021020
ここはミノタウロスの遥か上空。剣はとても届く距離ではない。だが――――
「マジカルソード☆!!!!」
剣は伸び――――その刃は空気を切り裂きながら一直線にミノタウロスの首筋に吸い込まれていく。
次の瞬間、鮮血とともに巨大な首が宙を舞った。
地面に着地し、振り返る。
首から上を失ったミノタウロスの体は大きな音を立てて崩れ落ちた。やがて、その体は光の粒子となって消えていき、後には大きな魔石だけが残った。
《そう、それでいいプモ。それが、魔法少女の力プモ》
全身をかつてないほどの高揚感が駆け巡る。
――ああ、なんて素晴らしいんだろう。
これが! これこそが僕の求めてやまなかった世界なんだ! 世界はこんなにも輝いている!
「チェリー、心を強く持つプモ。誰よりも強く、しかし優しく。決して力に溺れてはいけないプモ。魔法少女とは、皆を導く希望でなければならないプモ。そのことを努努忘れてはならぬプモよ」
いつの間にか、実体化していたプモルが語りかけてくる。その目は諭すように真っ直ぐに僕に向けられていた。
僕はプモルを抱き上げると、感謝を込めて言った。
「わかってる、わかってるよ……。ありがとうプモル。でも今だけは……もう少しだけこの喜びに浸らせて……」
目頭が熱くなるのを感じる。
僕はこの日、初めて自分が生きているという実感を得たのだった。
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