第32話
それから数日後。
ヨランド子爵の館。
「よくきてくれました。ベンネル」
レグーミネロとベンネルは、ヨランド子爵の元を訪れていた。
2人が訪れた目的はもちろん商売だ。
交渉相手はグルメでふくよかなヨランド子爵。
レグーミネロと同い年の子息も同席していた。
「話は聞いていますよ。あのもやし、という食材を手に入れたのでしょう」
「ええ」
ヨランド子爵は顔をほころばせた。
「いやあ、噂では風の勇者も興味を持っている食材とか。今度のパーティーで、ぜひそちらをメインディッシュにしたいと思ってるんですよ」
風の勇者という言葉に、ヨランド子爵の息子の肩がわずかに揺れた。
けれどベンネルは、残念そうに首を横に振った。
「残念ながらヨランド子爵。もやしは、あなたのご要望には応えられないかもしれません」
「どういうことですか?」
「実はもやしは貴重な食材ではありませんでした。栽培も非常にお手軽。すでに市民の一部の間で知られている食材だったんです」
「おやまぁ」
ベンネルの言葉の端々からヨランド子爵は推察する。
もやしが市民の間で流通していた食材なら、こんなにも爆発的に噂が広まるのは考えにくい。
だが彼はわざわざ、市民の「一部」と言った。
とするともやしが流通していたのは貧民街ではないか。
貧民街の下層市民の間で食べられていたもやしが、なんらかの偶然で上層市民の知るところとなり、うわさがひとり歩きした。
充分にあり得る話だ。
しかしそうすると残念だが、もやしをパーティーで使うのはやめなければならないだろう。
貴族の食事会で貧民街の食べ物を出すというのは、侮辱と取られかねない。
ベンネルは申し訳なさそうに頭を下げる。
「今回のことは、事前の情報集めが不足していた私の落ち度でもあります。ですので、代わりの品を用意させていただきました」
ベンネルが手を挙げると、後ろで控えていた使用人が小さな箱を机の上に置いた。
ふたを開けると、うっすらと冷気がただよう。
中には氷が敷き詰められており、2つのガラスの器が入っていた。
使用人は器の水気を拭いて、子爵と子息の前に器を並べる。
「これは卵菓子ですね」
器の中身は、月見色のプリンだ。
高級品だが、貴族の間では特別めずらしくもないデザートだった。
そこですかさずベンネルは補足する。
「こちら、ビッグビークの卵を使用しております」
「なんと!」
ヨランド子爵は目を丸くしてプリンを見つめる。
「ビッグピークと言えば、ダンジョンの奥深くに現れる恐ろしい魔物。群れをなして声高に鳴くその姿には歴戦の勇者もたじろぐという、あのビッグビークですか」
「そうです、そのビッグビークです」
(そんな感じなんだ、あの鶏……)
レグーミネロは、豆太郎の後ろでコケコケ鳴いている鶏の姿しか知らなかった。
「さらに牛乳の代わりに、ビッグホーンの乳を使用しております。ご賞味ください」
「ビッグホーン!」
「炎の化身と呼ばれる恐ろしい魔物。近づくものは永遠に消えぬ業火に焼き尽くされるというあのビックホーンですか」
(そんな感じなんだ、あのヤギ……)
レグーミネロは以下略。
「ささ、冷えているうちにお召し上がりください」
2人は言われるがままにプリンをスプーンですくい、一口。
「ああ、美味い」
「なんともまろやかな心地ですね」
「気に入っていただけたなら何よりです。いかがでしょう、もやしの代わりにこちらを今度のパーティーにお出しいただく、というのは」
レグーミネロはぎゅっと手を握った。心臓がばくばくと音を立てている。
しかし、そこで息子の方が口を挟んだ。
「こちらの食材も素晴らしいですが、やはりもやしという食材も気になりますね。なにせ、風の勇者ファシェン様も食していらっしゃるものです」
「しかしだな、既に一部の市民の間で流通しているというではないか」
「趣向をこらし、料理の内容を工夫すればいいでなないですか。せっかくファシェン様が食べたがっているのですから」
ファシェン、という部分にずいぶんと力を込めるヨランド子息。
ベンネルの目がきらり、と光る。
「ファシェン様といえば、お二人はご存じですか? 彼女は甘いものがお好きだそうです」
「えっ」
息子がベンネルの方を向いて固まった。
「以前ザオボーネ様と少々お話する機会がございまして。その時にお聞きしたんですよ」
「女性は甘いものが好きですからね。勇者様もそこは一緒でしたか」
「はっはっは」
おじさん二人が笑う横で、息子はとても真剣な表情でプリンを見つめる。
そしてすごい勢いで、自分の父親に詰め寄った。
「父さん! 今度のパーティーはスイーツビュッフェにしましょう!」
「ええ!?」
かくして。
メメヤード家の交渉は見事成功を収めたのだった。
□■□■□■
馬車に乗ったところで、レグーミネロは大きく息を吐き出し、力尽きた。
そんな妻の様子を、ベンネルは窓に頬杖をついて眺める。
「ヨランド子爵の息子が風の勇者を慕っているという話は本当だったらしいな」
「はい。うまくいって良かった」
「で、だ。これで交渉は成立したわけだが、今回の利益がいくらになるか、ざっと予想してみろ」
夫の指示に、レグーミネロはしぶしぶと金額を言い連ねていく。
「……卵20個、ヤギ乳4缶、合わせて金貨150枚の収入。その保存・管理に金貨20枚、輸送に金貨30枚、その他諸費用に金貨10枚、しめて金貨60枚の支出」
「輸送に金貨40枚はかかるな。卵のような割れやすい食材は厳重な検品、保護が必要になる」
ベンネルは8本立てた指をレグーミネロに見せる。
「つまり残る利益は金貨80枚。予定の金貨500枚を大幅に下回ったわけだ」
「ぐっ」
「そもそも用意するはずの商品が用意できずに、代替策を用意するなど、商人としては下の下だ、下の下」
「ぐぐっ」
ずけずけと言われて、レグーミネロは悔しそうにうなだれた。
「お詫びと誠意」で商品の価格をだいぶ安く設定したことも響いている。
今回はレグーミネロの失敗だ。認めざるを得ない。
「……だがまあ、客のニーズに応えたという点では、悪くない」
ベンネルの言葉にレグーミネロは驚いて顔を上げる。ベンネルは横目でレグーミネロを見た。
「せいぜい励むことだな」
つっけんどんな激励の言葉に、レグーミネロは目を大きく大きく見開き、そして、そばかすのある顔をほころばせて、花のように笑った。
「はいっ、旦那様!」
とてもまぶしく、くもりのない笑顔だった。ベンネルは一瞬固まり、そしてふいっと窓の外を見つめたのだった。
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