第88話


【新装開店まであと1日】


 豆太郎は、緊張した面持ちで掛け布をめくった。

 ソーハと2人でその下をのぞきこみ、――大きくガッツポーズをした。


「よっしゃあ! 温泉もやし、成功だ!!」


 ふかふかの土の上に、一面のもやし畑ができていた。

 1本引き抜いて状態を確認する。

 普段育てているもやしよりも長い。背を伸ばした分少し細身だ。

 残りの堀の覆い布もめくって、すべてのもやしの成長具合を確認する。

 1つの堀は温泉水でつくった温泉もやし、もう1つの堀は普通の水で作ったいつものもやし。どちらも順調に育っており、明日収穫できそうだ。


「さすがもやし。お前の成長を信じてたぜ」


 感動しながら天を仰ぐ豆太郎。もやしの神様(架空)に祈りを捧げた。

 祈りを捧げ終わったら次は調理だ。

 豆太郎は土を水で洗い、いそいそと店主のところに持って行った。



 □■□■□■


 目の前に並べられた細長いもやしを店主は珍しそうに眺めた。


「本当にこんな食材があったんだな」

「ああ。この街の名物にしてくれて構わないぜ」

「美味かったらな」


 まずは味の確認。鍋に長いもやしを曲げて入れて、短時間茹でる。

 茹でた細長いもやしをすくいあげて、店主・ソーハ・豆太郎はそれぞれ1口かじる。


「どうだ? ソーハ」

「……なんか、野菜っぽい」


 どう表現したらいいか迷いながら、ソーハは感想を口にする。

 その言わんとするところを理解して、豆太郎は頷いた。


「普段のもやしと違って、土の香りがするんだろうな」


 いつもの水耕栽培と違い、土で育てたもやしだ。口に入れるとほのかに香る土の香りが、土で育てる野菜を思い出させたのだろう。

 店主は1口ずつよくかじって、舌の上で味を確かめる。


「……ああ。これなら色んな食材と合わせやすいな。酒のつまみにするんだったら、つゆに浸すか」


 店主はてきぱきと料理を始めた。

 豆太郎とソーハに雑用を手伝わせて、あっという間に2品の料理が出来上がる。


 1品目。

 魚の骨から出汁をとった汁にもやしを漬けて、薬味を散らしたもやしのおひたし。

 2品目。

 もやしときのこを炒めて丸い形に盛り付けて、その上に温泉卵を乗せた野菜炒め。


 さすがは料理屋の店主。飾りつけもお洒落だと、豆太郎はひそかに感心した。

 まずは豆太郎が1品目のおひたしを食べる。

 ごくりと唾を飲んだ。異世界に来てはじめての温泉もやしだ。

 いざ、実食。


「うおお……、うめええ……」


 さっぱりとした漬け汁と薬味の絶妙な苦み、もやしのシャキシャキ感のコンボで無限に食べられる美味しさだ。

 今は出来立てを食べたが、汁に漬ける時間を長くすれば、もっともやしに旨味が出るだろう。


 続いてソーハが、2品目の野菜炒めを温泉卵ごと頬張った。

 豆太郎の手料理ではあまり食べたことのない、ちょっと甘酸っぱい風味だ。だが不思議とクセになる酸味。ソーハは口の周りを卵で黄色くしながらもぐもぐと食べていく。


「そっちの野菜炒めはまだまだ改良の余地があるな。1皿に1個卵使ってたら割に合わねえし……、卵黄だけ取り出して、他の材料と混ぜてソースを作るか。卵白はデザートにすればいい。


 次々と改良を思いつく店主に豆太郎は感心した。

 この料理も、素人サラリーマンの自分とは違う、プロの味だ。


(もやしが異世界の料理人に研究される時代が来たんだな……)


 心の中でそっと感動の涙を拭う。

 ようこそ料理人。もやしの世界は奥深いぞ。

 豆太郎の念を感じたのか、店主の背中に悪寒が走った。


「あとは今日の夜まで、明日出すもやし料理の研究だ。気を抜くなよ」


 店主は髪の毛が落ちて来ないように布で巻いた。真剣な顔つきは、飲んだくれていた数日前とは別人のよう。

 豆太郎は「おう」と頷いて、マスターを真似して布で髪を巻く。

 ソーハの髪の毛も同じように巻いてやり、3人は料理の研究を再開したのだった。



 □■□■□■



 ぼろぼろだった石の匙亭は見違えた。

 ガラスは新しいものに張り替えられ、扉もしっかりペンキが塗り替えられている。

 店の前には、ずらりと並んだ大工たち。

 レグーミネロは彼らの正面に立ち、こほんと咳払いした。


「……修繕完了です!」


 わっと歓声が上がった。

 道ゆく人たちは、何が始まるんだろうとその宿に目を向ける。

 左右に置かれた立て看板が目に入った。

「石の匙亭、明日新装開店! 試食会あり」と書かれている。


 レグーミネロはくるりと体を反転させ、道ゆく人々にっこりと笑顔を振りまいた。


「明日開店です! 試食は数に限りがありますので、早めに来てくださいねー!」


 はつらつとした少女の声に、道ゆく人々は微笑んだ。明日行ってみようかしら、なんて呟きも聞こえる。


 準備は上々だ。だが1つ懸念点がある。

 現段階で、ラーヴ・ノワール商会の嫌がらせがほとんどないのだ。

 1度だけ修繕前の屋根が破壊される(濡れ衣)ということがあったが、本当にそれきり。

 動きがなさすぎるのもなんだか不気味であった。


 石の匙亭の新装開店まであとわずか。

 豆太郎達一行は、緊張と不安を抱えながらも、開店の準備を進めていったのだった。



 □■□■□■



【新装開店 前夜】


 灯のない裏路地に数人の男が集まっていた。

 物騒な獲物を手にした男たち。彼らの目にはそろって薄暗い光が宿っている。

 ニヤニヤと笑いながら、彼らは暗い路地の向こうにいる誰かに話しかけた。


「ようやく石の匙亭をぶっ壊す日が来たんだな」

「……ええ」


 暗い路地の向こうから落ち着いた声が返ってくる。


「従業員に見られたら適当に痛めつけて構いません。1つ結びの若い男性に注意してください。ああ、それからメメヤード家の女は手を出さない方がいいですよ。商会が絡んでくるかもしれません」

「分かった。……しかし、あんたもなかなか悪い人だな、。やっと再開する店を前日に台無しにするんだから。」


 路地の奥、建物の影に隠れたラディの表情は見えない。

 ただ、レグーミネロを賞賛した時と変わらない穏やかな声音が路地裏に響く。


「期待がもっとも高まった時にくじくのがいいんですよ。こうすれば、二度と歯向かおうとは思わないでしょう?」

「確かにな」


 彼の言葉にくつくつと笑って、男たちは動き出した。

 目指すは石の匙亭。

 ラーヴ・ノワール商会の脅威を知らしめるために。


「……ところで、数日前に石の匙亭の屋根に穴が開いたんですが、あれはお前たちの仕業ですか?」

「いや、知らん」

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