第93話
ラディの言葉に反論した店主が、1枚の紙を見せる。
その紙こそが、豆太郎達が石の匙亭にやってきた日に店主が言っていた「反撃」だった。
「ソイビンの街のアリコルージュ商会に、この店の管理権を売った。これで俺の店はアリコルージュ商会のものとなった」
「へっ」
突然聞こえた馴染みのある商会の名前に、レグーミネロは間抜けな声を上げた。
店主が見せた紙は誓約書だ。そこには、石の匙亭の管理権をアリコルージュ商会に一任することが書かれており、最後にアリコルージュのサインが書かれている。
「ああ。それから、街の他の宿もいくつか承諾してな。ざっとラウトの街の6割の宿が、アリコルージュ商会に管理権を渡したことになる」
「なっ……」
ラディは絶句した。
この街の中ではラーヴ・ノワール商会に勝てない。だから街の人たちは、他の街の有力者の傘下に下ったのだ。私有地や店の管理権を持てば、他の街の商会でも干渉できる。街に住んでいても、ラーヴ・ノワール商会の手から逃れることができる。
だが、つまりは自分の店を他の商会に売り渡すのだ。支配する人間が「ラーヴ・ノワール商会」から「アリコルージュ商会」に変わるだけ。下手をすればもっと悪化する可能性もある。
そもそも他の街の商会の傘下に入ることだって簡単ではなかったはずだ。ラーヴ・ノワール商会が幅を利かせている街の管理権を奪うなど、喧嘩を売っているも同じ。そんな危険を冒してまで、管理権を得ようという商会はそういないだろう。おそらく幾度も失敗し、説得を重ねたはずだ。それも、ラーヴ・ノワール商会にバレないように。
──そんな危険な作戦を、ラウトの街の過半数の宿が実行していたというのか。
「商会との交渉は中々時間がかかってな。俺の店は、お前らに潰される方が早いと諦めていたんだが……。このお人好し達のおかげで、なんとかなりそうだ」
店主はレグーミネロを見て、ふっと笑った。
「あとはまあ、このまま石の匙亭を再興させれば──お前らの負けだ、ラーヴ・ノワール商会」
「…………!」
ラディは身を震わせた。
ラーヴ・ノワール商会ではアリコルージュ商会の強大さに勝てない。
完全な敗北だった。
細い目をわずかに開き、憎しみを込めてレグーミネロを睨む。
笑顔の下に隠れた彼の黒い本心は、そのまま言葉に滲みでた。
「このままで済むと思わないでくださいね。メメヤード家の権威を笠に着ただけのお嬢さん」
「…………」
その言葉は負け惜しみだと分かっていても、レグーミネロの心に突き刺さった。
けれど。
「それはこちらの台詞だ」
周囲の人々が、一斉にラディの後ろを振り返る。
不機嫌そうな男は高級品に身を包み、たくさんの付き人を従えてそこにいた。
彼の隣には、変わった髪型をした白髪の老人もいる。
「だ、旦那さま?!」
「なっ……、アリコルージュ!?」
レグーミネロとラディが声を上げたのは、ほぼ同時だ。
白髪の老人、商会を取り仕切る大商人アリコルージュは片手をあげた。
「よっ。ここいら一帯の権利を買い取ったからよう。あいさつがてら観光に来たってわけだ」
アリコルージュは髭を撫で付け、ひゃひゃひゃ、と特徴的な笑い声をもらす。
「ちょっと好き勝手にやりすぎたなあ? ラーヴ・ノワール商会さんよ?」
「そうだな。そして、貴様」
ベンネル・メメヤードは眉間に皺を寄せて、ラディを睨め付けた。
商人としてのしあがったメメヤード家当主の鋭い眼光に気おされ、ラディは思わず息を呑む。
「俺の妻を侮辱して、ただで済むと思うなよ」
その言葉に、レグーミネロは目をまん丸にして固まった。
アリコルージュが横で愉快そうに笑う。
「とりあえずさ、主人の元に帰れよ。夕方くらいにあそこの派手~な屋敷にお邪魔するからよお。俺をどうもてなすか、考えておいてくれや」
夕方にラーヴ・ノワール商会のこれからが決まると、そう言っているのだ。
「……くそっ!」
ラディは走り出した。もう彼に石の匙亭にかまっている余裕はないだろう。
急変した事態に、レグーミネロはただただぽかんと口を開けて固まっていた。そんな彼女にベンネルが早歩きで近づく。
「レグーミネロ」
「あ、はい」
「怪我はないか」
「あ、はい」
「そうか。……この石の匙亭を再興したそうだな」
「あ、はい」
展開に脳が付いていかず、ぬいぐるみのように同じ動きを繰り返した。
ベンネルは石の匙亭を見上げた。
試食会の客引き、宿の中から聞こえてくる賑わいの声。
地面に伸びた荒くれ者たちと着飾ったエルプセ達を見れば、大体何をしたのか想像がついた。
それらを総合して観察し、ベンネルはふっと笑った。
「悪くない。よくやったな」
「……!!」
ベンネルに初めて褒められて、レグーミネロは身体が吹っ飛ぶくらいの衝撃を受けた。
それはもう、すごくて。ラディの悪口など、どこかに吹っ飛んでいってしまうくらいの衝撃で。
思い切り笑顔で返事をしようと思ったのに、なんだかベンネルの顔が見れなかった。
「ど、どうもありがとうございマス……」
レグーミネロは頬を両手で覆ってうつむいた。
ベンネルは首を傾げた。ここぞとばかりに得意げに笑うと思ったのに。
ベンネルが周りを見ると、使用人3人と豆太郎がカンペを上げていた。
カンペには順番に「今のは満点」「ばっちりです」「いつもそれでいきましょう」「もやし食べる?」と書かれていた。意味が分からないが、なんかイラっときたので無視することにした。
「おい! お前らいつまで呆けている。俺がこれだけ客引きをしてやったんだ。さっさと営業しろ」
荒くれ者達との乱闘という大仕事を終えたソーハが、腕を振り上げ声を上げた。
レグーミネロが熱い頬をペシペシと叩き、気合いを入れ直した。
「その通りですっ。さあ、売上達成まで、気合を入れますよお!」
そうして、石の匙亭の新装開店は大成功。
なんとその日のうちに、目標である金貨30枚の売り上げを達成したのだった。
□■□■□■
新装開店、翌日の夜。
石の匙亭は目標の売上金額をはるかに超えて繁盛した。
ラウトの街の温泉宿の管理権は、そのおよそ半数をアリコルージュが買い占める結果となった。表向きはラーヴ・ノワール商会と共同でラウトの街を盛り立てていく、ということになっている。
商人同士の水面下での戦いは今後も続いていくことだろう。
さて、石の匙亭がめでたく復興したところで、1つ問題が残っていた。
「あれ? 俺たち全然温泉に入れてないんじゃない?」という問題である。
ということで。
「あー……、生き返るー」
豆太郎一行は、石の匙亭の温泉にのんびりと浸かっていた。
店主が少し早めに店を閉めてくれたおかげで、夜は豆太郎達の貸切だった。
エルプセは綺麗な星空を見上げた息をついた。ソーハは布タオルをお湯に沈め、色々な形にして遊んでいる。
豆太郎は温泉を堪能しながらしみじみと呟く。
「これから、ここは温泉もやしの栽培地として栄えていくんだろうなあ」
(なんだかんだで、この人ちゃっかりもやしを布教してるんだよなあ……)
どさくさで1番目的を達成しているのが、このもやし魔人(人間)である。
「市場調査が全然できなかったから、明日は温泉に浸かりまくるって、レグーミネロが張り切ってたな」
「指がふやふやになりそうっすねえ」
合流したベンネルが「こほん。レグーミネロ。明日は見晴らしのいい温泉スポットに連れて行ってやる」と言ったところ「そんなことを言っている場合ではありません! 市場調査がぜんぜん進んでいないんですっ」と一刀両断されたことも追記しておく。
ソーハがタオルをぎゅうぎゅうと絞りながら豆太郎に言った。
「マメタロー。明日はちゃんと俺についてこいよ」
「ん? なんかあったっけ?」
「とぼけるな。リンゼから聞いているんだぞ。人間は旅に出たら『ミヤゲ』という貢ぎ物を持って帰るとな」
ソーハはふふん、と胸を張った。
「つまりお前は、俺に貢ぐミヤゲを探さなければならんということだ!」
「あー、そう解釈しちゃったか」
実際は、旅に出た人があげる側なのだが。
まあいいか、と豆太郎は思う。いずれにせよリンゼやレンティルにお土産を買って帰らなければなるまい。
「レンティルには魔人っぽいものを買っていってやるか。怖いお面とか」
(ソーハって、修学旅行で木刀とかトゲトゲのキーホルダーとか買っちゃうタイプだな)
真剣にお土産を悩む魔人を見て、エルプセはおかしくなった。
レグーミネロの旦那も合流し、ラディも退散した。ようやく気苦労からも解放された。
よく頑張った、俺。セルフでねぎらい、肩にお湯をかける。
「あ、エルプセ。あの衣装お土産にくれるってよ」
「
さて、あの恰好のことを豆太郎にどうやって口止めしようか。
お土産よりもそちらに頭を悩ませるエルプセだった。
3人でわいわい騒いでいると、店の方から店主が歩いてきた。
「おいお前ら。もやしのフルコースを作ってやったぞ。いい加減上がってこい」
「えっ、マジで!?」
ここ1番テンションを上げて、豆太郎がいそいそと温泉から上がる。
ソーハとエルプセは顔を見合わせ、肩をすくめて後に続いた。
ラウトの街、夜のもやし宴。
楽しい旅行は、まだまだ終わらない。
□■□■□■
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