第2話

ダンジョンの主、魔人に見られているとはつゆ知らず、もやし栽培空間にガッツポーズをしていた、そんなとき。


「え。……人?」


 豆太郎の耳に戸惑った声が聞こえた。

 慌ててそちらを見ると、通路の先に1人の青年が立っているではないか。

 少し顔色の悪い青年は、ガッツポーズした成人男性をいぶかしげに見ている。

 これは気まずい。豆太郎は咳払いをしてなんとなくネクタイを締め直した。


「や、やあ! こんにちは」


 少しでもマイナスイメージを払拭するため、とりあえず笑顔で挨拶してみる。社会人の基本は挨拶からだ。


「…………」


 青年は無言のまま少しずつ近づいてきた。

 長い髪を後ろでひとつ結びにしている。腰には広身の剣をぶら下げ、上半身をプレートメイルで固めていた。

 ゲームに登場しそうな戦士の格好だが、その表情には随分と覇気はきがない。

 彼は豆太郎の服を見て、腰元を見て、最後に足元を見た。


「あんた、他の国から突然連れてこられたクチっすか?」

「えっ、分かるの?」


 覇気のない声でいきなり言い当てられて豆太郎は驚いた。

 正確に言えば、国単位ではなく異世界なのだが。

 やっぱりか、と言いたげに男は嘆息たんそくした。


「結構多いんすよ。魔人の仕業でね。よそから連れてこられた人には特徴が3つあるんす。大体見たことない奇妙な服を着てて、こんな魔物がうろつく場所なのに丸腰で、突然連れてこられたから、裸足」


 なるほど、先ほどはその3点を観察していたわけだ。

 それにしても、この世界には魔人も魔物もいるらしい。いよいよ異世界らしくなってきた。


「とはいえ、俺も初めて見ました。いきなりこんなところに連れてこられて、困ってるんすよね。今外に……」

「いやあ、その通りなんだよ〜! 悪いんだけど、ライターとかガスコンロとか……あ、ライターって言っても分からないよな。火を起こせるものと、耐熱性の容器って持ってない?」

「はあ?」


 遠慮なく物資をたかろうとするおじさんに、彼は眉をひそめた。


「あ、わ、悪い。いきなりこんなお願いするのは不躾ぶしつけだよな。ついつい」


 豆太郎は慌ててズボンのポケットや胸ポケットを漁る。

 物々交換できるものがないかと探しているのだ。


「けど、俺今小銭入れと名刺くらいしか持ってないんだよなー……、異世界で100円玉ってどれくらい価値があるのか……」

「あの、おじさん」


 青年は切れ長の目を細め、片眉を下げた。


「もう1度聞きますけど、おじさんは他の国から突然ここに召喚されたんすよね?」

「うん、多分ね」


 豆太郎の肯定に、青年は益々眉をひそめた。


「じゃあ普通『助けてくれ』って言うもんでしょ。なんすか、火と耐熱容器って」

「え、いやあ──」


 異世界に転移した、その事実を受け入れた豆太郎は思ったのだ。

 こんなもやしのための空間に召喚されたと知った豆太郎は即断したのだ。


「しばらくここでもやし食べて暮らそうと思って」


 この場所を自分の異世界の拠点にしようと。



 □■□■□■



「なんでだーー!!」


 ソーハは床ドンして絶叫した。

 召喚した人間が自分のダンジョンの一部を不当占拠しようとしていた。

 もう怯える顔を見るどころではない。


「まさかそうくるとは思いませんでしたねえ」


 レンティルは、ソーハのわめき声をBGMに読書にふけっている。自分用の水晶玉をちゃっかり用意して、時々豆太郎を観察しているようだ。

 ソーハは悔しげにうめいていたが、やがて肩を震わせて笑い出した。


「ふ、ふ、ふ。中々に肝の据わった男のようだな。ならば! この魔人ソーハが教えてやろう! 魔人のダンジョンが! どれだけ恐ろしい場所かということを!」


 彼がパチンと指を鳴らすと、どこからか獣の唸り声が聞こえてきた。

 それが何の魔物の鳴き声なのか、レンティルにはすぐに分かった。思わず読んでいた本から顔を上げる。


「ビッグホーンをけしかけるのですか?」

「殺しはしないさ。戦士風の男もいるんだ。すぐにはやられないだろう」


 ソーハは高らかに笑った。


「さあ、異世界の住人よ。ビッグホーンを前に、無様な姿を晒すがいい!」


 もはや前フリのようなセリフを言い放ち、ソーハは水晶玉の向こうの人間を吹っ飛ばすように手を払ったのだった。



 □■□■□■



 いっぽうその頃、何も知らない豆太郎と若者は、2人で鍋を囲んでいた。


「いやー、悪いね。ご馳走になるぜ」

「別にいいっすけど。どうせ俺も野宿するつもりだったし」


 突然のおっさんのダンジョン暮らし宣言。

 青年はぽかんと口を開けて見つめていたが、しばらくの沈黙の後「とりあえず飯でも食べましょうか」と言った。

 考えるのを放棄したのかもしれない。


 青年は自分の荷物から折りたたみの三脚を取り出して、組み立てて鍋にかけた。

 鍋の中に干し肉と干し野菜、さらに滝の水を投入。

 火はどうするのだろうかと豆太郎が考えていると、青年は鍋の下に指をかざした。すると指の先から「ぼっ」と火が燃え上がり、鍋を温め始めたのだ。

 ファンタジーの定番である火の魔法に、豆太郎は思わず拍手した。

 2人は向かい合って座り、焚き火の音と滝の音を聞きながら鍋の完成を待つ。


「あの、これ。室内履きです、よかったら」

「ええ、くれるの!?」

「どうぞ」


 青年がくれたのは、折りたたみスリッパに似た布靴だった。

 裸足の豆太郎は感激して受け取る。


「ありがとう、親切な若者だなあ。そういえば、自己紹介もまだだったな。俺は育田 豆太郎。ほい、名刺」

「めーし? どうも。俺はエルプセって言います」


 エルプセは白い名刺を裏返したり逆さにしたりして眺める。

 そこに書いてある「営業部 育田 豆太郎」という文字は、多分彼には読めていない。


「まあ、すぐに帰れますよ。うわさじゃ、召喚された人はみんな1日と経たずに消えるらしいから。目的がよく分からないところは不気味っすけど」


 エルプセの口調は雑だが、こちらを気遣ってくれているのだろう。

 他人の温かさに豆太郎はじーんとした。


「ほんとにありがとうなあ。せめてもやしが育ってたら、お礼にご馳走したんだけど」

「もやし? ってなんすか」

「え!? この世界もやしないのか!?」


 豆太郎に稲妻が走った。

 彼は「もやしのない世界」と書いて「この世の終わり カタストロフィ」と読む男だ。

 そんな彼がもやしのない世界に来てしまった衝撃たるや。

 このままではいけない。謎の焦燥感に駆られた豆太郎は、慌ててもやしの宣伝広報を始めた。


「もやしってのは栄養抜群、安くてうまい、国民の味方のお野菜だ。主に豆から出た根っこを指す」

「根っこを食うんすか。マンドラゴラみたいなもんですね」


 マンドラゴラ。地面から抜くと人が死んでしまう声で泣き叫ぶ物騒な植物である。

 豆太郎もよく知っている、ファンタジー定番の植物だ。


「安心してくれ。もやしは鳴かない。攻撃もしてこない。人畜無害で栽培も簡単だよ」

「はあ、すごいっすねえ」


 エルプセはしつこいおじさんのうんちくに適当に相槌を打つ。


「そういえば、エルプセ……君はどうしてここに?」


 豆太郎からすれば何気なく尋ねた質問だった。だが、エルプセの表情が途端に暗くなる。

 豆太郎は慌てて話題を切り替えた。


「あー、いや! そんなことよりも飯を食おう。いやあ、うまそうだな、よそっていいか?」

「……いいっすよ。気遣ってもらわなくて」


 エルプセが洞窟を見上げた。少しだけ陽の光が差している穴を見つめて目を細める。


「情けないやつなんですよ、俺」


 豆太郎は話を聞きながら、とりあえず2人分のスープをよそい始めた。


「俺、パーティ組んで冒険者やってます。俺はいつも足引っ張ってばっかりなんす。俺に出来るのは、せいぜい火を出せるくらい。でもそれすら制御できなくて、この前仲間にひどい怪我させちまいました」


 エルプセは鍋の下で燃える火に指をかざす。

 指が火に触れた途端、橙色の炎がしゅっと消えた。


「俺、こいつらとこれからも一緒にいていいのかって悩んで。1人になりたくて、気がついたら、こんなダンジョンの奥に来てました」

「それは……、邪魔して悪かったな」

「いや、いいっすよ」


 2人は無言でスープをすすった。

 エルプセはぼんやりと地面を見つめた。


「あいつらには、俺はきっと必要ないんです。俺は……」


 その時、エルプセがはっと顔を上げた。


「エルプセ?」

「しっ」


 エルプセが腰の広身の剣を抜いた。

 肉切り包丁を思わせる大ぶりの剣。豆太郎は知らないが、ファルシオンという武器だ。

 エルプセは両手で柄を握り、先ほど自分が入ってきた通路を鋭く睨む。


 暗い暗い通路の奥。

 そこにぽっと光が灯った。

 赤い炎は揺らめきながら、徐々に大きくなる。

 しばらくして、豆太郎はようやく気づく。

 灯りが灯ったのではなく、燃えさかる何かが自分たちに近づいてきているのだと。


 そしてそれは、2人の前に姿を現した。

 毛皮の上に燃えさかる炎を纏った四つ足歩行の偶蹄類ぐうているい

 特筆すべきは、頭に生えた2本の巨大なツノだろう。

 稲妻のような形をして天を向いたツノの先。真っ赤な炎が燃えている。


「も、燃えるヤギ……」


 ソーハが放った魔物、ビッグホーンを見た豆太郎の感想はそれだった。

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