第89話

 それは、レグーミネロ達がラウトの街に来る数日前のことだ。


「ベンネル・メメヤードがこの街に来る?」

「ええ。確かな情報かと」


 部下から報告を受けたラーヴ・ノワールは、忌々しそうに持っていた書類を握りつぶした。

 ラーヴ・ノワールはベンネル・メメヤードを嫌っている。

 自分よりも若い商売敵。出し抜かれたことも1度や2度ではない。

 チャンスがあればいつも潰したいと思っていた。


「ふん。俺のシマに上がり込んで、ただで済むと思うなよ」


 ラーヴ・ノワールは側に控えていた男を呼んだ。


「ラディ。話は聞いていたな? 奴らに一泡吹かせる方法を考えろ。手段は任せる。人は好きに使え」


 命令を受けた若き側近、ラディは口元を吊り上げた。


「承知しました」


 そしてラディはあの日、レグーミネロ達の元へ向かったのだ。

 優しい笑顔の仮面を被り、嘘の好意で人を惑わせて自分の踏み台にする。

 それがラーヴ・ノワール会長の側近、ラディという男の生き方だった。



 □■□■□■



 男たちが石の匙亭に向かっていく。

 それから十分な時間をとって、ラディは表通りに向かって歩き出した。


「──こんばんは、ラディさん」


 はっと後ろを振り返る。

 一体いつからそこにいたのか。

 街頭が照らす表通りに、レグーミネロが立っていた。


「レグーミネロさん。どうしたんですか、こんな遅くに」


 ラディはすぐさま意識を切り替え、心底レグーミネロを案じているような声を出す。 さっきまで石の匙亭の襲撃を提案していた様子などまったく見せず、彼女に近づこうと一歩踏み出した。


「ご心配なく、1人ではありませんよ。荒くれ者に襲われては困りますから」


 ラディがわずかに動きを止めた。


「いったい誰のことですか?」

「ふふ、とぼけるのがお上手ですね」


 くすり、と笑うレグーミネロの雰囲気に鳥肌が立つ。


「商会に歯向かう人間へのみせしめと、メメヤード家への嫌がらせ。ずいぶんと欲張りましたね」

「一体なんのことですか」


 レグーミネロは石の匙亭の方向に視線を向けた。


「でも残念。石の匙亭にはには念のため結界を張っていますし、頼もしい用心棒もいます。もしもラーヴ・ノワール商会の人たちがやってきても、近づけないでしょうね」


 ラディが細い狐目をうっすらと見開く。


(この女、俺が裏切っていると気づいていたのか)


 いつから──、いや、最初から?

 ラディはあえてレグーミネロ達に取り入った。

 石の匙亭の復興の状況を探り、一番いいタイミングで希望を打ち砕くためだ。

 だが、レグーミネロはそれをすべて知ったうえで泳がせていたというのか。

 ラーヴ・ノワール商会の襲撃を防ぐために。

 わずかに動揺するラディに、レグーミネロはにっこりと微笑む。裾を引き、優雅に一礼した。


「今日はもう遅いです。どうぞお帰りになって?」


 ラディはぐっとこらえて顔を抑えた。笑顔の仮面が剥がれ落ちないように。

 商人の世界は理性が感情を抑えきれなくなったら負けだ。

 だらりと腕を下ろし、ラディは微笑み返す。

 簒奪者さんだつしゃとは思えない、聖職者のような優しい笑みで。


「そうします。──では、


 ラディは商会の方へと歩いていき、夜の闇に姿を消した。

 こうしてラーヴ・ノワール商会との戦いは、明日に持ち込まれたのだった。



 □■□■□■



 ラディの背中が見えなくなるまで、レグーミネロはずっと見つめていた。

 しばらくしてから、大きく息を吐いてしゃがみこむ。


「……はあ……」


 どこからか姿を現した使用人3人組が、心配そうに駆け寄ってきた。


「お嬢さま、ご無事ですか」

「ええ、大丈夫です。それに本当の戦いはここからですよ」


 立ち上がり、暗い夜の色に彩られたラーヴ・ノワール商会の建物を睨む。


「彼らは店を潰すためにまたやってくるでしょう。明日は店に結界を張るわけにはいきません。私たちは彼らを防ぎ、そのうえで金貨30枚の売上金を叩き出さなければ」


 条件としては石の匙亭のほうが厳しい。それでも勝つのだとレグーミネロは燃える。


「それにしてもお嬢さま、よくあの男の本性に気が付きましたね」

「そりゃあ気づきますよ」


 だって、とレグーミネロは続けた。


「ラディさんの笑い方って、カモを見つけたときの旦那さまの顔にそっくりだったんですもの」

「…………」


 主人への理解が深いことを喜ぶべきか、嘆くべきか。

 使用人トリオは反応にすごい迷った。



 □■□■□■


 そして、レグーミネロは石の匙亭に戻ってきた。

 当然ラディの息のかかったごろつき達は、宿に入ることはできなかった。襲撃をあらかじめ予想して、温泉を清掃した魔法士達に結界を張るようお願いしていたのだ。

 ごろつきたちは悪態をつき、店の前で怒鳴り散らしていたが、やがて諦めて帰っていったと店主が鼻で笑った。


「……しかし、あの様子じゃ明日もくるだろう。どうやって対処する?」


 店のカウンター前。綺麗に整備されたそこで、豆太郎達は膝を突き合わせて相談していた。

 豆太郎、エルプセ、ソーハ、レグーミネロ、店主。そして後ろに控える動く鎧リビング・メイル

 7日前、ぼろぼろになった石の匙亭で作戦会議をしたときのことが思い出される。

 このままでは、ここはまためちゃくちゃにされてしまう。

 そして今度こそ石の匙亭はラーヴ・ノワール商会に乗っ取られるのだ。

 絶体絶命のこの状況。だが、レグーミネロは自信満々に言い放った。


「安心してください。私に策があります。正直、この宿の一件がラーヴ・ノワール商会の仕組んだ罠だと知った時から、当日に襲撃される可能性は想定していました」


 レグーミネロはベンネルに嫁ぎ、彼の商人としての側面を間近で見てきた。

 そして学んだ。商売において足の引っ張り合いは珍しいことではない。

 それを逆に利用してやるくらいの気概で挑まなければ、成果は得られないのだ。

 そばかすまじりの顔で愛嬌たっぷりに笑い、商家の妻はウィンクしてみせる。


「むしろ、その襲撃を利用してやりましょう?」


 そして、彼女は話し始める。

 ラーヴ・ノワール商会を打ち負かす、大作戦を。

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