第22話

 ソイビンの街のとある酒場にて。


「あ。ザオボーネさん。この間はすんませんっした」

「よう、エルプセ」


 がたいの良い男がジョッキを持ち上げて挨拶をした。

 彼はザオボーネ。土の勇者であり、エルプセの所属するパーティーのリーダーだ。

 先日豆太郎をダンジョンの主と勘違いして倒そうとしたが、それをエルプセが食い止めたのである。

 彼はジョッキの飲み物をあおぐ。豪快な飲みっぷりと大きなジョッキとは相反して、中の飲み物はノンアルコールだった。今夜は夜間の巡回があるからだ。


「こっちこそ悪かったな。しかし、まさかお前が俺に戦いを挑んでくるとはなあ。はは、大人になったもんだ」

「やめてください。俺はあの時のことを思い出すと、まだ膝が震えるんですから」

「はっはっは」


 豪快に笑って、彼は一呼吸置いた。


「ダンジョンの方は大丈夫なのか? 調査権、けっこう高かっただろ」


 いきなり現状の課題を言い当てられてぎくりとする。

 さすがはザオボーネだ。常に先を見据える彼は、豆太郎達が直面している問題にすでに気がついていた。

 だが、豆太郎もあれでなかなか頼りになる男だと、エルプセは知っている。

 それに商家の妻、レグーミネロもいるのだ。

 エルプセは席につくと、笑って頷く。


「大丈夫っすよ。マメタローさんがなんとかします。でも、どうしようもなくなったら、助けてください」

「はっはっは、いいぜ。まあ、マメタローも大の男だからな。いざとなりゃ何とかするだろ」


 ふいに酒場がどよめいた。ならず者でも入ってきたのだろうかと、2人は入口を見る。そしてすぐに納得した。

 ならず者ではない。薄緑の髪をたなびかせた、めったにお目にかかれない美女が来店したのだ。

 男も女も、吸い寄せられるように彼女を見つめる。がらんがらんと、誰かが食器を落とした音がした。

 皆が魂を抜かれる中、ザオボーネがいつもと変わらぬ様子で片手を挙げた。


「よ、ファシェン」


 ファシェンと呼ばれた絶世の美女は、人々の視線を一身に受けながら、真っ直ぐにザオボーネ達の元にやってきた。


「こんにちは、ザオボーネ。エルプセ、炎の調子はどうだ」

「うす、順調です、あねさん」


 エルプセは姿勢を正してお辞儀した。


「そうか、よかった」


 風の勇者、ファシェン。

 彫刻のように完璧な美貌を持つ、ザオボーネの仲間の1人だ。


「あの美女は一体誰なんだ」

「知らないのか、風の勇者の……」

「いいなあ、ザオボーネ……」


 そこかしこで周囲の人のささやき声が聞こえる。

 そこに悪意は含まれていないが、それでもファシェンは小さくため息をついた。


「いい加減何度も出入りしているんだから、慣れてほしいな……」

「今日は新参者が多いからなあ。ほら、バイトも新入りだ」


 ちなみにバイトの新入りは、お盆を落としたまま動いていない。

 エルプセも初めてファシェンを見た日はしばらく思考が停止していたから、無理もない。


「そういえばファシェン。今日はヨランド家のご子息に剣技を披露するんじゃなかったのか」

「そのまま絵のモデルまでさせられそうだったから、体調不良で逃げ出してきた。おかげで昼食も満足に取れていないんだ」


 テーブルに腰掛けた彼女は、憂鬱ゆううつそうにため息をついた。

 悩まし気に震えるまつげがまた美しい。


「相変わらずモテモテっすねえ」

「所詮外見だけだ。あと10年もすれば終わるさ」


 ファシェンは確か、今年で27。

 エルプセは頭の中で10年後の彼女の姿を想像してみる。


(……37歳になってもおそらくモテてるだろうな、この人は)


「それに……、いや、なんでもない」


 ファシェンは何かを言いかけて首を振った。

 さっきまで硬直していたバイトが、機械のような動きで軽食を運んできた。

 昼を食べ損ねたファシェンのために、ザオボーネが追加注文したものだ。

 炙りチキンをはさんだ、マスタードソースたっぷりのサンドイッチ。それをひとかじりして、ファシェンは話題を変える。


「ザオボーネ、お前この前、街外れのダンジョンの調査に行っただろう。ほら、メメヤード家が調査権を買い取ったところだ」

「ああ。結局肩すかしだったけどな。それがどうかしたか?」


 それはまさに、先ほど話題になっていた豆太郎のダンジョンのことだ。

 ザオボーネは豆太郎の存在を秘密にして「なにもいなかった」ことにしてくれているのだ。

 しかし、そんなザオボーネの気づかいは1秒後に霧散することになる。


「お前の勘は正しかったかもしれないぞ。あのダンジョンに近づいたカップルが『もやしはいらんか』と話す魔人に襲われたそうだ」


 賑やかな酒場で、そのテーブルだけが「しん」と静かになった。


「翌日には、度胸試しをしようとした若者たちが同じ目にあったらしい。彼らが共通して聞いたのは『もやし』という言葉だ。人を呪う言葉なのか、それとも何かの名前か。今のところまったく分かっていないが──、どうしたエルプセ、突然頭を抱え込んで」

「……なんでもないっす……」


 エルプセはなんでもなくない様子で撃沈していた。

 ザオボーネが明後日の方向を見ながらちょっと棒読みで話す。


「へー、そうか。ただ、まあ、あそこはもうメメヤード家が調査権を買ったからなー。腕の立つ傭兵でもなんでも雇うだろ、うん。俺たちが出る幕はなさそうだな。全然なさそうだ」


 ファシェンは少し沈黙したあと、「そうだな」と頷いた。そして「今日の日替わりメニューを確認してくる」とカウンターの横の看板を見に席を立った。

 2人になったところで、ザオボーネは机に突っ伏したエルプセに視線を移す。


「えーと。大丈夫か? もうどうしようもなくなってないか?」

「……俺に聞かんでください……」


 もっともなザオボーネの心配に、エルプセは投げやりに返したのだった。

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