第87話

【新装開店まであと5日】


 石の匙亭の改装工事は順調に進んでいた。

 豆太郎は小屋の中でもやしの様子を観察していた。

 小屋の中には土を掘って作った堀が3本。光を遮るため、上から布をかけてある。

 布の隙間から成長具合をチェックする。今のところ順調に成長しているようだ。

 栄養たっぷりの温泉水と、普通の水を分けて水まきをする。

 万が一温泉水で温泉もやしが成長しなかったときの保険として、1本の堀は普通の水で育てているのだ。

 水まきは終了。もやしの様子を観察して小屋から出てきた豆太郎は、不思議な6人組を目にした。


「ん? 誰だ、あれ」


 ローブ姿の6人組は、出入りしている大工たちに比べて、あまり肉体作業向きには見えない細身の体つきだ。手にはそれぞれ杖。RPGに出てくる僧侶や魔導士を思い出す。 豆太郎は彼らを眺めながら温泉の横を歩いていき、出入り口に立っていた店主に尋ねた。


「あの人たちは何をする人なんだ。商売繁盛のお祈りとか?」

「何言ってんだ、温泉の掃除に決まってるだろうが」

「え?」


 彼らは岩に囲まれた温泉を取り囲むように立った。

 杖を掲げて何かを唱え、床を叩く。 瞬間、温泉の水が丸ごと宙に浮いた。


「うわっ」


 豆太郎だけがその光景に驚いた。

 もう一度杖を鳴らすと浮いた温泉が勢いよく地面に噴射されていく。いわゆる高圧洗浄だ。 宙に浮いた水の塊はみるみる内に小さくなり、そして洗い終わった岩場には、かけ流しの新しいお湯がたまっていく。


「……ふぁ、ファンタジー……」


 ここ数日で、今まで感じていなかった「異世界感」を一気に味わっている。


「そっち終わったなら、調理の仕込みを手伝えよ。当日はお前にも調理場を手伝ってもらうからな」

「はいはい。おっさんは働かなきゃなー」


 豆太郎は、ふとベンネルのことを思い出した。

 彼は今頃「本当は観光していたはずなのに」とぼやきながら、ソイビンの街で働いているのだろう。


(実際にこっちに来てたら、ここの復興作業の手伝いをしていたんだろうなあ)


 どのみち観光はできなかっただろう。なんとなく社会人の性を感じて、元サラリーマンの豆太郎は「ふ」と笑いをこぼしたのだった。



 □■□■□■



 さて、 豆太郎達が石の匙亭の復興のために奮闘している頃。

 仕事に休みを奪われた悲しい男は、ようやく仕事を終えようとしていた。


 ソイビンの街。アリコルージュ邸。

 レグーミネロの夫ベンネル・メメヤードは、アリコルージュと共に茶を飲んでいた。


「今回は世話になったな、ベンネル」

「とんでもない。アリコルージュ様の役に立てることなど、めったにありませんから」


 ベンネルは商売用の笑顔で微笑んだ。

 街の顔役であるアリコルージュからの仕事の依頼。それは、とあるパーティーへの参加だった。

 もちろんただのパーティーではない。ソイビンの街の顔役3人が集結するパーティーだ。

 パーティーの主旨は表向きは交流会、そしては「先日ソイビンの街の上空に出現した魔方陣」についてだった。


 突如街の上に描かれた魔方陣。それは魔力の高い人間に作用し、行動不能におちいらせるものだった。

 魔方陣自体はすぐに消え、特に何事もなく事態は収束した。

 だが状況次第では街を壊滅に追い込みかねない危険な事件。街の有力者達からすれば放置できない案件だ。


 そしてアリコルージュは、その犯人を知っていた。

 犯人はヘンネという天才織物職人だった。というか、そもそもヘンネをソイビンの街に連れてきたのは、アリコルージュだったのだ。

 彼にとってこれはあまり良くない状況だった。街の顔役3人は、常に互いの権力を広げる機会を虎視眈々こしたんたんとうかがっている。

 顔役2人がこのことを知ればどのような行動を取るか、簡単に想像できた。


「だからパーティー会場は、少しでも俺陣営の人間で固めておきたかったんだよ。おかげでかわしきれた。参加してくれて助かったぜえ」

「私はただパーティーに参加しただけですから。というか、私に魔方陣の件を話して良かったのですか?」

「ひゃひゃひゃ。聞いちまったからにはお前も共犯ってことだな」


 アリコルージュは快活に笑っているが、ベンネルは知っている。

 もし口外などすれば、自分は家ごと潰されてしまうだろう。

 メメヤード家はそれなりに名の通った商人だが、アリコルージュの資産と影響力にはまったく及ばない。


「まあ、今回の借りはどこかで返してやるから、大事にとっとけ。それより、早いとこ奥さんを追いかけた方がいいんじゃねえか? 俺も別件でラウトの街に用があるから、乗せてってやるよ」


 ベンネルの眉間に少ししわが寄った。

 数日前のことを思い出す。出立前に「ラウトの街の情報収集はお任せください!」と気合を入れて宣言してきた妻のことを。

 あちらは新婚旅行に行くなどとは、これっぽっちも思っていなかったようである。


「……まあ、あの娘は心配せずとも1人で楽しんでいるでしょうから、大丈夫です」

「おいおい、そんなこと言ってていいのかあ?」


 アリコルージュがにやにやと笑う。


「若い女が亭主も連れずに観光なんざ、羽根を伸ばすには持ってこいなんだぜ? 俺はそれで女と別れた」

「…………」


 いらん情報をよこすな、と心の中で呟く。

 ベンネルの眉間のしわが、また1つ増えた。



 □■□■□■



【新装開店まであと3日】


「レグーミネロさん、こちらの買い出しは終わりました」


 ラディは右肩に荷物を乗せて、レグーミネロの元にやってきた。


「ラディさん。こちらも終わりましたよ」


 レグーミネロは両手に紙袋をぶら下げていた。

 ラディは何気なくレグーミネロの紙袋を受け取る。


「重いですよ」

「はは、これくらい平気ですよ」


 さらりと答えて歩き出す。元々常に笑っているような細目だが、微笑むとなんとなく分かるのが不思議だ。


「このままいけば、2日後には無事に開店できそうですね」

「ええ。ラディさんが仕入れにおすすめの店を教えてくれたおかげです」

「はは。この街に住んで長いですから」


 ラディは言葉を切って、少し考えてから口を開く。


「仕入れだけではなく、景色のきれいなおすすめの食事処も知っています。店の再興に成功したら、そのときは2人で……」

「おっと羽虫が~」


 両肩に紙袋を背負ったエルプセが、鮮やかにいい雰囲気をクラッシュしていく。


「さあ、帰ったら店の掃除っすねー。はー、忙しい、忙しい」

「そうですね。がんばりましょう」

「……そうですね」


 ラディはエルプセにもの言いたげな視線を送ったが、エルプセは知らん顔で歩く。


(……はー。胃が痛い)


 綺麗な青空を見上げてエルプセはため息をついた。

 苦労人の悲しい性だった。

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