第92話

 同時刻。

 ラーヴ・ノワール商会。


「昨日は失敗したらしいな、ラディ」

「申し訳ありません」


 ラディは主人であるラーヴ・ノワールに頭を下げる。

 失敗とは、昨晩の宿の襲撃のことだ。まさかレグーミネロに自分の作戦が見抜かれているとは思わなかった。

 少し侮り過ぎていた。夫の威を借りているだけの女だと思っていたのだが、少しは頭が回るらしい。


「しかし今日は客がいる以上、宿に結界を張ることはできないはずです。これで奴らも……」


 その時、商会の人間が慌ただしく駆け込んできた。その男は今日石の匙亭の見張りを請け負っていたものだ。


「た、大変です。石の匙亭が……」

「なんだ、諦めて投降でもしたか?」

「大繁盛してます!!」


 ラーヴ・ノワールとラディは、大きく目を見開いたのだった。



 □■□■□■



「ご一緒に飲み物もいかがですかー!」

「興奮して汗をかいたでしょう。ぜひ石の匙亭の温泉にゆっくりつかっていってね!」


 開店した石の匙亭の店の前で元気な声が飛び交う。がやがやと賑わう観光客。

 そして新装開店記念のデモンストレーション。石の匙亭を潰すためにやって来た荒くれたちを、ソーハがノリノリでぶっ飛ばしていた。正確には、ソーハから指示を受けた動く鎧が、だが。


「フハハハハ! さっきまでの威勢はどうした愚かなる人間ども! もっと抗ってみせるがいい」


 悪役ムーブ全開で敵を挑発。

 監督の豆太郎が「もうちょっと優しい感じで」と書いたカンペを掲げた。


「……1分くらい待っててやるから、がんばって立ち上がるといい!」


 ソーハは悪役ムーブにちょっと優しさを添えた。


 「クソガキが!」


 男がソーハに飛びかかろうとしたが、その体が宙に浮いた。動く鎧に後ろから襟首を掴まれ、持ち上げられたのだ。

 動く鎧は片手で男をぶん回し、そのまま放り投げた。

 自分の主人に近づくものは許さないぞ、と言わんばかりに力こぶを作る。(鎧しかないので、ポーズだけだが)


「おおっ、すげえ力だ!」

「中には筋骨隆々の男が入ってるんだぜ、きっと」

「いや、ああ見えて女性かも……!」


 観客たちによる中の人予想が盛り上がる。

 中に人なんて入っていない鎧は、豆太郎の方を振り返った。心なしか「どうしよう」と戸惑っているように見える。

 豆太郎は「ありのままで大丈夫」とカンペを出す。


「クソッタレがあああ!」


 ショートソードを両手で握りしめて飛び込んでくる男。

 1撃、2撃、3撃とエルプセが見切って躱していく。


(なんか俺にも指示出てんのかな……)


 ちらりと豆太郎の方に視線をやると「かっこよく技を決めて」というカンペが出ていた。これ以上無茶ぶりをするな。

 エルプセは一つため息をつくと、助走をつけて地面を蹴った。空中でくるくると回転し、敵の顔面に着地。その勢いでさらにバク転を決めた。

 派手な技に観客の拍手が巻き起こる。


「う……、うおおおお!」


 最後に残ったリーダー格の男が、斧を振り回しながら決死の特攻。

 エルプセの間合いに飛び込み、斧を下から振り上げる。

 殺れる、と男は確信した。だがエルプセは眉ひとつ動かさず斧を見下ろしている。

 次の瞬間、ばぎんと音を立てて斧が砕けた。横から動く鎧が振りかぶった腕が、斧を粉砕したのだ。


「なっ……!?」


 男が固まった瞬間、負けは決まった。

 エルプセと動く鎧のラリアットが首に決まり、男は声も上げずに地面に伏した。

 2人は拳を合わせて検討を讃えあう。ソーハがととと、と2人の前に歩いていき、ビシッと腕を組んでポーズを取った。フィニッシュである。


「いいぞー!」

「かっこよかったぞ!」

「迫力があったなー!」


 石の匙亭の盛り上がりは最高潮となっていた。

 その時だ。


「通して……、通しなさい!」


 人ごみを乱暴にかき分けてラディが現れた。

 彼の視界に入ったのは、商会の息がかかった荒くれ者たちが、地に伏しているところだった。

 ラディは賑わう石の匙亭を睨む。

 レグーミネロが彼の前に出て、うやうやしくお辞儀をした。


「あら。こんにちは、ラディさん。


 痛烈な皮肉に、ラディの目元の筋肉がわずかに震えた。空をあおぎ大きく深呼吸して、いつもの笑顔を貼り付けて向き直る。


「……すごいですね。今回は私の負けです。石の匙亭は、再び息を吹き返した」


 そこで彼は口元を歪めた。


「そして何日も経たないうちに、ラーヴ・商会に潰される」


 ラーヴ・商会にもメンツがある。

 この店を野放しにすれば、また反抗する者が現れるだろう。

 土地が手に入れられるかなど、関係ない。なりふり構わず、徹底的に叩き潰さなければならない。

 店を再び始められた? だからなんだ。続けられなければ意味はない。

 そして続けることはできない。今回のように直接店に手を出さずとも、お客が来ないようにする方法など、いくらでもあるのだから。

 だからラディは、呪いのようにレグーミネロにささやいた。


「結局あなたのしたことなど、ほんの少しこの店の寿命を延ばしただけなんですよ」

「いや、そうでもないさ」


 ──彼の言葉に反論したのは、店から出てきた石の匙亭の店主だった。


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