第90話
レグーミネロの作戦会議から1時間後。
「……はあ……」
レグーミネロは温泉の前に座り込んでいた。
ほかほかと湯気の立つ温泉を見ていると、なんとなく心が落ち着くような気がする。
(ちゃんと、うまくいくかしら)
準備もばっちり、士気も十分だ。
だけど不安が風船のように膨れ上がっていく。指先も冷たくなってきた。
(もし失敗したら、店主にも、マメのおじさまたちにも、……旦那さまにも迷惑が)
レグーミネロはぶんぶんと首を振った。
こんな弱気ではいけない。明日の作戦を見直そうと、膝を打って立ち上がろうとした。
「レグーミネロ」
「ひゃあっ!」
後ろから豆太郎に声をかけられて、思い切り飛び上がった。
その勢いでずるりと足を滑らせる。
正面には、ほかほかと湯気を立てる温泉の水面。
「うわっ、レグーミネロッ!」
焦った豆太郎の声と共に、2人分の水飛沫が跳ね上がる。
とっさにレグーミネロの腕をつかんだ豆太郎が、一緒に温泉に落っこちた。
「悪い、大丈夫か!?」
「……ぷはっ。はい」
レグーミネロはぷかりと顔を浮かべて息を吸った。
濡れた髪をかき上げた豆太郎を見上げる。豆太郎は心配そうに自分を見下ろしていた。
「マメのおじさま。その、ごめんなさい」
「え? 謝るのは俺じゃない?」
「ラーヴ・ノワール商会に初めて行ったとき、私の友人だと言えなくて」
「ああ、そんなことあったなあ」
豆太郎は、1児の父扱いされていたことを思い出した。
「私は『ベンネルの妻』でしかないから、もしものことを考えたら、旦那さまの友人ということにしておくのが一番だと思ったんです」
本当はちゃんと言えたら良かった。
彼らは自分の友人だと、堂々と紹介したかった。
だけどなにかあったときに彼らを守れるのは、ベンネルの、ひいてはメメヤード家の名前なのだ。
彼女がどれだけ奮闘しても世間はレグーミネロ自身を見ない。それが現実だ。
「だけど悪評を立てるときは、妻って肩書きを利用されちゃうんですよねー。やー、あはは、いいところなしですね、ほんと……」
自嘲気味に笑ったレグーミネロの頭を、豆太郎がくしゃくしゃとかき回した。。
「レグーミネロは、大人だなあ」
豆太郎の声はとても優しかった。それが温泉の効能みたいに、レグーミネロの心にじんわりと沁み込んでくる。
「自分の気持ちを我慢して、俺たちのことを守ろうとしてくれたんだな。俺よりずっと若いのに、大人だ。尊敬する」
ラディや商会の人間のような方便ではない。
レグーミネロを1人の人間として称賛する素直な言葉だった。
「大丈夫だ。俺はお前がすごいこと、ちゃんと分かってる。俺だけじゃない。エルプセだってそうだ。そうやってどんどん広がって、いつかたくさんの人がお前のことを認めるよ」
「……はい」
体の内側からぽかぽかと温もりが広がっていく。冷たかった指先が、じんわりと温かくなってきた。
「……この温泉、あったかいですね」
「うん、そうだな」
雫のしたたるくせ毛を耳にかけて、レグーミネロは豆太郎と顔を見合わせて微笑んだ。
──そして突如飛来してきた木の板(看板製作の材料の余り)が、豆太郎の側頭部を直撃した。
見事なコントロールでぶん投げたのは、エルプセである。
「ごぼーっ」
「マメのおじさまーっ!?」
水に沈む豆太郎をジト目で見ながら、エルプセは一言。
「マメタローさん。羽虫」
「俺も!?」
そうして夜は明ける。
石の匙亭、起死回生の朝が来た。
□■□■□■
【新装開店 当日】
立ち並ぶ店が店を開き始めた頃、不穏な集団が道のど真ん中を歩いていた。
木槌や斧を片手に歩く、人相の悪い十数人の男たち。
はたから見れば、これからダンジョンに潜る冒険者だと思うだろう。
だが違う。彼らはその手に持った暴力で、一軒の店を潰しに行くのだ。
荒い足音と共に、男たちは目的の場所にたどり着いた。
ついに開店した石の匙亭。
今は客寄せのために試食会を行なっていた。
テーブルの上に並んだ小皿には、何やら細長い茎のようなものが盛られている。
男たちにはそれがなんの料理か分からなかった。しかしどうでもいいのだ。
どうせすぐにめちゃくちゃになるのだから。
客の1人が、荒くれ者たちの集団に気がついて振り返った。他の客たちもつられて振り返る。
先頭にいた男が、後ろにいる男たちに向かって顎をしゃくる。
やれ、という合図だ。
男たちはにやりと笑い、一歩踏み出した。
その瞬間。
「ふはははは! ようやく来たか、愚か者どもめ!!」
どこからか響く笑い声。
男たち、それから試食会に集まっていたお客たちも慌ててあたりを見回した。
誰かが上だ、と叫ぶ。
石の匙亭の屋根の上。太陽の光を背負った小さな影。
ソーハが仁王立ちして人間たちを見下ろしていた。
ソーハは今までにない洋服を身に纏っていた。
白地に金と銀の刺繍をふんだんに施した豪華絢爛な衣装。舞台の主役のようだった。
彼は荒くれ者たちを睥睨し、びしっと指差した。
「石の匙亭の開店を邪魔する者たちよ。この俺に歯向かったことを、せいぜい悔いるがいい!」
「な、なんだあいつは!?」
ソーハはノリノリで屋根から飛び降り、華麗に着地。腕を振り上げて指をぱちんと鳴らし、高々と宣言する。
「来いっ、我が
すると屋根からさらに2つの影が落ちてきた。
重厚な金属音と共に地面に着地したのは、言わずと知れたソーハの忠実なる魔物、
そしてもう1人は。
「……なぜ、なぜ俺がこんな目に……」
ソーハ同様に着飾りまくったエルプセだった。
普段適当に結っている髪は綺麗に三つ編みにされ、ソーハとお揃いの煌びやかな白い衣装を着た彼は、どこかの王子かと見まごうほどだ。
着ている本人は
普段酒場とダンジョンの往復くらいしかしていない粗雑な冒険者にとって、きんきら王子様コスチュームを着せられるのは、ほんとうに勘弁して欲しい事案だった。
突如現れた王子様コンビ+鎧。
呆気に取られている男たちだったが、うちの1人が周囲の異変に気づく。
「おい! 俺たち閉じ込められているぞ」
「!?」
慌てて周囲を見回すと、確かに結界が張られている。店の前から大通り方向に向けて四角い箱状の結界が展開され、ソーハと荒くれ者たちを閉じ込めていた。
観光客に被害を出さず、男たちを倒すつもりなのだろう。それも、たった3人で。
「舐めやがって……、怯むな! 派手に暴れてやれ!」
荒くれたちのリーダーが声を張り上げた。
結界の中だろうと関係ない。自分たちに下された命令は、石の匙亭の運営妨害だ。
こんなところで派手に喧嘩している姿を見れば、客は逃げていくだろう。
男たちはそう考えて、凶悪な笑みを浮かべた。だが。
「さあっ、始まりました! 新装開店記念イベント『男たちの血湧き肉踊るアクションバトル』! この大人数を相手に果たして3人は勝てるのか!?」
「はあ!?」
男たちは絶叫した。
試食テーブルの横にいる豆太郎がメガホンを片手に叫んでいる。
その背中にはでっかいのぼり旗がささっていた。
そこにはでかでかと「記念イベント開催中」と書いてある。
荒くれ者たちは
(まさかこいつら、俺たちとのいざこざをイベントに見せかけるつもりか!?)
「応援したいと思った人はグッズも売っているので買っていってね!」
(しかもちゃっかり儲けようとしてやがる!)
あのやたら派手派手しい衣装にも納得がいく。観客からすれば、彼らはこのイベントの主役にしか見えないだろう。
そして自分たちは、用意されたやられ役だ。
荒くれ者たちの目に怒りの炎が燃え上がる。
「な、な、舐めやがってえええ」
「ふざけた格好しやがって、叩きのめせ!」
「袋叩きだ!!」
男たちがいっせいに飛びかかってきた。
だがしかし。彼らに怒りがあるように、エルプセにも怒りがあるのだ。
「うるっせー! 好きでこんな
エルプセの咆哮と共に繰り出された飛び蹴りが、先頭の男を思い切り吹っ飛ばす。
それが開戦の合図となった。
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