第6話

 腰をとんとん叩きながら、豆太郎は上を向いて伸びをする。


「あー、牛の乳しぼりって、中々うまくいかないもんだなあ。こういう時スマホがあれば検索できるんだけど」


 机の上に放置してきてしまったスマホを思い出し、ちょっと悔やむ。

 とはいえないものねだりをしても仕方ない。

 もやし栽培セットを持ってこれただけよしとしよう。


 鍋の中のしぼりたてのビッグホーンの乳を見つめる。

 なんせ燃えるヤギだ。乳も炎が出てきたらどうしようと、どきどきしながら絞っていた。だが容器の中でたぷたぷと揺れる液体は、まさにミルクそのもの。


 エルプセという青年が置いていってくれた三脚に鍋をひっかける。

 ビッグホーンを撫でて、三脚のそばまで連れて行く。ビッグホーンは炎をゆらめかせながらとことこと歩き、三脚の下に顔をもたげて、「べえ」と一鳴き。

 ぼんと火が付き、ヤギ乳の入った鍋を温め出す。

 こし器はないので、煮立つヤギ乳からごみなどを取り除ける範囲で取り除いていく。

 ある程度煮たったら、しぼりたてのヤギミルクの完成だ。

 カップに注ぎ、少し吹いて冷ましてからすする。


「うんま!」


 思わず声が出た。

 少し甘めで濃厚な味。牛乳は搾りたてが美味しいと言うが、それは異世界でも、ヤギの魔物でも共通だった。


「これはもやしが収穫できたらもやしのミルクスープを作るしかないな」


 あったかミルクスープ。味噌や辛子なんかが揃えば担々麺風に仕上げることもできる。

 ごまやこしょうをきかせて、麺代わりにもやしをスープに絡めていただくのだ。こってりしたスープと少しだけシャキシャキ感を残したもやしのコラボレーション。豆太郎は想像して喉を鳴らした。


 朝ごはんを食べて満腹になったところで、次の仕事だ。

 取り出したのは、朝収穫した枯れた緑豆。あえて成長しきって枯れたところを収穫した。

 茶色になった鞘を取ると、ぱりっと剥けた皮の中に、大きく丸い粒が入っている。豆の種だ。それらを取り出し、もやしと同じように水の入った容器につける。

 黙々と続けること数10分。

 たくさんの種の入った容器を、緑豆がひしめきあっている場所、つまりこの空間で唯一日の当たるところに置いた。

 多少工程は省いているが、これで10日もすれば豆苗が生えてくるはずだ。


 完成を心待ちにして、豆太郎は額の汗を拭う。そんな自分を、歯軋りしながら見ている人物がいるとはつゆとも知らず。



 □■□■□■

 


 豆太郎が豆苗を作り始めてから4日後。


 ソーハはうなっていた。

 豆太郎をあっと言わせる計画が、中々思いつかないのである。


「あいつが真っ青になって、泣き叫びながら滝の中につっこむような演出がいいんだよな……」


 中々にハードルの高いリアクションを求めていた。三十路でそんな派手なリアクションをするのは、バラエティ番組のお笑い芸人くらいである。

 うんうんと頭を捻るソーハに、レンティルからしらせが入る。


「ソーハ様。また侵入者ですが、いかがいたしますか」


 ソーハは眉間に皺を寄せた。

 この前ダンジョンに入ってきた炎の勇者を思い出したのだ。

 思えばこの前は、あいつのせいで豆太郎を脅かすのに失敗した。


「また強いやつか?」

「いえ、今度は普通の町娘のようですが」

「ふーん」


 その時、ソーハの脳に「ぴーん!」とひらめく何かがあった。

 ソーハは寝床の上に仁王立ちすると、得意げに宣言した。


「よし、次の作戦が決まったぞ!」



 □■□■□■



「おお……、おお……」


 豆太郎は震えていた。

 目の前の出来事に打ち震えていた。


 それはソーハの練りに練った作戦が決行されたから──ではなく。


「もやしが、もやしができたぞーっ!」


 ついにもやしが食べられる大きさまで成長したからである。

 異世界から持ってきたもやし栽培キット。そのカゴの中ですくすくと育った白いもやしに、豆太郎は年甲斐もなく大はしゃぎだ。

 

「ああ、異世界にきて初めてもやしが育った日だ。今日はもやし記念日だな」


 他に記念にするものはなかったのだろうか。

 さっそく今日の昼ごはんにしようと、もやしを収穫して水洗いする。せっかくなので、数日前に種を作った豆苗の方も収穫することにした。


 日照権を勝ち得たわずかな範囲に、豆太郎が置いた緑豆の種。そこから芽が伸び、茎も伸び。豆苗は緑色の葉をつけていた。


「植物の成長サイクルが早いなあ」


 それは豆太郎がこの4日間観察して気がついたことだ。

 先日収穫した枯れ緑豆。収穫後に枯れ葉や茎を取り新たな豆を植えた。すると1日で発芽し、もう収穫できそうなほどに成長している。だが豆苗と比べると、もやしの成長速度はあまり変わらない。

 とすると、この世界の日光に植物の成長を早める力でもあるのだろうか。なんにせよありがたいことである。


「豆苗はまだ収穫時期にはちょっと早いが……、ま、いいだろう。今日は異世界初、もやしと豆苗を食べる記念日だ」


 いそいそと料理の準備を始めた豆太郎。そんな彼の耳に「べええ」とビッグホーンの鳴き声が届く。


「どうした? ヤギ」


 豆太郎がつけたビッグホーンのあだ名である。

 まんまな名前をつけられた炎の魔物は、繰り返しべえべえと鳴く。いつもと違うヤギの様子に、豆太郎は首を傾げた。


 四角い山羊の目は、ダンジョンの通路の奥に向けられている。

 豆太郎はヤギと共に通路に向かい、ヤギの炎で周囲を照らす。


 そして、彼は目撃した。


 通路の影に女性の石像が立っているのを。


「うわっ!?」


 思わずおののいて1歩下がった。

 ヤギの背中を撫でまくり、ばくばくと鳴る心臓を落ち着ける。ちょっとぺしゃっとした毛が気持ちいい。

 すうはあと何度か呼吸を繰り返してから、慎重に踏み出して石像を観察した。

 女性の石像は腕を振り上げ足を振り上げ、まるで全速力で走っているようなポーズをしていた。表情も大変細かい。ものすごく必死さの伝わる形相だ。

 にしても不思議だ。こんなに丹精込めて作り込んだ銅像が何故こんなところに。豆太郎は首を傾げながら、石像をぺたぺたと触った。



 □■□■□■



「あーはっはっは! どうだレンティル! あの石像を見れば『自分もこうなるのでは』という恐怖に駆られ、震え出すこと間違いなし!」


 覆い幕の向こうから、ソーハの得意げな笑い声が聞こえる。

 レンティルは、水晶玉越しに石像になった町娘を見つめ、幕越しにソーハを睨む。


「ソーハ様。人は殺さない、という約束ですよね?」

「なに、ちゃんと後で戻してやるさ。くくく」


 ソーハは実に楽しそうに笑うと、ベッドの上で跳ねた。


「さあっ、覚悟しろ人間。石像と化した女を見て、怯え、喚き、泣き叫ぶがいい!」


 ソーハがボルテージMAXで叫ぶのと。

 豆太郎がうっかり石像を倒したのは、ほぼ同時だった。


『あっ』

「あっ」


 水晶玉の向こうの声とソーハの声がハモる。


 がちゃん、ぽきっ。


 なにかが壊れる音がした。

 哀れ女性の石像。振り上げていた右腕が粉砕した。


「…………」


 ソーハはちらりっ、と覆い幕を見る。

 布に隠されたレンティルの顔は見えない。見えないけど分かる。分かるし、感じる。

「殺さないって言いましたよね?」という怒気がそれはもうひしひしと。


「だだ、大丈夫だ、ちゃんと戻す、戻すから!」


 ソーハはめちゃくちゃ慌てふためいて言い訳した。


『あちゃー壊れちまった』


 水晶玉の中から、能天気な豆太郎の声。その能天気な声がなんとも腹立たしく、ソーハは思い切り水晶玉を睨む。

 水晶玉の向こうの豆太郎は、壊れた腕パーツを眺め、一言。


『石焼き料理、やってみっかな』

「やるんじゃねえ!!」


 恐ろしいクッキングタイムが始まるのを防ぐため、ソーハは慌てて動き出した。

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