第54話

「やります」


 エルプセの目を見て、ザオボーネは笑った。

 もう彼は大丈夫だ。その目には、決して揺るがない光が宿っている。


「よし、任せた!」


 ザオボーネがどんと盾を構え直した。


「俺は攻撃の余波に備える。飛べるファシェンはなにかあった時の補佐」


 そうしてザオボーネはソーハを見た。

 初めての邂逅かいこう。おそらく彼がダンジョンの主で、あの観察ノートの持ち主の「近所の子ども」。

 そして豆太郎が守っていた子どもだ。

 ソーハはやや警戒した様子でザオボーネを見上げた。ザオボーネはにやりと笑って、ソーハに合図した。


「こっちの用意はいつでもいいぞ、チビ!」


 不敵な人間の態度に、魔人ソーハはくわりと牙をむいた。


「誰がチビだ! レンティル、お前は豆太郎と共に距離をとっておけ。 ──いくぞ!!」


 ソーハが右手を天井にかざす。

 光が収縮し、彼を中心に風が吹き始めた。

 すさまじい魔力が小さな彼の右手に圧縮されていくのを感じ、勇者たちは息を呑んだ。

 光は力を増して、増して、それでもなお止まらず力を強めていく。

 危機感を感じた水の魔物が、水の槍を次々と生み出し射出した。だが、すべてザオボーネに防がれる。


 ふっ、とソーハの魔力が消えた。


 巻き上がっていた風が止まる。

 無音になった空間で、砂利が地面に落ちる音が大きく響いた。


 ──そして。


 地面がせりあげるような衝撃と共に、6柱の光の柱が現れた。


 衝撃に耐えかねて豆太郎が尻餅をつく。体中の毛が総立ち、ぶわりと汗が噴き出した。

 魔力など感知できない豆太郎にも、あれがものすごいエネルギーだということは理解できた。


 6柱に囲まれたソーハが、ゆっくりと首を動かし魔物を見上げる。

 その目はまさしく、獲物を狩る魔人の目だった。


「さあ、これを受けられるか?」


 ソーハが指をぱちんと弾く。

 光の柱が回転しながら1本の束となり、ゆっくりと水の魔物に向かっていく。

 魔物の動揺を表すように、水の鎖からごぼごぼと気泡がこぼれた。

 水の鎖が一気に増殖した。それはリンゼを中心として、茨のごとく守りを固める。

 壁となった水の鎖に、光の柱が触れる。その途端に水の鎖の表面が蒸発した。

 魔物は水を生成し、必死に鎖を作り続ける。光の柱は水の鎖を破壊し続ける。

 魔物とソーハの間に生まれた膠着こうちゃく状態。

 そして、この状況を打破するのは。


「……あまねく大地を照らす祝福よ」


 エルプセは瞼を閉じ、静かに呼吸を整えていた。

 研ぎ澄まされた神経が、力の気配だけを追っていく。


「ある時は神の怒り、ある時は愛のしるし。我は敬意をもってその名を呼ぼう」


 圧倒的なソーハの力、対立する水の魔物の力。

 その奥で必死に死にあらがう、小さな力。

 黒く揺らめく水の中に光る、1点の深い青の煌めきが。


(──見えた)


 エルプセは剣を正面に構える。

 燃えさかる炎が、剣を包むように火の粉を散らす。


 脳裏に浮かぶ、あの日の光景。

 大切な仲間が、自分の生み出した炎に次々と呑まれていくあの瞬間。

 指が震える。汗が止まらない。

 それでも、それを乗り越えるため、自分は今ここにいる。


 想いを、決意を、今自分が出せる全身全霊を乗せて、エルプセは吠える。


炎のプロメテウス・咆哮バースト!!」


 輝く炎が空を駆ける。

 一点めがけて撃ち抜かれたその一撃は、光の柱を超えて、黒い水の鎖を打ち抜き、青い光のもとへ。


 水の鎖が震えた。赤い光がはじけるとともに、鎖が内側から破裂した。

 弾け飛んだ水が、雨のように降りそそぐ。

 雨とともに落下する1つの影。

 ファシェンは地を蹴り、風の魔法でその体を受け止める。


「リンゼ!」

「リンゼ! 無事か!?」


 勇者たちが、ずぶぬれのリンゼの元へ駆け寄る。


「怪我していないか!?」


 エルプセが心配そうに問いかける。

 リンゼはゆっくりと目を開けて、口を開いた。


「髪の毛、焦げたかも」

「えっ、嘘」

「うん、嘘」


 リンゼは笑った。微笑んだ拍子に目からこぼれた雫は、水滴だと言い張ろう。


「ごめんなさい。来てくれて、ありがとう」



 □■□■□■



「……はーッ」


 ソーハは脱力して、地面に身を投げ出した。

 呼吸をすると肺が痛い。足の感覚がない。

 とにもかくにも疲れた。


 誰かがソーハの体を起こして膝に乗せた。

 レンティルだ。ソーハが見上げると、彼女は眉を寄せて、唇を噛みしめていた。

 彼女は優しい手つきでソーハの額に張り付いた髪をはらう。


「お疲れさまです、ソーハ様」


 その一言にはたくさんの思いがつまっていた。

 ソーハもグッと唇を噛みしめる。


「ふん、お前もな。レンティル。よく人間どもをここまで連れてきた」

「よっ、ソーハ。お疲れさん」


 豆太郎がへらりと笑いながら近寄ってきた。

 あいもかわらず能天気な男である。

 一体誰のために、ソーハがこんな目にあったと思っているのだ。いや、別にこいつのためではないけれど。

 けれどもう少し、ソーハに感謝感激してむせび泣いてもいいのではなかろうか。

 彼はレンティルの横にあぐらをかいて座った。


「お前がリンゼを助けてくれたんだろ? 偉いな、すごいな、よく頑張ったな」

「…………」


 別に人間ごときに褒められてもちっとも嬉しくはないが。まあ、悪い気分ではない。

 ソーハはよっこらせと体を起こした。


「おい、マメタロー」

「はいはい」

「俺はそこの人間を助けるためにがんばって、たいそう疲れた。腹も減っている」


 だから、と腕を組んで不遜に告げる。


「もやし料理をとっとと作れ」


 本来なら、ありとあらゆる高級食材でもてなさせるところだが、まあ、この人間に甲斐性を期待しても仕方ない。ソーハはそんな風に考えて、もやし料理で妥協する。

 決して、さっきの戦いの最中に思い出して食べたくなったとかでは、ないのだ。

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