もやしを食べれば美味くいく〜ダンジョンに転移したオッサン、もやしを育てていたらダンジョンの主と勘違いされてました〜

結丸

豆太郎、ダンジョン召喚。

もやしは火を通して食べましょう

第1話 

 ──とある異世界の片隅。

 小さなダンジョンの最奥で、紫色の眼が爛爛らんらんと光る。


「……さあ、今日はどんな生贄いけにえを召喚しようか」


 声の主が手をかざす。

 光が生まれて時空が歪み、そして。



 □■□■□■

 


 育田 豆太郎いくた まめたろうはしがないサラリーマンだった。

 今年で32歳、好きなものはもやし。


 栄養満点、お手軽価格、調理も簡単。主婦の味方の代名詞。それがもやしだ。

 子どもの頃から貧乏学生時代まで散々お世話になったもやしは、もはや豆太郎にとって欠かせない存在だった。

 家では毎日もやしと豆苗の水替えをして、成長過程を見るのに小さな癒しを感じていた。


 上司に怒られ、後輩に舐められ、ちょっとへこみながら缶ビールを買って帰宅したいつもの金曜日。

 さて日課の水替えをしようと、自作のもやし栽培セットに手をかけたその時だった。


「すぽん」という間抜けな音と共に。

 豆太郎は異世界に召喚された。


「…………へ?」


 手に持っていた、もやしの豆栽培セットと共に。


 突然見知らぬところに飛ばされた豆太郎。

 状況の把握はもちろんできていない。

 仕事帰りのスーツ姿のまま、もやし栽培キットを持って立ち尽くした豆太郎は思った。

「とりあえずもやしの水替えでもするか」と。



 □■□■□■


 

 豆太郎が飛ばされた異世界。

 そこにソイビンという名前の街がある。

 ソイビンの街はずれの森の奥。そこには、冒険者が見向きもしない小さなダンジョンがあった。

 1人の女性が、そのダンジョンの奥へと入っていった。茶色く長い髪をなびかせ、細いフレームの眼鏡がよく似合う、知的な女性だ。

 彼女は迷うことなく入り組んだ道を歩いていく。すると不思議なことが起こった。彼女の髪が、茶色から鮮やかな紫へと変化したのだ。眼鏡の奥の茶色の瞳も、同じく紫に変わっていった。

 女性はあっという間に、ダンジョン1階の1番奥の部屋へたどり着いた。

 部屋の入り口には、石造りのダンジョンには似合わない高級な布の覆い幕がかかっている。

 目と髪の色が変わった女性は、覆い幕の向こうにいるであろう人物に向かって、呆れ気味に声をかけた。


「またおたわむれですか、ソーハ様」


 覆い幕の向こうで笑い声が弾けた。

 ソーハと呼ばれた人物の声だろう。


「ははは。だっておもしろいだろ。姿はさ」


 ――そう。ソーハは、そしてこの女性は人間ではない。

 紫の瞳と髪を持つもの。

 人々から畏怖を込め「魔人」と呼ばれる種族である。


「あまり趣味がいいとは思えませんが」

「なんだよ。レンティルが嫌がるから、ちゃんと殺す前に助けて、元の世界に帰してやってるだろ」


 覆い幕が少し動き、その隙間から大きな水晶玉が差し出された。


「今日はお前に先に見せてやるよ。どうだ? 新しい生贄の様子は」


 レンティルと呼ばれた女性は、長い髪を耳にかけて水晶玉を覗き込んだ。

 水晶玉には1人の冴えない人間が映っている。この世界の住人とは思えない奇妙な恰好だ。

 それもそのはずだ、彼は魔人ソーハが異世界から召喚した異世界人なのだから。

 レンティルはじっとその男の動向を見つめた。


「泣いてる? 怒ってる? たまに狂って笑い泣きするやつもいるよな」


 楽しくて仕方ないといった風に尋ねるソーハ。

 そんな彼に、レンティルは眼鏡の位置を直しながら淡々と返答した。 


「豆を育ててますね」

「ははは。そうか、豆を──」


 沈黙。


「…………は?」



 □■□■□■



「よし、とりあえずもやしはこれで良し、と」


 豆太郎は両手をふって水を払った。

 ちょうど彼と共に転移したもやし(まだ豆)の水替えが終わったところだ。

 100均の水切りトレーと普通のトレーを重ねた中に、緑色の豆がぷかぷか浮いている。

 誰でもできる「かんたんもやし栽培セット」だ。あと5日もすれば、すくすく育ったもやしが収穫できることだろう。


「しかし、一体なんだここは」


 豆太郎は周囲を見回した。

 ごつごつとした高い高い岩壁を思い切り見上げると、岩壁の上の方に2つ穴が空いている。

 片方の穴からわずかに光がこぼれて地面を照らしている。太陽の光が届いているのは、そのほんの少しの範囲のみだ。

 太陽光に照らされた地面には植物が生え、わずかな日光を求めて密集していた。

 もう片方の穴からは、ざあざあと水が溢れ落ちている。それはそのまま川となり、通路に流れているようだ。水辺が近くにあるせいか、若干肌寒い。


 豆太郎は続いて左右を見渡した。

 見えるのは変わり映えしない岩肌と、2つの通路のみ。

 通路の先は薄暗く先が見えない。

 まるでRPGに出てくる洞窟やダンジョンのようだ。


「まさかこれは……、漫画でよく見る異世界召喚か?」


 朝晩の会社通勤の合間に、漫画アプリで漫画を読むのが日課の豆太郎。

 異世界召喚ものの漫画はメジャーなジャンルなので、豆太郎もいくつか読んだことがある。

 それにしたって、平凡に生きてきて30年。

 まさか自分が異世界転移者になろうとは。

 あまりにも非現実的な事象だが、五感で感じる景色はあまりにも現実的だ。


「そんな……、なんて、なんて……」


 圧迫感のある岩壁。激しい水音。人の気配もなく、薄暗さが恐怖と孤独感をあおる。

 そんな場所に召喚された豆太郎は思わず叫んだ。


「なんてもやし栽培に適した場所なんだ……っ!」


 と。

 ……さて、ここでマメ知識をひとつ。

 もやし栽培に必要なものは主に3つ。


 1.水。

 2.温度。

 3.日光の当たらない空間。


 それを踏まえてこの現状を見てみよう。


 〇流水の流れる滝壺。

 〇3月中旬、15度〜20度くらいの程よい気温。

 〇日光のほぼ当たらない洞窟。


「なんてもやし栽培に適した場所なんだ……!」


 大事なことなので2回言った。

 しかも、しかもだ。


 豆太郎は日光の下に集まった植物に近づいた。葉っぱの隙間から見えるのは、さやのついた緑色の房。

 しゃがんで触って眺めて確かめる。

 間違いない、これは緑豆。

 いや、異世界だから品種はちょっと違うかもしれない。だが豆は豆だ。 

 豆があればもやしが作れる。この世の真理だ。


 豆科の植物とそこにだけ当たる日光。

 さらに日光の当たらない滝壺と15度以上の空間。

 これはまさに。


「無限もやし製造空間っ!」


 豆太郎は「俺の考えた最強のもやし栽培空間」に、腕を振り上げガッツポーズを決めた。



 □■□■□■



「なんだこいつはー!?」


 ダンジョンの最奥部。ガッツポーズする豆太郎をリアルタイムで視聴していた魔人ソーハは叫んだ。

 どうしてこんなことに。得体の知れない場所に転移させられた恐怖で、みっともなく慌てふためく男のザマを見る予定だったのに。

 なぜこの男は豆の水替えをしているのか。

 そもそも、もやしってなんだ。


 あるじの動揺に合わせてばったばったと揺れる入口の覆い幕。

 それを眺めながらレンティルは口を開いた。


「今度の人間はなかなかの大物のようですね」

「ふ、ふん! 強がっているだけだろう。すぐにボロが出るさ」


 覆い幕の向こう側は見えないが、レンティルの頭の中にはソーハが水晶玉にかじりついている様子がありありと浮かんだ。


「ソーハ様、あまり水晶玉を近くで見ると目を悪く……」


 レンティルが言葉を途中で止め、片目をすがめた。


「……ソーハ様。ダンジョンに侵入者です。どうやらこの男のいる場所に向かっているようですが、いかがいたしますか」

「なんだと?」


 ここはソーハの作ったダンジョンだ。 現地の人間がのこのこと入ってくることも珍しくはない。

 このままでは、異世界人と現地人が出会ってしまう。

 ソーハは少し考えた。


「……1人の方が恐怖はあおれるが、まあいいだろう。助かったとぬか喜びさせたあと、2人に魔物をけしかけてやるさ」


 ソーハは口元に凶悪な笑みを浮かべた。

 いずれ泣きわめくであろう豆太郎の無様な顔を想像して。

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